2013年3月24日日曜日

ルーヴル・ランス  -自由を探して-

■ 革命は革命でも「7月革命」


長い道のりを経て、ようやくこの作品に再会できました!


ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神」(1830年)



よく誤解されるのですが、この絵のテーマはルイ16世やマリー・アントワネットをギロチンにかけたあの革命ではなく、それからおよそ40年後の1830年のフランス7月革命です。

7月革命とは、ナポレオンの失脚後、王政復古で国王の座に就いたシャルル10世が、1789年のフランス革命以前の王侯貴族社会に戻そうとした政策に、民衆が蜂起し国王を追放した革命のことです。


…むずかしい話はそれくらいにして、絵を見てみましょう。

■ 女神の正体


おびただしい屍が転がる血なまぐさい情景です。仲間の屍を乗り越えて、それでも前に進む、労働者、ブルジョワ、軍人たち。しかし何といっても私たちの目を惹くのは、胸もあらわに三色旗を掲げ、民衆を導く女性の姿ですよね。暗い画面の中で、彼女だけ後光が射したかのように光に包まれています。でもちょっと、こんな女性がこんな場面にいるのは不自然だと思いませんか?


実は、彼女はこの場面には存在していないのです。


彼女が被っている赤い帽子はフリジア帽といって、ローマ時代の彫刻にも見られるもので、奴隷の身分から解放された「解放奴隷」の身分を表しています。「女神」と一般には言われていますが、彼女の正体は、実は女神風に描かれた「自由」そのものなのです!

抽象的な概念(ここでは「自由」)をモノや人で表された絵を「寓意画」と呼びます。ドラクロワは革命を目の当たりにし、さまざまな人に取材を行って描き上げたといいますから、この絵は寓意だけで成り立っているわけではありません。しかし、この女神風の「寓意像」を置くことによって、写実だけでは表現し切れないメッセージを伝えることに成功していると思います。

ドラクロワは、政府高官の子息として何不自由ない環境に生まれましたが、本当の父親は大政治家、シャルル・タレイランではないかといわれています。タレイランは非常に有能かつ狡猾、ゆえにいくつもの政権で要職を牛耳る息の長い政治家でした。(いるよね〜、こういう人)

家柄と才能に恵まれたドラクロワでしたが、サロン(政府が主催する大規模な展覧会)では、常に批判にさらされていました。当時のサロンの主流はアングルを中心とする新古典主義(3月20日付「ルーブルの美女」をご参照くださいませ)。デッサンの緻密さよりも色彩の効果や主題に重きをおいたドラクロワのロマン主義は真っ向から否定されていました。女神の足下からすがるように見上げるトリコロールの青年は、サロンに批判され打ちのめされていたドラクロワ自身ではないかといわれています。

実際にこの作品も、政府の買い上げになったものの(画壇で批判されていようがなんといっても彼は政府高官の子息ですから)、反政府思想を煽る危険な絵として長らく倉庫に放置されたままでした。ドラクロワがフランス美術アカデミーの会員になるのは、なんと57歳になってからのことです。

■ 「レ・ミゼラブル」


公開13週目(2013年3月17日時点)に入っても尚ロングランを続けている映画「レ・ミゼラブル」。言わずと知れたミュージカルの傑作です。原作者ヴィクトル・ユゴーは、この絵の右端の少年をモデルに、物語に小さな少年兵を登場させました。

ミュージカルは何度も見ていますので、軽い気持ちで私も劇場に足を運びましたが、見終わったあとしばらく動けないほどの感動。アカデミー作品賞、主演男優賞こそ逃しましたが、やはり助演女優賞を獲得したアン・ハサウェイの演技は素晴らしかった。あの時代、闘っていたのは男ばかりではなく、女性も差別と貧困に苦しめられていたのだとわかります。

映画や舞台には描かれていない、アン・ハサウェイが演じたフォンテーヌのお話を少ししましょう。

ナポレオンの百日天下が終わり、ルイ18世(ルイ16世の弟)の第二次王政復古の時代には軍歴ではなく学歴が重視されるようになりました。パリの学生街カルチェ・ラタンには地方の名士の子息たちで溢れ、呑気な学生たちは、グリゼットと呼ばれた下層階級の若い女工たちを恋人にして青春を謳歌していました。フォンテーヌもその中の一人です。ある夏の日、フォンテーヌの恋人は突然、親元に帰る、という手紙を残して去ってしまいます。ところが不幸なことに、そのとき彼女は子供を身ごもっていました。

身分制度が厳しかった当時において、中流階級以上の学生が下層階級のグリゼットと結婚することは事実上不可能でした。したがって、19世紀前半の都市部では5人に1人、兵営や工場のある街では3人に1人が私生児という状況。

そのような不幸な女性たちは遅かれ早かれ子供を捨てるか、自分を捨てて娼婦になるか、選択を迫られる運命にありました。娼婦の前の職業は、そのほとんどが、主人に孕まされたあげく追い出された女中か、学生や兵士に捨てられたグリゼットだったといいます。

アン・ハサウェイはアカデミー授賞式のスピーチをこう締めくくりました。
「いつの日か、フォンテーヌのような不幸な女性がいなくなることを祈っています」

先日、知人が妊娠しました。産前産後の各種制度を利用するために会社に申請をしたら、「まずは入籍をしてください」と返されたそうです。時代が流れ、技術が進化して一見、豊かに見える現代でも、様々な差別や偏見、貧富の差といった社会が抱える問題は19世紀と何一つ変わっていないのだと私もつくづく思います。


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2 件のコメント:

  1. スゴい!よく調べたね~すごくわかりやすく、解説されてます☆勉強になりました(^o^)/

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    1. ありがとうございます!そうおっしゃっていただけると、とても嬉しく励みになります。ずっと書きたかったことがようやく形になりました。もしよろしければ、ぜひまたご訪問くださいませ☆

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