2013年12月31日火曜日

Saint-Sylvestre -大晦日によせて-

先日参加した、とあるセミナーでのこと。講師に、「この部屋の中で赤いものを探してください」と言われ、私は必死で赤いものを探しました。「では、目を閉じてください」と講師。「この部屋にあった黄色いものを思い出してください」。

ええっ、赤って言ったじゃん!と動揺しながら思い出そうとするものの、私はまったく思い出せませんでした。目を開けて、部屋を見渡すと至る所に黄色があふれていたのは言うまでもありません。

人は意識をしていないと、見るべきものを見落としてしまう、ということを身をもって経験した出来事でした。

人生すべてに於いて同じことが言えます。ここは西洋絵画のブログですから、もっとミクロな視点で言うと、絵画についても同じです。たかが絵、されど絵。描かれた絵にまつわるエピソードや画家の人生を知って見るのと知らないで漠然と見るのでは、見え方が全く違うのです。

桜も咲きはじめようという今年3月、まさかのインフルエンザになり、療養中に暇を持て余して始めたのがこのブログでした。

当初は、ごく身近な人に自分の意外性を知らしめ驚かせてやろう、フフフ…というかなり邪な気持ちで始めたのですが、意外なことに多くの方々に読んでいただく結果となり、驚きと感謝でいっぱいです。

途中から加わったブログランキングでは、あれよあれよと言う間にトップテン入りし、ついに今月24日(クリスマスイヴ!)には何とランキング1位に。

人生とは本当に何が起こるかわからない、素敵なものです。

実は、忙しさのあまり掲載できずにお蔵入りした展覧会もかなりあります。それだけがちょっぴり心残りなのですが。

新しく来る年も、みなさんにとっても、私にとっても、色んなことが起こるでしょう。日々訪れる選択肢が、チャンスなのかトラップなのか、一見分かりにくいのが人生。チャンスの姿をしたトラップだったり、嵌められた!と思って抜け出す努力するうちに、いつの間にか前よりずっと素晴らしいものを手にしていたり。

心の目を研ぎ澄まし、しっかりアンテナを張って、見るべきものを見落とさないようにしたいものです。

ブログを読んで下さった皆様、まさに見えないところで支えてくださって本当にありがとうございました。

新しい年も、皆様にとって素晴らしい奇跡(=「天使の翼」)が舞い降りることを心からお祈りしております。


ラファエロ・サンティ『システィーナの聖母』(部分)(1513年〜1514年)
(アルテ・マイスター絵画館/ドレスデン)


よいお年を〜!



↓ ↓ ご愛読ありがとうございました。引き続き、来年もよろしくお願いいたします!


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2013年12月23日月曜日

The aroma story -クリスマスによせて-

贈り物を抱えた人々がせわしなく行き交う季節がやってきました。澄んだ空気でいっそう街がキラキラして、慌ただしいけれど街全体にあふれるこのワクワク感は、クリスマスならでは。東京も華やかなネオンがあふれていますが、ヨーロッパの街を見ていると、クリスチャンにとってのクリスマスには特別な意味を感じます。

■ ドレスデンのクリスマスマーケット


今回はまず、数年前に訪れたドイツはドレスデンのクリスマスマーケットをご紹介します。


パリやニューヨークのような華やかさはないものの、静謐な感じ。


聖母教会前の広場にはこのようなお店がたくさん並びます。




ドレスデンのクリスマスマーケットは世界的に有名で、この時期になると日本でもツアーパンフレットができるほど。まるで日本の夏祭りの露店のように、小さな店々が並びます。お店には、ツリーや家の中で飾るオーナメントなど、クリスマスを迎えるためのグッズが所狭しと並びます。

アイテムを見てみると、キャンドルホルダーなどお手頃価格のかわいいグッズもあれば、テーブルクロスなど、露店といえど、かなりしっかりした素材と価格のものもあります。それでも日本で購入するよりずっと安く質の良いものがあったので、私はお手頃ゾーンから高級ゾーンにまで手を伸ばし、当然スーツケースはパンパンで帰ってきました。

普段アジア人はあまりいない街なので、クリスマスシーズンといえども日本人は珍しかったらしく、お店のおばちゃんと仲良くなって、ちゃっかりおまけをもらったり、楽しさ満点でした!



サンタさんが踊ってる〜!と思ったら、人形でした。



買い物に疲れたら、マーケットの中にあるスタンディングバーのホットワインでひと息。



カップも、めっちゃカワイイ。


■ 『東方の三博士』っていったい何者?


さて、やはり「美術館めぐり」のブログですから、クリスマスならではの絵をご紹介しましょう。

…で、世に数多ある同名の作品の中でもせっかくですのでドイツの画家を選んでみました。


アルブレヒト・デューラー『東方三博士の礼拝』(1504年)
(ウフィツィ美術館/フィレンツェ)



星の動きから、救世主イエス・キリストが生まれたことを知った三人の賢者が貧しい厩を訪れ、祝福をする場面です。ボッティチェリやルーベンスなど、数多くの画家が描いたテーマですが、そもそもこの賢者とか、博士などと呼ばれているこの人たちは一体何者なのでしょうか。そして、なぜわざわざオンボロの厩に仰々しく現れて、一体何をしているところなのでしょう。この絵と題名にはそんな疑問が沸き起こります。

まず、賢者あるいは博士と呼ばれているこの人たちはペルシャの「マギ」です。「マギ」とは占星術師のこと。しかし、彼らは現代の占星術師とは意味が違い、天候に左右されやすかった農耕社会を支える最先端の科学者であり天文学者なのです。

そんなお偉い先生方が、ある日、天文現象からこの世にユダヤの王が生まれたことを知ります。えらいこっちゃ、お祝いに馳せ参じなければ。ということで、星の導くままに訪れたのが、エルサレムの地。

まず一行は、この地を治めるヘロデ大王の元に行き、お祝いを述べ、ユダヤの王はどこにいるかと尋ねます。しかし、ヘロデ大王にとっては寝耳に水。ユダヤの王が生まれただと?王が自分あるいは自分の子孫以外であってはならない!と驚き慌てますが、何食わぬ顔で、予言者を招集し、場所を占わせ、ベツレヘムだと教えました。そして、私も拝みたいのでその子を見つけたらぜひ自分にも教えてほしい、と博士たちに頼みます。

こうして何も疑うことなく博士たちは頷き、ベツレヘムに向かいます。ヘロデ王の思惑に微塵も疑うことなく…

■ クリスマスプレゼントのルーツ


そして、博士たちが無事に到着し、贈り物をしている場面がこれらの絵に描かれているのです。

神の国の栄光を表す「黄金」を捧げているのが青年メルキオール、神性を表す「乳香」は壮年のバルタザール、受難と死を予感させる「没薬」は老人ガスパール、と後世になってそれぞれ名前までつけられています。ちなみに「没薬」を老人ガスパール博士が捧げている図が、たいていお約束。

三博士は、それぞれアジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸になぞらえているとの説もあります。(つまり世界中がイエス・キリストを救世主と崇めていると、キリスト教は言いたいのですね)


アルブレヒト・アルトドルファー『東方三博士の礼拝』(1530年〜35年)
(シュテーデル美術館/フランクフルト・アム・マイン)




さて、クリスマスプレゼントのルーツともいわれるこの贈り物たちについて見てみましょう。「黄金」はさておき、「乳香」「没薬」って何なんでしょうか。

実はこの二つ、現代のアロマテラピーにも欠かせないものなのです。

まず、「乳香」とは、別名フランキンセンスまたはオリバナムとも呼ばれます。フランキンセンスは、カンラン科の樹脂で、古代エジプトやインド、中国で古くからお香に使われてきました。

また細胞成長促進作用や収れん作用があるため(つまり新陳代謝を高め、引き締め効果があるということですね)古代エジプトでは美容にも用いられました。

現代でも、アンチエイジングコスメとして、商品化されているものもたくさんあります。(全く余談ですが、私も、化粧水、美容液、クリームすべてフランキンセンスのオーガニックコスメを愛用しています)

次に、「没薬」ですが、これは別名ミルラともいい、皆さんよくご存知のアレを作るのに古代エジプトで重用されました。

古代エジプトといえば…ピラミッド!と言いたいところですが、ここではミイラです。ミルラという名前からも想像できますね。

ミルラもカンラン科の樹脂ですが、殺菌、消毒、防腐作用に優れており、ミイラ作りにはもちろん、フランキンセンスと同様に古くからお香やスキンケアにも用いられてきました。

…というわけで、今回はいつか書きたいと思いつつ、なかなか実現しなかった絵画とアロマの意外な小話をご紹介させていただきました。

さ〜て、今宵もフランキンセンスのクリームをガッツリ塗って寝なくっちゃ〜♪



Frohe Weihnachten!
(メリークリスマス!)



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2013年12月6日金曜日

カイユボット展

■ 無名の巨匠


ギュスターヴ・カイユボット、と聞いて「ああ、カイユボットね」と即答できる人はかなりの西洋絵画ツウです。初めてこの名前を聞いたというアナタ、恥ずかしがることはありません。それが普通です。



ブリヂストン美術館にて開催中の『カイユボット展』。


1874年、パリのオペラ座前を今も多くの人が行き交うカプシーヌ大通りの写真家ナダールのスタジオで、第1回印象派展は開かれました。

神話や歴史をテーマとした絵画が最も価値あるものとする画壇に反発して、無審査で開かれた展覧会です。メンバーは、モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、シスレーなど。

世間が度肝を抜く斬新な作品の数々に深く共鳴したひとりの男がいました。

男の名は、ギュスターヴ・カイユボット。父親が繊維業で莫大な財を成したブルジョワの家に生まれ、自身もまたエコール・ド・ボザール(官立美術学校)を卒業した画家でした。



『ギュスターヴ・カイユボットの肖像』(撮影者不明)




カイユボットはルノワールを始めとする印象派のメンバーと交流を重ね、第2回目から印象派展に出品しています。通算8回にわたり開かれた印象派展ですが、カイユボットはそのうち実に5回に出品しています。

れっきとした印象派画家であるにもかかわらず、他のメンバーに比べ知名度が著しく低いのはなぜでしょう。

カイユボットは自身の作品づくりに仲間から大きな影響を受けながら、一方でその財力を活かして、生活に困窮している仲間の絵を次々に購入していきました。

カイユボットの名は知らずとも、オルセー美術館はご存知の方も多いはず。

オルセー美術館といえば、印象派のコレクションが有名ですが、実はそれらの作品は元々カイユボットが所有していたものです。ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』も、ドガの『エトワール』も。



ピエール=オーギュスト・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1876年)
(オルセー美術館/パリ)



エドガー・ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』(1878年頃)
(オルセー美術館/パリ)



※上記2作品は今回の展覧会に展示されていません。




絵を見る前に、お腹が空いたので先にランチ(笑)。


記録によると、カイユボットはモネに前渡金として5年の間に合計1千万円もの援助をしています。

こうしたパトロンかつコレクターとしての要素が大きく、画家として再評価されたのは1990年代に入ってからです。作品を売らなくても生活には不自由がなかったので、多くの人の目に触れる機会がなかったことも、評価が遅れた理由のひとつといわれています。


■ ブルジョワジーと労働者、時代を描いた画家


19世紀のフランスにおける階級社会は、現代日本を生きる我々には想像を絶する格差社会です。

貴族に代わって登場したブルジョワジーは、産業革命の恩恵を受けて桁外れの富を享受し、一方、労働者階級に生まれたが最後、厳しい労働と最低限の賃金でその日を暮らすのもやっと、貧困と病に蝕まれて一生を終えるのです。



ギュスターヴ・カイユボット『ヨーロッパ橋』(1876年)
(プティ・パレ美術館/ジュネーヴ)



この作品は、まさにそのような社会の縮図です。

厳しい労働の合間に橋の下のサン=ラザール駅を見下ろす若い労働者。蒸気機関車が走るこのサン=ラザール駅こそ産業革命の産物であり、近代化の証でもあります。新しい時代の富を享受し楽しそうに歩くブルジョワのカップル(女性は娼婦だという説もあり)。男性のモデルはカイユボット自身と言われています。そして彼らと逆方向に歩いていく老人は、まさに去りゆく時代の象徴です。

■ 写真と印象派



カイユボットの作品の特徴は、当時流行し始めた写真に影響を受けています。上の作品も、まるで広角レンズで撮った写真のような橋の骨組みです。実はカイユボットの弟マルシャルは音楽家であり、写真家でした。



ギュスターヴ・カイユボット『ピアノを弾く若い男』(1876年)
(石橋財団ブリヂストン美術館/東京)




弟マルシャルはパリの官立高等音楽院(コンセルヴァトワール)を卒業した音楽家。
ドビュッシーなど著名な音楽家とも交流がありました。



マルシャル・カイユボット
『ギュスターブ・カイユボットと犬のベルジェール、カルーゼル広場、1892年2月』
(1892年)


弟マルシャルが撮ったカイユボットと愛犬。


■ 近代化がもたらしたもの


近代化が生み出した都市の生活は、人間関係、家族関係の在り方にも大きな変化をもたらしました。大家族から核家族化が進み、都市生活者に孤独感が漂い始めたのもこの時代の特徴ともいえます。



ギュスターヴ・カイユボット『昼食』(1876年)
(個人蔵)




上はカイユボット邸を描いたもの。母と執事と、のちに26歳で急逝する弟ルネが囲む食卓。逆光の食卓はどこか寂しげに見えます。

この作品に影響を受けてジョルジュ・スーラが点描で表現した作品については、11月24日付記事『印象派を超えて—点描の画家たち』をご参照ください。


ギュスターヴ・カイユボット『室内—窓辺の女性』(1880年)
(個人蔵)


瀟洒なアパルトマンの一室。
倦怠期を迎えた夫婦の、冷ややかな関係を表現しています。



ギュスターヴ・カイユボット『パリの通り、雨』(1877年)
(マルモッタン・モネ美術館/パリ)




シカゴ美術館にある同名の作品の習作。
写真のフレーミングを構図に取り入れた作品。


近代化はパリの人口増加を招き、1853年〜70年にかけて街の大改造が行われました。いわゆるパリ大改造です。この計画を指揮したのが、セーヌ県知事オスマン。それまでのパリは小さな路地が複雑に入り組み、汚物が散乱する不衛生極まりない都市でした。

余談ですが…マリー・アントワネットは逃亡する際に恋人フェルゼンが道を間違えまくり、時間がかかり過ぎたために捕まったとか。フェルゼンは頭のいい男で綿密に道を調べ上げたにも関わらず、間違えるほど路地は複雑でした。フランス革命の前に大改造が行われていたら歴史は変わっていたかも!



ギュスターヴ・カイユボット『オスマン大通り、雪景色』(1879年または1881年)
(フレール城館美術館)





壊し屋と呼ばれたオスマンは、シャンゼリゼ通りに代表されるように道幅を広くし、街路樹を植え、美しい街並を造営しました。凱旋門の展望台から今も見渡すことができる放射状に伸びる大通りは、この大改造によるものです。

建物についても厳しい基準が設けられました。高さを制限し、屋根の色は灰色、バルコニーは特定の階に設置するなど、いわゆるオスマン様式と呼ばれる建物が次々と現れ、現在とほとんど変わらぬパリの街並ができあがったのです。



ギュスターヴ・カイユボット『見下ろした大通り』(1880年)
(個人蔵)


オスマン大通りの自宅アパルトマンから見下ろした風景。
当時の絵画ではあり得ない大胆な構図です。


■ パリからイエールへ


都市の風景を描く画家としての印象が強いカイユボットですが、パリ郊外のイエールに所有する夏の別荘を舞台に、田園や水辺の風景、船遊びなどを描いた作品も残しています。


ギュスターヴ・カイユボット『ペリソワール』(1877年)
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー/ワシントンD.C.)


連続写真のように、奥から手前に、一人の主人公の時間の経過を表現した作品。
ペリソワールとは、一人乗りカヌーのこと。


1880年代に入ると、パリを離れこのイエールの別荘で議員を務める傍らガーデニングなどに興じる日々を過ごします。公務に忙殺され次第に絵筆をとることも少なくなり、畑仕事の最中、突然倒れ45歳の短い人生を終えます。

実はカイユボットは、28歳ですでに遺書をしたためていました。彼の遺言は、「自分の集めた印象派のコレクションをルーヴル美術館に寄贈してほしい」。

遺族が寄贈を申し出ても国はすぐにこれらを受け入れませんでした。印象派そのものの評価がまだ認められていなかったのです。

交渉から3年の月日を経てようやく半数が受け入れられました。

オルセー美術館は、ルーヴル美術館から1986年に独立した新しい美術館で、原則として1848年〜1914年までの作品を収蔵することになっています。

ゆえに印象派のカイユボットコレクションはオルセー美術館で見ることができるのです。



京橋駅地下に新しいカフェを発見。
カイユボットが描いた風景をパリの古地図で確認。
我ながら暗い趣味だなぁ…


今回のカイユボット展は、日本初の回顧展です。2014年、カイユボットの没後120年にあたり、イエールの別荘で回顧展が開かれますが、イエールは遠い!

ぜひこの機会にお見逃しなく。





都市の印象派
カイユボット展

2013年10月10日(木)−12月29日(日) 石橋財団ブリヂストン美術館(東京)



      

       

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2013年11月24日日曜日

印象派を超えて -点描の画家たち-

あっという間に秋も深まり、ダウンコートを着込む人もちらほら見られる今日この頃。樹木も色づいて、自然が織りなすグラデーションの美しさにしばしため息する季節となりました。


クロード・モネ『サン=ジェルマンの森の中で』(1882年)
(吉野石膏株式会社(山形美術館に寄託))


19世紀のパリも21世紀の日本も、紅葉の美しさは変わらず。


■ 印象派って…?


さて、今回訪れたのは東京・国立新美術館にて開催中の『印象派を超えて』展。ところでこのタイトル、何となく、ああ印象派ね、とスルーしてしまいそうですが、ちょっと待った。よく日本語を咀嚼すると、単に印象派ではなく、印象派を「超えて」展なのです。

では、印象派を超えるとどうなるか。そもそも印象派とは何か。

1874年、パリのカプシーヌ大通りの写真スタジオで、それまで画壇に認められなかった新しい画風を主張する画家たちによって、第一回印象派展は開かれました。メンバーは、ルノワール、モネ、ドガ、セザンヌ、シスレーなど。後世の私たちから見れば、錚々たる顔ぶれです。

「印象派」とは、モネの『印象、日の出』という作品に由来します。デッサンを重視し、モノの形を克明にキャンバスの上に再現することが究極の芸術とみなされていた当時の画壇からすれば、こんなふざけた絵は考えられなかったことでしょう。この作品を見た新聞記者が「これは単なる印象でしかない」と酷評したのが「印象派」という言葉の語源です。

クロード・モネ『印象、日の出』(1872年)
(マルモッタン美術館/パリ)

(※この絵は今回の展覧会では出品されていません)


■ 印象派を超えると…


さて、権威主義的なサロンに対抗する新興勢力である印象派は次第に話題となっていきますが、やがてその中に新たな潮流が生まれます。

後期印象派またはポスト印象派と呼ばれるゴッホや、新印象派といわれるスーラやシニャックの出現です。

そこで、今回の展覧会のテーマにやっと辿り着きました。



ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(1884年〜1886年)
(シカゴ美術館/シカゴ)


(※この絵は今回の展覧会では出品されていません)


ジョルジュ・スーラといえば、点描主義または分割主義というスタイルを確立したことでよく知られています。点描とは、面で塗りつぶすのではなく、細かな点によって彩色していく技法です。上の作品も、拡大すると細かな点の集合によって成り立っていることがわかります。


■ 点描主義あるいは分割主義とは




今回の展覧会の図録。


スーラは、初めて科学理論を絵画に取り入れた画家とも言われています。彼は、色は混ぜれば混ぜるほど濁るということを発見しました。

子供の頃の水彩画の時間を思い出してください。綺麗な色の絵の具で描いているはずが、いつの間にか筆洗いの水はドブのような色になっていたでしょう。

パレットで色を混ぜ、それをキャンバスに載せるのではなく、細かな点を並べることによって鑑賞者の網膜上で混色させ、濁りのない、透明感のある色彩の再現を試みたのです。現代のカラーテレビやディスプレイはこの理論に基づくものです。


ポール・シニャック『マルセイユ港の入口』(1898年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


スーラと並び点描主義を代表するシニャックの作品。



ポール・シニャック『ダイニングルーム 作品152』(1886〜1887年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


ギュスターヴ・カイユボット『昼食』に影響を受けた作品。
『昼食』は現在ブリヂストン美術館で開催中の「カイユボット展」
で見ることができます。(「カイユボット展」については次回をお楽しみに!)
併せて観れば、楽しさ二倍!



マクシミリアン・リュス『鋳鉄工場』(1899年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


ぜひ会場で実物をご覧いただきたい作品。
赤々と燃えたぎる炉の鮮やかな迫力を大画面で味わってください。



モーリス・ドニ『カトリックの秘蹟』(1891年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


19世紀に入ると宗教画は時代遅れの感がありましたが、
点描という新しいスタイルで表現した珍しい作品です。
身をよじらせた聖母マリアは、『受胎告知』の伝統的なスタイルを彷彿させます。



フィンセント・ファン・ゴッホ『自画像』(1887年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


今回の展覧会作品の主な所蔵先であるクレラー=ミュラー美術館は
世界屈指のゴッホコレクションを持つ美術館としても知られています。



フィンセント・ファン・ゴッホ『種まく人』(1888年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


ゴッホが敬愛するミレーの『種蒔く人』にインスパイアされた作品。
静謐なミレーの作品に対し、ゴッホの手にかかるとこんなに力強くなります。



フィンセント・ファン・ゴッホ『レストランの内部』(1887年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


ゴッホは周囲で流行していた色彩理論を取り入れた作品をいくつか描きましたが、
スーラやシニャックの理論をそのまま取り入れるのではなく、
やがて自分のスタイルを確立していきます。



フィンセント・ファン・ゴッホ『麦束のある月の出の風景』(1889年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)



徐々に、この木版画のようなゴッホのスタイルになっていきます。



スーラやシニャックが先駆けとなった点描主義あるいは分割主義は、流行にのって彼らの他にも多くの作家を生み出しましたが、徐々に下火になっていきます。もともとは印象派の最大の特徴である「光」をより効果的に演出するための技法だったので、コントラストのはっきりしたドラマチックな作品づくりには不向きであり、表現の多様性に欠けたことが理由のひとつのようです。



ピート・モンドリアン『コンポジション』(1929年)
(クレラー=ミュラー美術館/オッテルロー)


クレラー=ミュラー美術館のあるオランダ出身の画家、
ピート・モンドリアンの作品も来ています。



クレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に
印象派を超えて—点描の画家たち
ゴッホ、スーラからモンドリアンまで


       2013年10月4日(金)−12月23日(月・祝) 国立新美術館(東京)



      

       

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2013年10月28日月曜日

本屋 de 美術館

台風が過ぎ去るたびに、秋の気配が深まる今日この頃。日もぐっと短くなって、秋の夜長に楽しみたいのは、(ベタですが)読書。欲しい本が簡単に検索できて、あっという間に届くので、日頃はついついWebに頼ってしまうのですが、やはり本は実物を確かめてから購入したいもの。

特に私の場合、美術関係の本は新たな知識を求めて洋書を探すことが多く、うっかり間違えると「ぜんっぜん読めない…」という情けない結果になることも。

というわけで、夜な夜な訪れたのは代官山の蔦屋書店。
ここは美術関係の洋書で時々掘り出し物があるので、ふらりとよく訪れます。





今宵もまた面白い本をゲットしました♪



STEPHANE GUEGAN著『INGRES −Erotic drawings−』


新古典主義の巨匠、アングルの本です。そのタイトルが示すように、官能美を強調した素描を集めたものです。ガチガチのデッサン重視のパリ国立高等美術学校の校長を務めたドミニク・アングルの、エロティックな素描とは、どんなものでしょうか。






みなさんおなじみの?この絵。『グランド・オダリスク』の素描も載っています。



ドミニク・アングル『グランド・オダリスク』の素描。(ルーヴル美術館/パリ)



ドミニク・アングル『グランド・オダリスク』のリトグラフ。(1825年/個人蔵)
油彩画とは逆の向きで興味深い作品です。


3月20付記事『ルーヴルの美女』でもご紹介しましたが、女性の曲線美を強調するため意図的に手や腰を引き延ばして描かれたこの作品は、発表当初「この女性は立ち上がって歩くことは出来ないだろう」などと、酷評されました。しかし見る者の視線はまず彼女の背中を捉え、自然となだらかな曲線に沿って導かれていきます。それがまさにアングルの目論みなのです。

ここで面白い作品をご紹介。こんなセリフが聞こえてきませんか。


「ちょっと!何すんのよ!」


ドミニク・アングル『Three Women in the Bath, after an engraving by Hans Sebald Beham』
(アングル美術館/モントーパン)


タイトルを見ると、3人の女性の入浴中のシーンのようです。2人しかいないのでは?と思いきや、うっすらと背後にもう一人…


この作品は、16世紀のこちらの銅版画の模写とのこと。


Hans Sebald Beham『Three Women in the Bath 』(フランス国立図書館/パリ)


なかなか面白い本を見つけましたよ。





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