2014年4月28日月曜日

ザ・ビューティフル -英国の唯美主義1860−1900


■ いよいよクライマックスへ!


一昨年の英国水彩画展、昨年のターナー展、そして今年のラファエル前派展と、英国美術展が立て続けに開催され、ここ数年、日本の美術界ではちょっとした英国ブーム(?)だったわけですが、それもいよいよ「ザ・ビューティフル」展でクライマックスを迎えます。

ところで…

そもそもイギリスって、イタリアやフランスほど有名な画家が多くないことに、皆さんも何となくお気づきではないですか。

実は、宗教と深い関係があります。

イタリアやフランスはカトリックの国なので、その教義に沿う形で宗教画を始めとする芸術文化が発達しました。ところが、イギリスはヘンリー8世が(離婚が許される)イギリス国教会に改宗してしまったため、宗教画はイマイチ発展しませんでした。

その代わりに流行したのが、風景画や道徳的教訓を込めた風俗画(この点はフランドル絵画にも通じるものがありますね)。イタリアやフランスとは異なる発展を遂げたのが、イギリス絵画です。


訪れたのは、実はまだ桜が咲く前でした…


しかし、概して芸術というよりはむしろ実用性、生産性を国策として重視した結果、ご存知のようにイギリスには産業革命が起こります。おかげで人々の生活は便利で豊かになりました。

ところが、あるときふと彼らは気づくのです。

自分たちの身の回りのモノは確かに便利だけど、ちっとも美しくない、と。

そのきっかけとなったのが、1851年のロンドン万博でした。ここでイギリスは、自国の製品がいかに(便利ではあるが)野暮ったいかを思い知らされる結果となるのです。


■ ラファエル前派から唯美主義へ


これじゃいかん!と立ち上がった芸術家たちのうち最も重要な人物のひとりが、ウィリアム・モリス。「生活に美を」というスローガンの下、ロセッティ、バーン=ジョーンズらと共に「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立し、室内装飾という概念を世に広めます。


エドワード・バーン=ジョーンズ『室内履きのデザイン』(1877年)
(個人蔵)



それにしても、日用品に芸術を取り入れようとは、いかにも産業革命の国、イギリスらしい発想ではありませんか。

ちなみに、現在もロンドンにある老舗の百貨店リバティは、もともとは日本をはじめとする東洋の美術品を輸入、販売することから始まりました。中流階級の家庭にも手が届く価格で優れたデザインの室内装飾品を提供し、人気を博しました。




花柄の「リバティプリント」でも有名な百貨店リバティ。
テューダー様式の建物がカワイイ!
せっかく行くなら、ライトアップされた夜がおすすめ。


ところで、あれれ?ロセッティやバーン=ジョーンズって、画家じゃなかったっけ、というアナタ、その通りです。

彼らはラファエル前派のメンバーでしたが、1850年頃からラファエル前派が掲げる古典への懐古主義の行き詰まりを感じ、新たな作風を模索していました。(ラファエル前派については、コチラの別記事をご参照くださいませ→
http://salondeangeaile.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html?m=1


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『愛の杯』(1867年)
(国立西洋美術館、旧松方コレクション/東京)



そこで登場するのが、唯美(ゆいび)主義です。唯美主義とは、ざっくり言ってしまうと、ただ美しくあることだけを追求すること。

宗教画や神話画を鑑賞するときのような知識は必要とせず、ただ感性に訴えかける美しさだけを最高のものとする、という概念です。



アルバート・ムーア『真夏』(1887年)
(ラッセル=コート美術館)




宗教や神話の世界から解放された自由な表現は、その後、フランスでも流行しました。それが印象派です。

第1回の印象派展は1874年ですから、19世紀の半ばという時代はそれまで当たり前とされていた価値観が覆され、世紀末から新しい世紀に向かって大きく動き出す「時代の空気」のようなものがヨーロッパ中に漂っていた時代といえそうです。



■ ジャポニズムの流行


この時代のヨーロッパのもうひとつの大きな特徴は、ジャポニスムの流行です。日本の浮世絵がフランスの印象派に与えた影響は限りなく、ゴッホやマネを始め多くの画家にインスピレーションを与えました。



エドワード・ウィリアム・ゴドウィン
『アングロ・ジャパニーズ様式の室内にいる人物』(19世紀後半)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)


なんでこうなるの…と日本人なら思わず言いたくなってしまうのですが、
これをまじめにイギリス人画家が描いている姿を想像するとちょっと面白い。


 エドワード・ウィリアム・ゴドウィン
『アングロ・ジャパニーズ様式の家具デザイン』(1875年頃)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)


映画「ティファニーで朝食を」の主人公ホリー・ゴライトリーの

隣人で日本人のユニオシ氏(こんな名前の日本人はいない!)が住む家っぽい。


実はヨーロッパにおけるジャポニスムは、それまでも何度も流行しています。

例えば18世紀に遡ると、マリー・アントワネットは漆器のコレクターでしたし、食器で有名なドイツのマイセンは日本の陶磁器を模倣するため国王が錬金術師を監禁して作らせたのが始まりです。

先ほどご紹介した百貨店リバティの誕生も、ジャポニズムの流行が大きく関わっているのです。

西洋かぶれ、という古い言葉にあるように、我々日本人はいつの時代も欧米コンプレックスが拭えない国民性であるようです。しかし、その奥ゆかしさも程々にして、自国の文化にもっと誇りを持とうではありませんか!(と、西洋絵画かぶれの私が言うのも何ですが)



■ ワイルドとビアズリー


唯美主義を語るに欠かせない人物は、画家だけではありません。

もともとラファエル前派の熱狂的な支持者であった文豪オスカー・ワイルドと、その戯曲『サロメ』の挿絵を描いて一躍有名になったオーブリー・ビアズリーの存在も、非常に大きなものでした。

彼らが登場するのは1890年代、退廃的なムードが漂い、いわゆるデカダンスといわれる時代です。

オーブリー・ビアズリー
『クライマックス—サロメ』(1894年初版)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)




ワイルドが書き上げた『サロメ』はフランスの大女優サラ・ベルナールが主役を演じたいと申し出るほどの人気を博しましたが、やがてワイルドは同性愛の罪で投獄され、出獄するも失意のまま亡くなります。(サラ・ベルナールについてはコチラの別記事をご参照くださいませ→http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html?m=1

このスキャンダルによって、ビアズリーも巻き添えとなり、失業したのち25歳の若さで亡くなります。

ところで、この『サロメ』、もともと旧約聖書の話なのですが、男を破滅へと追いやる「ファム・ファタル(運命の女)」として様々な画家が好んで描いたテーマでもあります。

ファム・ファタルについては、いつか書きたいと思っているので、またの機会に詳しくご紹介いたします。


■ ただ、美しさを感じてみてください。


さて、話を印象派に戻すと、日本人に人気がある理由のひとつとして、感性で鑑賞できる、という点が挙げられます。キリスト教の知識がなければ理解が難しい古典絵画と違い、テーマも身近です。

そしてこの唯美主義の絵画も、印象派絵画のように、感性で鑑賞できるのが魅力のひとつです。

印象派に比べ、耳慣れない「唯美主義」ですが、余分な知識は置いておいて、「ただ美しさを追求したもの」というワンフレーズだけを携えて、さぁ、GWは三菱一号館美術館へ!




ビアズリーのミニファイルがオシャレ




ザ・ビューティフル
—英国の唯美主義 1860-1900

2014年1月30日(木)—2014年5月6日(火)
三菱一号館美術館(東京・丸の内)



            

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