2013年5月31日金曜日

おウチ de 美術館

今すぐ行きたい美術展はまだまだあるのだけど、ここ数日ちょっと体調を崩して人ごみの中に出る勇気がないので、今日は我が家にある作品(?)の一部をご紹介します。


■ ミュージアムショップの誘惑


国内外を問わず、美術館に行くと必ず立ち寄るのがミュージアムショップ。ポストカードはもちろん、ノートや雑貨など、気に入ったものは値段もろくに見ずに片っ端から買う私(レジでびっくりする金額になることも…でも買う)。おまけにポストカードやファイル類は使う用と保存用と2枚ずつ買います。




ミュシャ展でゲットしたものたち(ごく一部)



ルーブルで買い集めた『グランド・オダリスク』グッズ




しかし、だんだんそれだけでは満足できなくなり、ここ数年日本の美術展でまず先にチェックするのが、複製画の販売コーナー。



ミュシャ展で購入した『ジスモンダ』




同じく『椿姫』


複製画といっても今回のミュシャ展ではさまざまなランクがあり、限りなく本物に近いリトグラフなどは数百万でしたが、上の2点は額装でなんと1点あたり5千円程度。確かに本物とは大きさも迫力も全然違いますが、雰囲気を楽しむには充分満足です。


■ 気分によって陳列替え


こうして集めた複製画の数々は、季節や気分によって掛け替える楽しみがあります。


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 『ムーラン・ルージュのラ・グーリュ』1891年




こちらはミュシャに先駆けること数年、パリで売れっ子だった元祖グラフィックデザイナー、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの代表作。本物(といってもポスターなので、オリジナルは複数存在するはず)を仮にパリのムーラン・ルージュに飾られているものとすると、こちらはかなり色鮮やかなのですが、大胆な構図やレタリング(飾り文字)が斬新で、お気に入りのひとつ。


    アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『イーゼル前の漫画的自画像』



個人的な招待状や署名代わりに描かれたペン画の複製。


ロートレックは、その名からも分かるように南仏の由緒ある伯爵家に生まれました。しかし、先祖代々近親婚を繰り返したことによる遺伝的疾患によって、骨が脆かった上に少年期に二度にわたり足を骨折したため、足の成長だけが止まってしまうという悲運に見舞われます。




こうした自らの身体的特徴をやや自嘲的に、ユーモアを交えて描いたのが、上の素描です。ロートレックは、パリの「ムーラン・ルージュ」をはじめさまざまな酒場やダンスホールなどに入り浸り、そこに生きる娼婦や踊り子を数多く描きました。

スター女優の一瞬の歪んだ表情をも捉え、作品にしてしまう(当然、彼女は怒ってクレームをつけた)ほどの才能の持ち主で、その点においてモデルをひたすら美しく、神々しく描くミュシャの表現とは対極にあるといえます。

しかし、皮肉に満ちた表現の裏には、世紀末のパリで今日を必死に生きる社会的弱者に対するあたたかい視線を感じます。貴族の子息として生まれながら、身体的な不遇を味わわなければならなかった自らの運命を、彼女たちに重ねていたのかもしれません。

このあたりのエピソードをふまえて、高級娼婦サティーンを演じるニコール・キッドマンがこの世のものとは思えないほど美しい映画「ムーラン・ルージュ」をご覧になると、所々に出てくる小男(Petit Homme)が、偉大なる芸術家(Grande Artiste)トゥールーズ=ロートレックであると気づくはず。

ちなみに、映画の中に出てくる緑色の酒は、アブサン。現在流通しているアブサンとは比べものにならないくらいのアルコール度数で、中毒患者が続出したため後に製造禁止になりました。(アブサンはドガの絵にもよく出てきます)そのアブサン中毒(梅毒という説も)によって、小さいが偉大な芸術家は36歳の若さで生涯を閉じました。


…上の素描は、我が家のトイレにて随時公開しております…。



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2013年5月11日土曜日

ミュシャ展

楽しみにしている美術展ほど、なぜか後回しにしてしまう私。もちろん、ショートケーキのイチゴは最後にじっくり味わうタイプです。そこで、今回訪れたのは、始まる前からワクワクしていたミュシャ展。会期終了間近ということもあって、平日の昼間なのに大盛況!先日放映されたNHKの日曜美術館でもクリエイターの箭内道彦氏が絶賛していただけあって、老若男女が列を為し、アールヌーボーの奇才の作品をじっくり味わっていました。

■ 運も才能のうち


チェコ生まれのミュシャの、パリにおけるサクセスストーリーはあまりにも伝説的で、思わず「本当なの?」と言いたくなります。1894年の年末に、休暇中の友人が務める印刷会社で仕事を手伝っていると、ある依頼が舞い込みます。大女優サラ・ベルナールから、新作の芝居のポスターを作って欲しい、というものでした。ところがあいにく、クリスマス休暇でオフィスに残っていたのはミュシャだけ。大至急の依頼に、ミュシャは慌てて仕事に取りかかります。そこで完成したのが、これ。


アルフォンス・ミュシャ 『ジスモンダ』(1894年)



タテ2m余りの大作です。サラはこのポスターを大変気に入り、ミュシャと6年にも及ぶ契約を結びます。ところで、このサラ・ベルナールという女優がいかに大物かというと…

ジョルジュ・クレラン『サラ・ベルナールの肖像』(1876年)
(プティ・パレ美術館/パリ)




…と、こんな具合にまあ、大女優のオーラをむんむん醸し出した肖像画があったりするわけです。この絵はパリのプティ・パレ美術館の目玉作品のひとつでもあり、私がパリで常宿にしている「ル・グラン」のロビーにもレプリカが飾ってあります。(※この絵は今回展示されていません)

ミュシャのアメリカンドリームならぬパリジャンドリーム?(チェコ人ですが…)は、こうして一夜にして叶えられたわけです。しかし、どんなチャンスが舞い込んできたとしても、もしミュシャに才能がなければサラを満足させることはなかっただろうし、120年後の日本の美術館を満員にさせることもなかったでしょう。運も才能のうち、とはよく言ったもので、私はむしろ、才能が運を引き寄せたのだと思います。

■ 椿姫の「椿の色の意味」


続くサラの舞台のポスターです。アレクサンドル・デュマ・フィス(子)の戯曲『椿姫』の舞台で、サラが演じる薄幸の高級娼婦マルグリットと青年アルマンの悲恋はたちまち話題になり、この役はサラの当たり役と言われるようになりました。

ところで、『椿姫』はデュマ・フィス(子)が実際に出会い恋に落ちた高級娼婦マリー・デュプレシとの結ばれぬ愛を描いたもの。彼自身もまた、小説家で同じ名前の父デュマ・フィス(父)とお針子の母マリーとの間に生まれた私生児でした。当時のお針子はほぼ娼婦と同義語とみなされ、身分違いの結婚は許されず、女性は自分を捨てるか子供を捨てるかの二者択一を迫られた時代です(詳しくは3月24日付記事「ルーブル・ランス-自由を探して-をご参照くださいませ)。そんな中で、デュマ・フィス(子)は認知され、教育をうけることができた幸運な私生児でした。


アルフォンス・ミュシャ 『椿姫』(1896年)


さて、この絵にもしっかりと描かれていますが、マグリットが身につけている椿は「白」です。これは、いわば彼女の職業上の営業告知。彼女の椿が「白」であるのは月におよそ25日。5日間だけ椿は「赤」なるのです。もうおわかりですね。「白」ならOK、「赤」は生理でNGという意味です。

■ 何の広告でしょう?


人々が享楽に湧く19世紀末のパリに彗星のごとく現れ、一躍時代の寵児となったミュシャにはさまざまな企業から広告制作の仕事が舞い込んできました。以下は何の広告かわかりますか?




答えはなんと、自転車です! では、次の問題。


答えは、ビスケット。しかもシャンパン風味。シャンパン大好きな私には、そそられる一枚です…。この、ルフェーヴル=ユティル社(LU社)は今もあります。実は日本のポッキーそのままの、その名も「MIKADO(ミカド)」というお菓子を作っています。おそらくポッキーはグリコの登録商標でしょうから、日本的な名前ということで「MIKADO(ミカド)」になったのかも。画像がなくお見せできないのが残念ですが、パリのスーパーや空港でも売っていますので、ぜひ探してみてください。みんな笑ってくれるので、私はよくバラマキ土産に活用しています。(そういえば、なぜかローマのスーパーにも売っていたなあ…)

■ チェコ人としてのミュシャ


パリで成功を収めたミュシャですが、栄光の最中にあるときも常にチェコ人としての誇りを持ち続け、後年はパリを離れ、もっぱら自国の民族自決を訴える作品が多くなります。そこには『ジスモンダ』のきらびやかさや、『椿姫』の明るい色調はなく、長きに亘り異民族に征服、抑圧されてきたチェコ人の苦しみや悲しみが、時には目を逸らしたくなるようなリアリティをもって投影されています。集大成ともいえる『スラブ叙事詩』は、大規模な連作のため今回の展覧会には来ていませんが、華やかなクリエイターとしてのミュシャのみならず、晩年の精神世界を垣間見ることができるのも、今回の見どころのひとつです。


アルフォンス・ミュシャ 『ロシア復興』の習作(1922年)



ミュシャ展 

パリの夢 モラビアの祈り

2013年3月9日(土)− 5月19日(日)    森アーツセンターギャラリー
2013年6月1日(土)− 8月11日(日)    新潟県立万代島美術館
2013年10月26日(土)− 2014年1月5日(日)  愛媛県美術館
2014年1月18日(土)− 3月23日(日)     宮城県美術館
2014年4月5日(金)− 6月15日(土)    北海道立近代美術館

※最新の情報は各施設の公式HPなどでご確認ください。



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2013年5月7日火曜日

The color story - Red -


今回は、新刊が売切れ続出、ノーベル文学賞にもっとも近くて遠い、日本が誇る世界の村上春樹の小説から「赤」にまつわるお話を。

17歳のとある昼下がり。次の授業は退屈きわまりない数学だったので、私はその45分間をやり過ごすための本を探しに、学内の書店に行きました。そのときふと赤い表紙が目について手に取ったのが、『ノルウェイの森』。

ハードカバーの赤と緑の上下巻が巷のあらゆる書店に並んでいて、ものすごく売れていることは知っていましたが、そのシンプルな表紙がとっても大人っぽくって、近づきがたく、聞いたところによると内容も刺激的(!)らしいので、手に取るのをためらっていたのでした。

当時はすでに文庫になっていたので、「しめしめ、これなら教科書の下に隠して読めるぞ…」と何気なく買い、文字通り教科書の下に隠して読み始めました。するといつの間にか、数学教師の声は遥か遠く、気がつくと次の授業が始まっていました。あれほど、引き込まれて読んだ小説は後にも先にもありません。

それから村上作品はほとんど読み尽くし、特に「ノルウェイの森」は何度も読み返し、やはり文庫ではなくあの美しいハードカバーが欲しくなって買い揃えたりしていたのですが、時が経つにつれ、本棚の奥にしまったままになっていました。



昔のハードカバー版には金の帯。
帯には「言い尽くされた言葉より、心に残るこの物語を」
…泣けます。


「赤」は、生命の根源を表す色です。色彩心理の知識がなくても、赤から連想するフレーズの筆頭に挙がるのは、「血」や「愛」など。いずれも人が生きていくにはなくてはならない、根本的な要素です。身近な人間を亡くしても、それでも生きていかなければならない残された者の喪失感を描いたこの小説の装丁は、(その意図があったかどうかわかりませんが)やはり交じり気なしの、シンプルで、純粋な「赤」がしっくりくるのです。

「…我々は生きていたし、生きつづけることだけを考えなくてはならなかったのだ。」最後のシーンの一節。これはまさに「赤」のメッセージそのものです。

いま、なぜこの本が気になったのか、自分でもよくわかりません。あの17歳の昼下がりにふと手に取ったのと同じように、何気なく手に取り、読み始めました。すると、世界のあらゆる音が遠ざかり、古びた教室の窓枠だとか、友達の告白につきあって男の子を待ち伏せした雨上がりの路地だとか、もっと大人になってからの様々な出会いと別れと、また出会い、そしてやがて来る別れ、だとかそんなものが一切合切押し寄せてきて、久々にぐっと胸に迫る苦しい想いを味わいました。


最近の文庫上下巻。下巻の帯には
「どこにもない場所とは だれにでもある場所のことだ。
あるときにはこの物語があなたを導く。深い心の森のように」
…これまた泣ける。



大人になるとちょっとした感傷には流されない術を自然に身につけているものだし、またそうしないと生きていけないことを知っているから、目を逸らしてきた日々の澱のようなものが本当は出口を探していて、無意識にこの「赤」い本を再び呼び寄せてしまったのかも。洋服であれ、本であれ、「赤」は、心身が極度に疲労していたり、内側に怒りをためていたり、とにかく生きるエネルギーを欲しているときに選びやすいのです。

…というわけで、好き嫌いではなく、その時々によって気になる色は変わります。つまり「今、気になる色」=「今の自分を映し出す鏡」といえます。今、どんな色が気になるかによって、自分を知る手がかりとなるのです。

あなたは今、どんな色が気になりますか?

ところで、初めて読んだ頃は、主人公のワタナベ君、直子、ミドリでさえ年上だったのに、いつのまにか、回想するワタナベ君やレイコさんに近づいてしまった…。でも今回読み直して、若い頃には気づかなかった大人のこの二人の痛みや、失ってきたものに共感できたからこそ、昔読んだときとはまた別の意味をもって大切な作品になりました。

それにしてもこのコーナー、「本の表紙とわたし、時々色の話」みたいになってますね。ちなみに、この作品も映画化されてますが、こればっかりはとても見る勇気がありません。



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