2014年10月26日日曜日

チューリヒ美術館展

今年はスイスと日本の国交樹立150年ということで、スイスの美術館から優れた作品が続々来日しています!

■ スイスの美術館って…?


今回ご紹介するのは、チューリヒ美術館展。しかしスイスの美術館や画家、といってもあまりピンとこない方も多いかもしれません。



チューリヒの中心部を流れるリマト川。
二つの尖塔をもつ街のシンボル、グロスミュンスターが見えます。


ところが侮るなかれ、豊富な資産をもつ個人コレクターによる個人美術館にお宝がザクザク…それが世界の金融都市スイスの美術館の特徴なのです。


■ ズバリ、鑑賞のポイント。


先に鑑賞のポイントを申し上げておきますと…スイスの美術館にはパリやロンドンなどの著名な美術館にある誰もが知っている名画の「別バージョン」がひょいと陳列されていることがしばしば。これがとても面白い。

例えば、先日まで同じ館で開催していた「オルセー美術館展」に陳列されているモネや、セザンヌ、ドガの面白い作品が見られるのに、あちらは大混雑、こちらはゆったり。一度、ハシゴしましたが、笑っちゃうほどの差。オルセー展で印象派のメジャー作家の主要作品を押さえた方は、ぜひ訪れていただきたい展覧会です。(注:オルセー展は終了しています)

パリの華やかな美術館とは違って、スイスの(特にドイツ寄りの地域特有の)質実剛健とした美術館の雰囲気まで見事に再現されていますので、そんな空気も感じられると思います。

かくいうワタクシは何度もスイスを訪れているのですが、チューリヒ滞在中はなぜかいつも時間に追われ、美術館を脇目で見つつ「ぐぬ〜っ…今回も時間がない…っ」と泣く泣くその門をくぐることができぬまま、結局日本で見ることになってしまったのでした。(いったい何をやってるんだ…)



常宿は時計塔のすぐ近く。
鐘の音で目が覚めるのは、ヨーロッパならではの朝。


実はチューリヒ美術館には、どうしても見たい作品があるのです。そして、今回その作品が来日すると知ったときの私の驚きといったら!忘れられない展覧会となりました。

では、さっそく作品を見ていきましょう。



ジョヴァンニ・セガンティーニ『虚栄(ヴァニタス)』(1897年)


スイスの美術館に欠かせないのがセガンティーニ。アルプスの長閑な風景画が有名ですが、実はイタリア出身の画家です。そんなセガンティーニの異色の作品。乙女が水鏡を覗き込むとドラゴンが現れて…。ドラゴンは乙女の中に潜む虚栄と欺瞞の象徴として描かれています。風景画の中に、寓話をさりげなく織り込んだ「自然の中の不自然さ」がどことなく怖い作品。



クロード・モネ『国会議事堂、日没』(1904年)




モネの代表的な連作のうちのひとつ。20点を超える別バージョンがあります。モネは半年ほどロンドンに滞在したことがありました。後年、連作として制作したものです。しかし、モネが描くとどうしてもフランスの風景に見えてしまうんですけど…。




エドガー・ドガ『競馬』(1885/87年)



マネ、モネ、ドガ。だいたい印象派の画家って2文字の名前ばっかりでよくわからん…というあなた。大丈夫です。ドガ、といえば「馬と踊り子」。それだけ覚えておけば、ドガを十分楽しめます。




ポール・セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』(1902/1906年)



こちらもおよそ40点もの同名作品があるセザンヌの代表作。故郷に近い「聖なる勝利の山」という名をもつこの山の風景を、セザンヌは生涯に渡って繰り返し描きました。



フィンセント・ファン・ゴッホ『サント=マリーの白い小屋』(1888年)



ゴッホが南仏アルルに滞在した折に立ち寄ったサント=マリーでの風景。青い空と黄色い歩道、建物の白い壁と赤い扉のコントラストが見事。




フェリックス・ヴァロットン『訪問』(1899年)


日本ではあまり有名ではありませんが、この夏に三菱一号館美術館で回顧展が開かれていたので記憶に新しい方も多いはず。ローザンヌに生まれ、パリとスイスで活躍した画家です。はっきりとした輪郭線は、浮世絵から影響を受けたと言われています。




フェルディナント・ホドラー『遠方からの歌』(1917年頃)


スイスの象徴主義を代表する画家、ホドラーの作品。パラレリズム(平行主義)の画家として知られています(といってもけっこうマニアックな画家ですが)。左右対称が生み出す独特のリズムが、見る者を惹き付けます。この作品もまた然り。遠くから異国の不思議な言葉とリズムが風に乗って聞こえてきそうな気がします。現在、国立西洋美術館(東京・上野)にてホドラー展が開催されています。併せてご鑑賞あれ。



オスカー・ココシュカ『恋人と猫』(1917年)


オーストリア出身の画家ですが、ココシュカの作品もよくスイスの美術館で見かけます。そして作曲家マーラーの未亡人アルマとの情熱的な色恋沙汰で知られるココシュカ。独特なタッチは、一度見たら忘れられません。



ヨハネス・イッテン『出会い』(1916年)


色彩論を学ぶとき、この名を避けて通ることはできないヨハネス・イッテン。芸術家であると同時に、バウハウス(近代美術史に欠かせないドイツの芸術学校)でも教鞭をとり、独自の色彩理論を展開しました。



ワシリー・カンディンスキー『黒い斑点』(1921年)



共感覚(音に色を感じたり、形に味を感じたりすること)を持っていたとされるカンディンスキーの作品。黄色がトランペット、濃紺がチェロ、黒はもっとも響きのない色を表現しています。まあ、言われてみれば、そんな気も。



ピート・モンドリアン『赤、青、黄のあるコンポジション』(1930年)



モンドリアンといえばこれ。黒の水平・垂直の線、三原色(赤、青、黄)そして白。この「コンポジション」シリーズは、1965年にイヴ・サンローランがミニドレスのデザインに取り入れ、「モンドリアンルック」として大ブームを巻き起こしました。アナログ作品なのにデジタルっぽい意匠が、今見ると何とも斬新。



マルク・シャガール『婚礼の光』(1945年)



シャガールが、愛妻ベラとの結婚式を描いたもの。ウイルス性の感染症が原因で急死したベラの死からシャガールはなかなか立ち上がることが出来なかったと言われています。その失意の中でこの作品は描かれました。幸福だった頃を思い出すことが、シャガールにとって唯一の慰みだったのかも知れません。

実はこの作品、長年レプリカが我が家の玄関に飾られていたのでした。不思議なもので、何の思い入れもなく毎日見ていたものが、なくなって再会すると急に懐かしさがこみあげてくるのです。或いは、私自身の子供時代の幸せな記憶と重ねて見ているのかもしれませんが。

だからどうしてもこのオリジナルをチューリヒで見たかったのですが、結局、東京で見ることになってしまいました。トホホ…。でも、まあ、日本に来てくれてありがとう、です。


■ おすすめ!ミュージアムグッズ






シャガールのクリアファイル発見!



チューリヒ美術館展 
印象派からシュルレアリスムまで


2014年9月25日(木)—2014年10月20日(月)
国立新美術館(東京)

2015年1月31日(土)—2015年5月10日(日)
神戸市立博物館(神戸)

            



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2014年10月8日水曜日

オルセー美術館展

「短かったけど、暑かったね、夏。」
サザンの名曲『稲村ジェーン』の映画サントラの最後に流れるセリフです。実は映画は見ていないのですが、擦り切れるほど聞いたCD。なんとも意味深なエンディングが印象的です。

…というわけで、今年の夏はあっさりと過ぎ去り、残暑がしつこく追いかけてくるのかと思えば、意外と鮮やかな引き際に少々肩すかしを食らったような。…って、夏の話ですよ、夏。

さて、涼しくなったところで、ちょっとお出かけしてみませんか。なんと今、東京にオルセー美術館が来ています!

そう、まさに美術館そのものが海を越えて来たかのように、オルセーが誇る名画がまるごと!日本で見られるのです。


■ ルーヴル美術館とオルセー美術館の違い


オルセーは、ルーヴルと並んで著名なパリの国立美術館ですが、開館は1986年、その歴史はわずか30年足らずの新しい美術館です。

1793年にナポレオン1世がかつての王宮を美術館として庶民に開放したルーヴル美術館に比べると、200年もの差があります。

展示作品数もルーヴルは35,000点、オルセーは4,000点であることから、その規模の違いも歴然としています。



■ オルセー美術館はなぜ印象派の宝庫?


しかし、この二つの美術館はまったく別の存在ではなく、ルーヴル美術館の絵画コレクションのうち、一部の例外を除き1848年(2月革命)〜1914年(第一次世界大戦)までの作品がオルセーに収められているのです。

1848年〜1914年といえば、新古典主義から印象派に移り行く激動の時代。オルセーが印象派の殿堂と呼ばれているのは、そんな理由があったのです。


では早速、珠玉の作品を見てみましょう。



エドゥアール・マネ『笛を吹く少年』(1866年)




「世界一有名な少年」などと呼ばれているこの作品、実は発表当時は批評家に「まるでトランプの絵札のようだ」と酷評されたサロン落選作です。

マネは、ベラスケスの『道化パブロ・デ・バリャドリード』(1635年/プラド美術館蔵)に感銘を受け、この作品を描きました。

また、日本の浮世絵の影響も指摘されており、単純化した輪郭線、プロマイド写真のように不自然なポーズは役者絵のようだとも言われています。

「世界一有名な少年」は日本の浮世絵のDNAも持っているのです。



フレデリック・バジール『バジールのアトリエ、ラ・コンダミンヌ通り』(1870年)




アトリエに集う男たち。ここは、バジールがルノワールと借りていたアトリエです。

ルノワール、モネ、バジール本人、そして『ナナ』や『居酒屋』で知られる作家エミール・ゾラの姿もあります。

ゾラは、なかなか世に認められない新進の画家たちの良き理解者でした。

壁にはルノワールや自身の実在の作品が描かれています(いずれもサロン落選作!それを描き込むとは、バジールの秘めた闘志を感じます)。

バジールは、1870年に普仏戦争に従軍するためにこのアトリエを引き払いますが、この作品はその直前に描かれました。

出征の前に、仲間と過ごした思い出の場所を描き残しておきたかったのでしょう。



ギュスターヴ・カイユボット『床に鉋をかける人々』(1875年)



オルセー美術館を語るのに、欠かせない人物、それがカイユボットです。

画家であると同時に資産家でもあった彼は、第1回印象派展を見て感銘をうけ、以後、印象派の画家として作品を発表します。同時に、不遇の仲間たちの作品を購入し続けることでその活動を支えました。

実はオルセー美術館の絵画コレクションは、カイユボットが買い集めた作品が礎となっています。

ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』、モネの『サン・ラザール駅』、マネの『バルコニー』、ドガの『エトワール』…世界中の人々が一目見ようとオルセーを訪れる目玉作品の数々。

これらはすべてカイユボットが所有していたものです。

近年、コレクターとしてではなく画家としての評価も高まりつつあり、昨年は日本で初の回顧展が開かれました。

(カイユボット展については、http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html?m=1をご参照ください。←クリックすると当記事にジャンプします)



アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』(1823年)



印象派の歴史に必ず登場する作品。しかし印象派ではありません。

ナポレオン3世が絶賛して買い上げたというこの作品は、アンチ印象派の代表作として引き合いに出されるのです。

サロン、官展、アカデミー、と様々な呼ばれ方をするフランス画壇ですが、その巨匠、新古典主義のカバネルが描いた神話のヴィーナスは、清らかさの中にも娼婦のような艶かしさを持っています。

当時は聖書や神話に基づく歴史画がヒエラルキーの頂点で、印象派などという新興芸術は愚の骨頂、というのが巨匠たちの一貫したポリシー。当然、カバネル先生も印象派を猛烈に批判しました。

しかし、時代の潮流が印象派を迎え入れるようになると一変して、こうした新古典主義と呼ばれる作風は「時代遅れで古くさい」という評価に。

いやはや、まさに「盛者必衰の理」をあらわしていますね。



ジャン=フランソワ・ミレー『晩鐘』(1857-1859年)




遠くの教会から聞こえる鐘の音に、貧しい農民の夫婦が作業の手を止め、神と大地に恭しく祈りを捧げるこの作品は、日本でも大変人気のある作品です。

謙虚さ、慎ましさ、といった日本人が古くから大切にしてきたものを、この情景は思い出させてくれるのかもしれません。

20世紀の巨匠サルバドール・ダリはこの絵を絶賛し、独自の解釈を展開しています。その真偽のほどには賛否両論ありますが。



クロード・モネ『かささぎ』(1868-1869年)



今回の展覧会での私のお気に入り作品。

真っ白い雪に覆われた何気ない風景の中に、まるで小さな点のような、かささぎ。それを置くことによって画面が引き締まり、無生物だけの空間に生命の温もりを感じさせます。

雪景色というのは当然白で表現していくわけですが、作家の力量が試されるモチーフでもあります。陰影の魔術師モネ(と私は勝手に呼んでいる)は、影の部分は青みがかった白、光を受けている部分はピンクがかった白、など、さらにそれらを何段階にもトーンを調整して塗り重ねています。さすがです。

輝くような画面の美しさは、ぜひ会場でお確かめください!



フレデリック・バジール『家族の集い』(1867年)



何気ない家族の憩いの場面、久々に集った親族が他愛もないおしゃべりに興じているうちに誰かがカメラを取り出し、ハイこっち向いて、ポーズ!…といった声が聞こえてきそうな作品です。

南仏のブルジョワ家庭に生まれたバジールは、医学を学ぶためにパリに上京しましたが、後に芸術を志し、ルノワールやモネらと共に印象派の一員となります。

しかし普仏戦争に従軍し、自らと仲間の成功を見ぬうちに1870年に戦死しました。29歳の早すぎる死でした。

何気ない家族の風景はいつもそこにあるわけではなく、あとになってからあれが最後だった、ということもあるでしょう。

バジールにとっても、これが最後の家族の集いだったのかも知れません。


■ パリの “Nouvel Orsay” 


 オルセー美術館は2011年秋に大規模な改装を終え、リニューアルオープンしました。壁の色や照明に徹底的にこだわり、印象派の鮮やかな色彩がより映えるようになりました。

セーヌ川河岸に立つオルセー美術館。


美術館には、作品が描かれたときと変わらぬ状態で保存し、後世に遺してく、という大切な使命があります。

外気にふれている限り、何もしなくても作品は自ずと劣化していくため、紫外線、湿度、温度をコントロールし作品をもっとも良いコンディションで保管できる設備が必須です。

今回のリニューアルでは、作品を保護しながらも鑑賞者が作品の魅力を存分に味わえる最新の技術が駆使されています。

さて、そんな “Nouvel Orsay(ヌーヴェル・オルセー=新しいオルセー)” に私が向かったのは改装まもない2012年の1月。錚々たる作品の数々に鳥肌がたつほどでした。



大きな時計が、駅舎だった頃を彷彿させます。


館内で唯一の撮影スポット。

向こうにはモンマルトルの丘が見えます。


というのも、世界が注目するオルセー美術館。今回の展覧会のように常に世界中に何かの作品が貸出されているのです。

しかしさすがリニューアル直後は、ほぼフルコレクションといってもいい完成度。

事実、その数ヶ月後に訪れた際は、「あれ?『晩鐘』は? 『ヴィーナスの誕生』は?」という状態でした。

今日も、パリのオルセー美術館では『笛を吹く少年』を探してさまよってる人が多くいることでしょう。


■ おすすめ!ミュージアムグッズ


今回も魅力的なグッズでいっぱいです。買ったものすべて紹介できないのが残念。そして、売り切れてたらごめんなさい!



銀座・伊東屋とのコラボノート&ペンケース。
大と小で迷いましたが、決められず大人買い。


エドガー・ドガ『バレエの舞台稽古』(1874年)
のポストカードを額装したもの。


そして私は、これから会期中3回目の鑑賞に向かうのであった…。



オルセー美術館展 
印象派の誕生-描くことの自由-


2014年7月9日(水)—2014年10月20日(月)
国立新美術館(東京)


            



↓ いつもご愛読いだたきありがとうございます!この秋も続々美術展をご紹介していきますので、引き続きお楽しみに。