2014年10月26日日曜日

チューリヒ美術館展

今年はスイスと日本の国交樹立150年ということで、スイスの美術館から優れた作品が続々来日しています!

■ スイスの美術館って…?


今回ご紹介するのは、チューリヒ美術館展。しかしスイスの美術館や画家、といってもあまりピンとこない方も多いかもしれません。



チューリヒの中心部を流れるリマト川。
二つの尖塔をもつ街のシンボル、グロスミュンスターが見えます。


ところが侮るなかれ、豊富な資産をもつ個人コレクターによる個人美術館にお宝がザクザク…それが世界の金融都市スイスの美術館の特徴なのです。


■ ズバリ、鑑賞のポイント。


先に鑑賞のポイントを申し上げておきますと…スイスの美術館にはパリやロンドンなどの著名な美術館にある誰もが知っている名画の「別バージョン」がひょいと陳列されていることがしばしば。これがとても面白い。

例えば、先日まで同じ館で開催していた「オルセー美術館展」に陳列されているモネや、セザンヌ、ドガの面白い作品が見られるのに、あちらは大混雑、こちらはゆったり。一度、ハシゴしましたが、笑っちゃうほどの差。オルセー展で印象派のメジャー作家の主要作品を押さえた方は、ぜひ訪れていただきたい展覧会です。(注:オルセー展は終了しています)

パリの華やかな美術館とは違って、スイスの(特にドイツ寄りの地域特有の)質実剛健とした美術館の雰囲気まで見事に再現されていますので、そんな空気も感じられると思います。

かくいうワタクシは何度もスイスを訪れているのですが、チューリヒ滞在中はなぜかいつも時間に追われ、美術館を脇目で見つつ「ぐぬ〜っ…今回も時間がない…っ」と泣く泣くその門をくぐることができぬまま、結局日本で見ることになってしまったのでした。(いったい何をやってるんだ…)



常宿は時計塔のすぐ近く。
鐘の音で目が覚めるのは、ヨーロッパならではの朝。


実はチューリヒ美術館には、どうしても見たい作品があるのです。そして、今回その作品が来日すると知ったときの私の驚きといったら!忘れられない展覧会となりました。

では、さっそく作品を見ていきましょう。



ジョヴァンニ・セガンティーニ『虚栄(ヴァニタス)』(1897年)


スイスの美術館に欠かせないのがセガンティーニ。アルプスの長閑な風景画が有名ですが、実はイタリア出身の画家です。そんなセガンティーニの異色の作品。乙女が水鏡を覗き込むとドラゴンが現れて…。ドラゴンは乙女の中に潜む虚栄と欺瞞の象徴として描かれています。風景画の中に、寓話をさりげなく織り込んだ「自然の中の不自然さ」がどことなく怖い作品。



クロード・モネ『国会議事堂、日没』(1904年)




モネの代表的な連作のうちのひとつ。20点を超える別バージョンがあります。モネは半年ほどロンドンに滞在したことがありました。後年、連作として制作したものです。しかし、モネが描くとどうしてもフランスの風景に見えてしまうんですけど…。




エドガー・ドガ『競馬』(1885/87年)



マネ、モネ、ドガ。だいたい印象派の画家って2文字の名前ばっかりでよくわからん…というあなた。大丈夫です。ドガ、といえば「馬と踊り子」。それだけ覚えておけば、ドガを十分楽しめます。




ポール・セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』(1902/1906年)



こちらもおよそ40点もの同名作品があるセザンヌの代表作。故郷に近い「聖なる勝利の山」という名をもつこの山の風景を、セザンヌは生涯に渡って繰り返し描きました。



フィンセント・ファン・ゴッホ『サント=マリーの白い小屋』(1888年)



ゴッホが南仏アルルに滞在した折に立ち寄ったサント=マリーでの風景。青い空と黄色い歩道、建物の白い壁と赤い扉のコントラストが見事。




フェリックス・ヴァロットン『訪問』(1899年)


日本ではあまり有名ではありませんが、この夏に三菱一号館美術館で回顧展が開かれていたので記憶に新しい方も多いはず。ローザンヌに生まれ、パリとスイスで活躍した画家です。はっきりとした輪郭線は、浮世絵から影響を受けたと言われています。




フェルディナント・ホドラー『遠方からの歌』(1917年頃)


スイスの象徴主義を代表する画家、ホドラーの作品。パラレリズム(平行主義)の画家として知られています(といってもけっこうマニアックな画家ですが)。左右対称が生み出す独特のリズムが、見る者を惹き付けます。この作品もまた然り。遠くから異国の不思議な言葉とリズムが風に乗って聞こえてきそうな気がします。現在、国立西洋美術館(東京・上野)にてホドラー展が開催されています。併せてご鑑賞あれ。



オスカー・ココシュカ『恋人と猫』(1917年)


オーストリア出身の画家ですが、ココシュカの作品もよくスイスの美術館で見かけます。そして作曲家マーラーの未亡人アルマとの情熱的な色恋沙汰で知られるココシュカ。独特なタッチは、一度見たら忘れられません。



ヨハネス・イッテン『出会い』(1916年)


色彩論を学ぶとき、この名を避けて通ることはできないヨハネス・イッテン。芸術家であると同時に、バウハウス(近代美術史に欠かせないドイツの芸術学校)でも教鞭をとり、独自の色彩理論を展開しました。



ワシリー・カンディンスキー『黒い斑点』(1921年)



共感覚(音に色を感じたり、形に味を感じたりすること)を持っていたとされるカンディンスキーの作品。黄色がトランペット、濃紺がチェロ、黒はもっとも響きのない色を表現しています。まあ、言われてみれば、そんな気も。



ピート・モンドリアン『赤、青、黄のあるコンポジション』(1930年)



モンドリアンといえばこれ。黒の水平・垂直の線、三原色(赤、青、黄)そして白。この「コンポジション」シリーズは、1965年にイヴ・サンローランがミニドレスのデザインに取り入れ、「モンドリアンルック」として大ブームを巻き起こしました。アナログ作品なのにデジタルっぽい意匠が、今見ると何とも斬新。



マルク・シャガール『婚礼の光』(1945年)



シャガールが、愛妻ベラとの結婚式を描いたもの。ウイルス性の感染症が原因で急死したベラの死からシャガールはなかなか立ち上がることが出来なかったと言われています。その失意の中でこの作品は描かれました。幸福だった頃を思い出すことが、シャガールにとって唯一の慰みだったのかも知れません。

実はこの作品、長年レプリカが我が家の玄関に飾られていたのでした。不思議なもので、何の思い入れもなく毎日見ていたものが、なくなって再会すると急に懐かしさがこみあげてくるのです。或いは、私自身の子供時代の幸せな記憶と重ねて見ているのかもしれませんが。

だからどうしてもこのオリジナルをチューリヒで見たかったのですが、結局、東京で見ることになってしまいました。トホホ…。でも、まあ、日本に来てくれてありがとう、です。


■ おすすめ!ミュージアムグッズ






シャガールのクリアファイル発見!



チューリヒ美術館展 
印象派からシュルレアリスムまで


2014年9月25日(木)—2014年10月20日(月)
国立新美術館(東京)

2015年1月31日(土)—2015年5月10日(日)
神戸市立博物館(神戸)

            



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2014年10月8日水曜日

オルセー美術館展

「短かったけど、暑かったね、夏。」
サザンの名曲『稲村ジェーン』の映画サントラの最後に流れるセリフです。実は映画は見ていないのですが、擦り切れるほど聞いたCD。なんとも意味深なエンディングが印象的です。

…というわけで、今年の夏はあっさりと過ぎ去り、残暑がしつこく追いかけてくるのかと思えば、意外と鮮やかな引き際に少々肩すかしを食らったような。…って、夏の話ですよ、夏。

さて、涼しくなったところで、ちょっとお出かけしてみませんか。なんと今、東京にオルセー美術館が来ています!

そう、まさに美術館そのものが海を越えて来たかのように、オルセーが誇る名画がまるごと!日本で見られるのです。


■ ルーヴル美術館とオルセー美術館の違い


オルセーは、ルーヴルと並んで著名なパリの国立美術館ですが、開館は1986年、その歴史はわずか30年足らずの新しい美術館です。

1793年にナポレオン1世がかつての王宮を美術館として庶民に開放したルーヴル美術館に比べると、200年もの差があります。

展示作品数もルーヴルは35,000点、オルセーは4,000点であることから、その規模の違いも歴然としています。



■ オルセー美術館はなぜ印象派の宝庫?


しかし、この二つの美術館はまったく別の存在ではなく、ルーヴル美術館の絵画コレクションのうち、一部の例外を除き1848年(2月革命)〜1914年(第一次世界大戦)までの作品がオルセーに収められているのです。

1848年〜1914年といえば、新古典主義から印象派に移り行く激動の時代。オルセーが印象派の殿堂と呼ばれているのは、そんな理由があったのです。


では早速、珠玉の作品を見てみましょう。



エドゥアール・マネ『笛を吹く少年』(1866年)




「世界一有名な少年」などと呼ばれているこの作品、実は発表当時は批評家に「まるでトランプの絵札のようだ」と酷評されたサロン落選作です。

マネは、ベラスケスの『道化パブロ・デ・バリャドリード』(1635年/プラド美術館蔵)に感銘を受け、この作品を描きました。

また、日本の浮世絵の影響も指摘されており、単純化した輪郭線、プロマイド写真のように不自然なポーズは役者絵のようだとも言われています。

「世界一有名な少年」は日本の浮世絵のDNAも持っているのです。



フレデリック・バジール『バジールのアトリエ、ラ・コンダミンヌ通り』(1870年)




アトリエに集う男たち。ここは、バジールがルノワールと借りていたアトリエです。

ルノワール、モネ、バジール本人、そして『ナナ』や『居酒屋』で知られる作家エミール・ゾラの姿もあります。

ゾラは、なかなか世に認められない新進の画家たちの良き理解者でした。

壁にはルノワールや自身の実在の作品が描かれています(いずれもサロン落選作!それを描き込むとは、バジールの秘めた闘志を感じます)。

バジールは、1870年に普仏戦争に従軍するためにこのアトリエを引き払いますが、この作品はその直前に描かれました。

出征の前に、仲間と過ごした思い出の場所を描き残しておきたかったのでしょう。



ギュスターヴ・カイユボット『床に鉋をかける人々』(1875年)



オルセー美術館を語るのに、欠かせない人物、それがカイユボットです。

画家であると同時に資産家でもあった彼は、第1回印象派展を見て感銘をうけ、以後、印象派の画家として作品を発表します。同時に、不遇の仲間たちの作品を購入し続けることでその活動を支えました。

実はオルセー美術館の絵画コレクションは、カイユボットが買い集めた作品が礎となっています。

ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』、モネの『サン・ラザール駅』、マネの『バルコニー』、ドガの『エトワール』…世界中の人々が一目見ようとオルセーを訪れる目玉作品の数々。

これらはすべてカイユボットが所有していたものです。

近年、コレクターとしてではなく画家としての評価も高まりつつあり、昨年は日本で初の回顧展が開かれました。

(カイユボット展については、http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html?m=1をご参照ください。←クリックすると当記事にジャンプします)



アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』(1823年)



印象派の歴史に必ず登場する作品。しかし印象派ではありません。

ナポレオン3世が絶賛して買い上げたというこの作品は、アンチ印象派の代表作として引き合いに出されるのです。

サロン、官展、アカデミー、と様々な呼ばれ方をするフランス画壇ですが、その巨匠、新古典主義のカバネルが描いた神話のヴィーナスは、清らかさの中にも娼婦のような艶かしさを持っています。

当時は聖書や神話に基づく歴史画がヒエラルキーの頂点で、印象派などという新興芸術は愚の骨頂、というのが巨匠たちの一貫したポリシー。当然、カバネル先生も印象派を猛烈に批判しました。

しかし、時代の潮流が印象派を迎え入れるようになると一変して、こうした新古典主義と呼ばれる作風は「時代遅れで古くさい」という評価に。

いやはや、まさに「盛者必衰の理」をあらわしていますね。



ジャン=フランソワ・ミレー『晩鐘』(1857-1859年)




遠くの教会から聞こえる鐘の音に、貧しい農民の夫婦が作業の手を止め、神と大地に恭しく祈りを捧げるこの作品は、日本でも大変人気のある作品です。

謙虚さ、慎ましさ、といった日本人が古くから大切にしてきたものを、この情景は思い出させてくれるのかもしれません。

20世紀の巨匠サルバドール・ダリはこの絵を絶賛し、独自の解釈を展開しています。その真偽のほどには賛否両論ありますが。



クロード・モネ『かささぎ』(1868-1869年)



今回の展覧会での私のお気に入り作品。

真っ白い雪に覆われた何気ない風景の中に、まるで小さな点のような、かささぎ。それを置くことによって画面が引き締まり、無生物だけの空間に生命の温もりを感じさせます。

雪景色というのは当然白で表現していくわけですが、作家の力量が試されるモチーフでもあります。陰影の魔術師モネ(と私は勝手に呼んでいる)は、影の部分は青みがかった白、光を受けている部分はピンクがかった白、など、さらにそれらを何段階にもトーンを調整して塗り重ねています。さすがです。

輝くような画面の美しさは、ぜひ会場でお確かめください!



フレデリック・バジール『家族の集い』(1867年)



何気ない家族の憩いの場面、久々に集った親族が他愛もないおしゃべりに興じているうちに誰かがカメラを取り出し、ハイこっち向いて、ポーズ!…といった声が聞こえてきそうな作品です。

南仏のブルジョワ家庭に生まれたバジールは、医学を学ぶためにパリに上京しましたが、後に芸術を志し、ルノワールやモネらと共に印象派の一員となります。

しかし普仏戦争に従軍し、自らと仲間の成功を見ぬうちに1870年に戦死しました。29歳の早すぎる死でした。

何気ない家族の風景はいつもそこにあるわけではなく、あとになってからあれが最後だった、ということもあるでしょう。

バジールにとっても、これが最後の家族の集いだったのかも知れません。


■ パリの “Nouvel Orsay” 


 オルセー美術館は2011年秋に大規模な改装を終え、リニューアルオープンしました。壁の色や照明に徹底的にこだわり、印象派の鮮やかな色彩がより映えるようになりました。

セーヌ川河岸に立つオルセー美術館。


美術館には、作品が描かれたときと変わらぬ状態で保存し、後世に遺してく、という大切な使命があります。

外気にふれている限り、何もしなくても作品は自ずと劣化していくため、紫外線、湿度、温度をコントロールし作品をもっとも良いコンディションで保管できる設備が必須です。

今回のリニューアルでは、作品を保護しながらも鑑賞者が作品の魅力を存分に味わえる最新の技術が駆使されています。

さて、そんな “Nouvel Orsay(ヌーヴェル・オルセー=新しいオルセー)” に私が向かったのは改装まもない2012年の1月。錚々たる作品の数々に鳥肌がたつほどでした。



大きな時計が、駅舎だった頃を彷彿させます。


館内で唯一の撮影スポット。

向こうにはモンマルトルの丘が見えます。


というのも、世界が注目するオルセー美術館。今回の展覧会のように常に世界中に何かの作品が貸出されているのです。

しかしさすがリニューアル直後は、ほぼフルコレクションといってもいい完成度。

事実、その数ヶ月後に訪れた際は、「あれ?『晩鐘』は? 『ヴィーナスの誕生』は?」という状態でした。

今日も、パリのオルセー美術館では『笛を吹く少年』を探してさまよってる人が多くいることでしょう。


■ おすすめ!ミュージアムグッズ


今回も魅力的なグッズでいっぱいです。買ったものすべて紹介できないのが残念。そして、売り切れてたらごめんなさい!



銀座・伊東屋とのコラボノート&ペンケース。
大と小で迷いましたが、決められず大人買い。


エドガー・ドガ『バレエの舞台稽古』(1874年)
のポストカードを額装したもの。


そして私は、これから会期中3回目の鑑賞に向かうのであった…。



オルセー美術館展 
印象派の誕生-描くことの自由-


2014年7月9日(水)—2014年10月20日(月)
国立新美術館(東京)


            



↓ いつもご愛読いだたきありがとうございます!この秋も続々美術展をご紹介していきますので、引き続きお楽しみに。




2014年8月21日木曜日

生誕200年 ミレー展 −愛しきものたちへのまなざし−


今年も暑い暑い夏がやってきました。ちょっと歩くだけで汗だくになるこの季節、つい外に出るのが億劫になってしまいますが、涼しい美術館で静かなひとときを過ごしてみませんか。

…といって、やって来たのは山梨県立美術館。ここは「ミレーの美術館」としてよく知られています。

現在、国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展」に『晩鐘』が来ていることでも話題になっているミレーですが、今年はミレーの生誕200年にあたります。それを記念して、大規模な展覧会が、「ミレーの美術館」こと山梨県立美術館で行われているのです。

それにしてもこの日の甲府もめっちゃ暑かった!しかし、美術館の周りの緑の美しさに思わず暑さを忘れてしまいます。



甲府駅からバスで約20分、美術館は緑豊かな「芸術の森公園」の中にあります。




壁面には美術館のシンボルであるミレーの肖像が。






■ 歴史画から農民画へ


日本人にとかく人気のあるミレーですが、そのイメージの中心はやはり農村の素朴な風景と人々の暮らしを描いた作品にあるといえるでしょう。しかし、ミレーの初期の作品を見ると、聖書や神話に基づいた歴史画が多く見受けられます。これは画壇のヒエラルキーの頂点、すなわち歴史画家になることを意識していたと考えられます。


ジャン=フランソワ・ミレー『聖ステファノの石打ち』(1837〜39年頃)
(トマ=アンリ美術館/シュルブール=オクトヴィル)


画壇で最も権威あるローマ賞に二度応募し、いずれも落選。
ローマ賞を獲得すると、イタリア留学の権利が与えられました。


ジャン=フランソワ・ミレー『アラブの語り部』(1840年)
(トマ=アンリ美術館/シュルブール=オクトヴィル)


ドラクロワを彷彿させるオリエンタリズムの香り漂う作品。
ドラクロワは、ミレーが大きく影響を受けた画家でした。

■ 肖像画家としてのミレー


ミレーは生涯に120点余りの肖像画を残しました。しかしそのほとんどが親しい人々を描いた個人的な作品で、生活のために描いたものはごくわずかだと言われています。特に印象的なのは、ミレーの最初の妻、ポーリーヌ・オノを描いた2作品。

最初の作品は若々しさと輝く瞳が印象的です。しかしどこか憂いを含んだ雰囲気も感じられます。続く2枚目は、結核により死が迫ったポーリーヌを描いたもの。若く輝く魂と、病に冒された青白い肌の肉体が、生と死の狭間で拮抗する様が見る者の胸に迫ります。ポーリーヌは、この作品が完成した年に24歳の若さでこの世を去ります。

ジャン=フランソワ・ミレー『ポーリーヌ・V・オノの肖像』(1841〜42年)
(山梨県立美術館)



ジャン=フランソワ・ミレー『部屋着姿のポーリーヌ・オノ』(1843〜44年)
(トマ=アンリ美術館/シュルブール=オクトヴィル)



■ バルビゾン村での創作活動


最初の妻を亡くした後、ミレーは再婚し9人の子供をもうけました。次第に作品は、家庭や親子の愛、素朴な農村での生活をテーマとしたものになっていきます。

ノルマンディーの寒村に生まれ、愛情豊かな家庭に育ったものの、相次ぐ身内の死によって次第に一家は離散、故郷を離れてパリ、バルビゾン村へと移り住むうちにその作品はいつしか画家の郷愁が込められたものに変わっていくのです。

また、ミレーがそうした作品を多く描くようになった1860年代は、17世紀のオランダ風俗画が再評価された時代でもあります。

画家の内面と、時代の新たな潮流が共鳴して、今日私たちがよく知るミレー作品が誕生したのです。


ジャン=フランソワ・ミレー『子どもたちに食事を与える女(ついばみ)』(1860年)
(リール美術館/フランス)


母鳥が餌を与えるかのような心温まる場面。
子どもも顎を突き出し、必死で食事を受け取ろうとしています。
後ろには、家族のために働く父親の姿が。


ジャン=フランソワ・ミレー『種まく人』(1847〜48年)
(ウェールズ国立美術館/イギリス)


5点存在する油彩画の『種まく人』のうちのひとつ。
10月には『ボストン美術館 ミレー展』で、
ボストン美術館バージョンが見られるので、ぜひ比べてみましょう!


ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い、夏』(1853年)
(山梨県立美術館)


想像より小さな作品ですが、精緻な筆使いで丁寧に描かれた作品です。
落ち穂拾いとは、地主がわざと大地に残した穀物を貧しい小作人が拾う習慣のこと。



美術館のすぐ向かいには、山梨県立文学館があります。



甲府に来たら絶対に食べたいほうとうの老舗「小作」。
美術館の目の前にもお店があります。




甲府駅前には、今話題沸騰中のNHK朝ドラ『花子とアン』の特別コーナーが。




村岡花子先生と記念撮影もできちゃいます。



あ〜、楽しかった!
帰りの列車の中では信玄餅アイスをいただきま〜す。





生誕200年 ミレー展 
—愛しきものたちへのまなざし—


2014年7月19日(土)—2014年8月31日(日)
山梨県立美術館(甲府)

2014年9月10日(土)—2014年10月23日(日)
府中市美術館(東京)

2014年11月1日(土)—2014年12月14日(日)
宮城県美術館(仙台)


            


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2014年8月6日水曜日

ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展ー印象派を魅了した日本の美

閑静な住宅街に隣接する大きな公園の中に、その美術館はあります。都会にありながら、緑の木々に覆われた空間は、まるで異次元に迷い込んだかのよう。真夏の強い日差しから逃れるように凉を求めて世田谷美術館にやってきました。



■ ボストン美術館発の“Looking East”


ここ数年、何度もボストン美術館展なるものが開催されていますが、その目玉作品が「伊藤若冲」であったり、「尾形光琳」「長谷川等伯」であるのはなぜか不思議に思いませんか。実はアメリカのボストン美術館は、世界随一の規模と質を誇る日本美術のコレクションで知られています。

なぜ、アメリカの美術館にそれほどの日本美術のコレクションがあるのでしょうか。

19世紀後半、明治政府は日本の近代化のために「お雇い外国人」なる人々を招致しました。中でもフェノロサ、モース、といった名は教科書で見た記憶のある方も多いことでしょう。フェノロサは哲学を、モースは動物学を、それぞれ教えるために来日しました。

ボストン近郊の出身である二人がふとしたことから日本美術に魅了され、滞在中に日本絵画、陶磁器などの美術品の収集を始めます。さらに、モースが帰国の折に行った日本文化についての講演に触発されて来日し、彼らと一緒に美術品の収集に加わったのが、ボストンの裕福な資産家であり医師のビゲローです。

フェノロサ、モース、ビゲローが収集した日本の美術品は3人に縁ある土地のボストン美術館に寄贈され、それが世界随一と言われる日本コレクションがこの地に存在する所以です。

今回の展覧会は、今年1月にテネシー州の美術館で始まった“Looking East(東をみつめて)”というボストン美術館の企画展のいわばワールドツアー。日本を経て、カナダ、サンフランシスコを巡る展覧会です。

21世紀、世界は日本美術をどう受け止めるのでしょうか。


■ 『ラ・ジャポネーズ』、実は「ラ・パリジェンヌ」


今回の目玉は何といってもモネの『ラ・ジャポネーズ』。40年ぶりの修復後、世界初公開となるこの作品をさっそく見に行きましょう!



クロード・モネ『ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)』(1876年)



縦およそ2.3メートルの大作です。何といってもまず目を引くのが金髪の女性が身にまとう鮮やかで豪奢な着物。金髪=西洋と、着物=東洋の組み合わせによるミスマッチ感が見る者を惹きつけます。

モデルは画家の最初の妻、カミーユ。彼女は本来褐色の髪ですが、着物とのイメージの対比を狙って意図的に金髪で描かれています。

『ラ・ジャポネーズ』(日本女性)の正体は、実は「ラ・パリジェンヌ」(パリ娘)。

ちょっぴりおどけたようなポーズをとるパリジェンヌは、この絵の完成から3年後に32歳の若さで亡くなっています。



■ ジャポニスムブームの背景


世界史を紐解けば、欧米におけるジャポニスムブームは何度も起こっているのですが(昨今の漫画ブームもそのひとつと言えます)、とりわけ18世紀後半のそれは、印象派の発展に大きな影響を与えたことから注目されることが多く、この作品もそうした時代の流れの中で生まれたものです。

しかしどんなブームにも仕掛けがあるように、ジャポニスムブームも万国博覧会という檜舞台が用意されてのこと。

鎖国が解かれ、世界に日本文化をアピールする必要を感じた幕府そして明治政府は、漆、浮世絵、など数々の日本の美術品を万国博覧会に出品し、これが大反響を呼びます。西洋の人々はその摩訶不思議な東洋の美術品に度肝を抜かれ、日本の品を扱った美術商は大変な盛況でした。

…とまあ、ここまでが一般的な解釈です。

しかし我々日本人は、生活様式、ファッション、食文化、ありとあらゆるものにおいて開国以来、西洋の背中を追いかけてきたのでは?

そもそも「お雇い外国人」の存在がそうです。外国人を雇ってまで日本は西洋の技術、芸術、文化を手に入れたかった。それなのに、西洋人が日本文化に熱狂するなんて、そんなことがあるのでしょうか。


■ オリエンタリズムの中のジャポニスム


一般的にジャポニスムは、西洋人の「東洋趣味」を表すオリエンタリズムのひとつとして捉えられています。この場合のオリエント=東洋とは、中東からアジアまでかなり広範囲を指します。国が違えば文化も当然異なるのですが、わかりやすく言えば、西洋人にとって西洋以外はすべてオリエント、という感覚でしょうか。

オリエンタリズムはE.W.サイードの同名の著書により広まった概念です。サイードはこのオリエンタリズム、すなわち「東洋趣味」は、純粋な憧れではなく、西洋人から見た東洋はしょせん未知で、野蛮で、異質なものに過ぎず、(常に西洋が征服し続けてきた東洋に対する)文化的優越感のもとに存在するもの、としています。

このサイードの論理をめぐっては様々な批判もあり、研究は続いていますが、あなたはどう考えますか?

私は…もう少し作品を見てから、お答えしましょう。


歌川広重『名所江戸百景 亀戸梅屋舗』(1857年)

ゴッホが模写したことでよく知られている作品です。


フィンセント・ファン・ゴッホ『花咲く梅の木』(1887年)
(ファン・ゴッホ美術館/アムステルダム)

※この作品は今回の展覧会には陳列されていません。


広重のオリジナルは淡い色調ですが、ゴッホの手にかかるとこんなにも鮮やかに。枝や花の特徴をよく捉えていまが、何と言っても印象的なのは、左右の拙い漢字です。ゴッホはこれを入れることによって、日本らしさを強調したかったのでしょう。


ゴッホといえば、今回はこちらの作品を見ることができます。


フィンセント・ファン・ゴッホ
『子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人』(1887年)



モデルは、ゴッホの有名な作品『郵便配達夫』の妻です。寡黙な夫人の肖像画ですが、夫の仕事を支える糟糠の妻に対するゴッホの深い畏敬の念が伝わってきます。ここでも赤と緑の補色が際立っています。


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『レスタンプ・オリジナル』
第1年次のための表紙(1893年)



モデルは、ロートレック作品におなじみの踊り子、ジャンヌ・アヴリル。洒落た帽子と優雅なコートは、彼女が成功者であることを物語っています。女性編集者さながらに版画の刷り上がりをチェックしている姿は、女性の知性と自立を象徴しているかのようです。


ジャポニスムは絵画のみならず、様々な美術工芸品にも見ることができます。


制作:ブシュロン社 デザイン:ポール・ルグラン『インクスタンド』(1876年)



今や高級ジュエラーが軒を連ねるパリのヴァンドーム広場に、最初に店を構えたのがブシュロンです。ナポレオン3世を始め、世界中の王侯貴族からの信頼を受けて現在も高級ジュエラーとして不動の地位を築いています。

このインクスタンドには、富士山や花魁など、日本を象徴するモチーフが随所に配され、七宝で艶やかに仕上げられています。散りばめられたモチーフのおもしろさを、ぜひ会場でお確かめあれ。



ティファニー工房 ルイス・カムフォート・ティファニー
『“葡萄蔓”デスクセット(箱、用箋カバー、ペン・トレイ、レター・ラック)』
(1899年〜1928年)




こちらも、かの有名なティファニー社のものです。今でこそジュエラーのイメージが強いティファニーですが、元々は文具と銀製品を扱う会社でした。ルイス・カンフォート・ティファニーは創業者の息子であり、芸術家としてもガラス工芸品を始め、優れた作品を残しています。


…と、いうことで、ボストンという異国の地に集められた作品群のごく一部をご紹介させていただきました。(日本の美術品の総収蔵数は10万点!)

西洋人の目を通すと、日本はこんな風に映ったのか!と、(今回実物は見られませんが)ゴッホの漢字のように、ちょっと笑ってしまうものもあれば、日本人より日本を知っているなぁ、と思わせるものもあり、かなり興味深い展覧会です。



■ オリエンタリズム、再び。


さて、ここでサイードの理論を振り返ってみましょう。

確かに西洋人の根底には歴史に培われた西洋文化至上主義が(現代においても)あると感じることが私は多いです。

しかし、どちらが上か下かという議論はナンセンスで、東洋という自分たちの外側の世界に神秘や、繊細さを見出し、それに魅了された西洋人が多くいたことは事実です。

そう、単純に「事実」なのです。

過度に誇るべきことでもなければ、卑下することでもない。
西洋文化至上主義は真実の一部かもしれないけれど、それが全てではない。

ちなみに、サイードはパレスチナ人です。


■ モネの「ジャポニスム」とは


モネは『ラ・ジャポネーズ』について、こんな言葉を残しています。

「あれはガラクタだ」

この絵を描いた当時、モネはまだ貧しい生活を強いられていました。世の中がジャポニスムに沸き立つのを見て、おそらく商業的な目論見もあって描いた所以のセリフなのでしょう。

確かに、『ラ・ジャポネーズ』は日本をとてもわかりやすく象徴した作品です。しかし、着物は華美でいまひとつ品格に欠けるものですし(花魁か役者が着る衣装との説あり)日本文化特有の「繊細さ」がすっぽり抜け落ちているように思えます。

しかし、こうしたわかりやすさこそが大衆に求められているということを、モネは計算してこの作品を描いたのではないでしょうか。

では、モネは日本文化の「繊細さ」を理解していなかったかというと、彼ほどその真髄に通じていた芸術家はいないかもしれません。

モネの代表作「睡蓮」シリーズは日本の嫋やかな美を投影したものであり、それらの作品が生まれるきっかけとなったジヴェルニーの自宅の庭にこそ、モネが日本をどう捉えていたかの答えがあるのです。



クロード・モネ『睡蓮の池』(1900年)





■ おすすめミュージアム・グッズ


し、信じられません…。
今年一番見たいと思っていた『ラ・ジャポネーズ』と、私が愛して止まないリラックマが夢のコラボ…。




うしろには好物のだんごを隠し持っています。


クリアファイルは2枚セット。背景のうちわもリラックマ柄…。


このリラックマコラボ商品は大変人気らしく、ぬいぐるみは初回入荷分は完売しています。8月下旬に再入荷※とのことですが、ぬいぐるみを買いがてら、もう一度『ラ・ジャポネーズ』に会いに行ってしまうかも。(ちなみに上のぬいぐるみは「ぶらさげぬいぐるみ」です。)

※2014年8月6日時点での情報です。リラックマコラボ商品の入荷情報は、販売元のサンエックス(株)HP(http://www.san-x.co.jp/rilakkuma/campaign/201406_boston_artgallery/)にてご確認ください。世田谷美術館へのお問い合わせはご遠慮ください。




ボストン美術館 
華麗なるジャポニスム展
印象派を魅了した日本の美

2014年6月28日(土)—2014年9月15日(月・祝)
世田谷美術館(東京)

【京都展】
2014年9月30日(火)—2014年11月30日(日)
京都市美術館

【名古屋展】
2015年1月2日(金)—2015年5月10日(日)
名古屋ボストン美術館

            

↓ 久々の更新になってしまいましたが、いつもご愛読ありがとうございます!





注)本文におきましては、「オリエンタリズム」(英語読み)「ジャポニスム」(フランス語読み)と表記しております。これは著作の邦訳タイトルおよび展覧会正式名称を尊重したためでありますことをご了承ください。