2014年1月18日土曜日

Bonne année! -新年によせて-

■ 恒例の富士山から


とっくに年は明けてしまいましたが、あけましておめでとうございます!



元旦の富士山。祝!世界遺産!恒例の河口湖の某温泉から。
毎年新年早々、親しい友人たちに撮りたてを送り「ウザうれしい」と好評(?)です。


■ 「人生を半分あきらめて生きる」ということ


のんびり新年を満喫していたら、いつの間にやら年が明けて早三週間。年が明けるということは、旧い自分を清算して新たに生まれ変われる気がして、清々しく気分がよいものです。今年は○○をやるぞ〜!と叶えたいことを思い描いた方も多いことでしょう。

さて、そんな方にいきなり水を差すようで申し訳ないのですが、新年早々に衝撃的な本に出会いました。その名も『人生を半分あきらめて生きる』(幻冬社新書/2012年)。明治大学文学部で心理学の教鞭をとる諸富祥彦氏の著書です。

このタイトルを見て、あなたはどう思いましたか?

なんとネガティブな!あきらめるなんて言葉は自分の辞書にない!…という方、あなたは大変幸せなかたです。きっといままで望んだものはほとんど手に入れてきたことでしょう。

どうぞそのまま24時間、365日、ポジティブに、情熱的に生きていってください。そして多分、今日の記事はあまりお役に立てないと思うので、また次回お会いしましょう。

それに対して、むむむっ、なんかちょっといいことが書いてありそうだぞ、というあなた。ぜひご一読をおすすめします。

私などは、このタイトルを見ただけで「あ、そっか。半分あきらめていいんだ」となぜか心が軽くなりました。

今日の日本は自由に見えて、実は不自由な社会です。つまり資本主義、自由主義に基づいて職業が自由に選択できる、夢を見ることは素晴らしい、がんばれ、がんばれ、と世間は鼓舞して無限の可能性を提示するけれど、現実は、超一流大学を卒業しても、正社員になることさえ難しい縮小社会。夢を見て破れた人の受け皿はありません。

そして、その結果を個人の選択に誤りがあったとして、「自己責任」という名で、個人に押し付ける社会。

こんな現在の日本で、夢を見て、夢を叶えて、それで食べていける人がいったいどれだけいるのか。

それなのに「がんばれ教」や「あきらめるな教」が氾濫している。この空虚で、無責任なポジティブシンキングに疲れている人が驚くほど多い世の中なんだとか。

しゃかりきにがんばることに疲れたら、思い描く「理想の自分」はちょっと脇に置いておいて、うまくいかないことから少し離れて様子を見てみる。そうしてまた力が湧いてきたら向き合えばいいし、必要がないものだったら手放す。この本を読んで、私なりに解釈した「あきらめる」とはそんな感じ。

でもこれって、実はいまの時代を生き抜く超ポジティブでハッピーな考え方なんじゃないかと思います。


■ ルノワールが描いた「幸せ」とは


ところで、多くの印象派絵画の舞台である19世紀のフランス社会は、アンシャンレジーム(旧体制)がいくつかの革命を経て形式上は崩壊したものの、ブルジョワという新たな「貴族」が登場した時代です。

2013年12月6日付記事「カイユボット展」にも書きましたが、ブルジョワは死ぬまでブルジョワ、労働者もまた然り。現代の日本は、見かけ上の極端な身分差はないものの、現実は格差社会であり、この点においてはこの時代のフランスと変わらないような気もします。

19世紀のフランスと現代の日本とのもっとも大きな違いは、個人に選択肢があるかないか。現代の日本はあらゆる事象において選択の自由が個人に委ねられています。ただし「自己責任」という重いくびき付きで。

無限の選択肢がある(ように見える)から、ベストアンサーを求めていつまでも彷徨ってしまう。どこまでいっても、いつまでたっても、何をやっても満足が得られない。

ひょっとしたら、無限の可能性と選択肢を与えられるということは、必ずしも人間を幸せにするとは限らないのかもしれません。


ピエール=オーギュスト・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1876年)
(オルセー美術館/パリ)



一見すると、華やかに着飾った男女。帽子をかぶり、上流階級の男女がダンスを楽しむ風景に見えます。ところが、この絵の主人公たちは皆、下層階級の労働者たち。絵の舞台は、今もパリのモンマルトルにある「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というレストランの庭です。


「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」とは「粉挽きの風車」という意味。


絵の中の若者たちは、毎日の過酷な労働を忘れるかのごとく、束の間の余暇を楽しんでいます。

この時代の労働者を描いた絵画は山ほどありますが、ルノワールはその悲惨な現実を敢えて「光」と「鮮やかな色彩」で覆い隠し、幸福そのものといった作品で人々に希望を与えたのです。

苦しみがあるから、愉しみが倍増する。生まれながらにしてそこそこの「お金」と「自由」を持った現代の日本人には麻痺してしまった感覚です。

この絵の主人公たちよりずっと豊かで、自由で、幸せなはずの現代日本人が、それを感じられなくなっているというこの現実は何を物語っているのでしょうか。

まさに「幸せ」とはなにか、を考えさせられる一枚です。



レストラン「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」にて。
このドアの向こうに絵の舞台があります(現在はかなり小さくなっていますが)。


さて、今年も素晴らしい美術展が目白押し!新年早々、(私にとって)曰く付きの、待望の、あの絵がやってきます!





どう曰く付きなのかというと…乞うご期待!




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