2013年5月7日火曜日

The color story - Red -


今回は、新刊が売切れ続出、ノーベル文学賞にもっとも近くて遠い、日本が誇る世界の村上春樹の小説から「赤」にまつわるお話を。

17歳のとある昼下がり。次の授業は退屈きわまりない数学だったので、私はその45分間をやり過ごすための本を探しに、学内の書店に行きました。そのときふと赤い表紙が目について手に取ったのが、『ノルウェイの森』。

ハードカバーの赤と緑の上下巻が巷のあらゆる書店に並んでいて、ものすごく売れていることは知っていましたが、そのシンプルな表紙がとっても大人っぽくって、近づきがたく、聞いたところによると内容も刺激的(!)らしいので、手に取るのをためらっていたのでした。

当時はすでに文庫になっていたので、「しめしめ、これなら教科書の下に隠して読めるぞ…」と何気なく買い、文字通り教科書の下に隠して読み始めました。するといつの間にか、数学教師の声は遥か遠く、気がつくと次の授業が始まっていました。あれほど、引き込まれて読んだ小説は後にも先にもありません。

それから村上作品はほとんど読み尽くし、特に「ノルウェイの森」は何度も読み返し、やはり文庫ではなくあの美しいハードカバーが欲しくなって買い揃えたりしていたのですが、時が経つにつれ、本棚の奥にしまったままになっていました。



昔のハードカバー版には金の帯。
帯には「言い尽くされた言葉より、心に残るこの物語を」
…泣けます。


「赤」は、生命の根源を表す色です。色彩心理の知識がなくても、赤から連想するフレーズの筆頭に挙がるのは、「血」や「愛」など。いずれも人が生きていくにはなくてはならない、根本的な要素です。身近な人間を亡くしても、それでも生きていかなければならない残された者の喪失感を描いたこの小説の装丁は、(その意図があったかどうかわかりませんが)やはり交じり気なしの、シンプルで、純粋な「赤」がしっくりくるのです。

「…我々は生きていたし、生きつづけることだけを考えなくてはならなかったのだ。」最後のシーンの一節。これはまさに「赤」のメッセージそのものです。

いま、なぜこの本が気になったのか、自分でもよくわかりません。あの17歳の昼下がりにふと手に取ったのと同じように、何気なく手に取り、読み始めました。すると、世界のあらゆる音が遠ざかり、古びた教室の窓枠だとか、友達の告白につきあって男の子を待ち伏せした雨上がりの路地だとか、もっと大人になってからの様々な出会いと別れと、また出会い、そしてやがて来る別れ、だとかそんなものが一切合切押し寄せてきて、久々にぐっと胸に迫る苦しい想いを味わいました。


最近の文庫上下巻。下巻の帯には
「どこにもない場所とは だれにでもある場所のことだ。
あるときにはこの物語があなたを導く。深い心の森のように」
…これまた泣ける。



大人になるとちょっとした感傷には流されない術を自然に身につけているものだし、またそうしないと生きていけないことを知っているから、目を逸らしてきた日々の澱のようなものが本当は出口を探していて、無意識にこの「赤」い本を再び呼び寄せてしまったのかも。洋服であれ、本であれ、「赤」は、心身が極度に疲労していたり、内側に怒りをためていたり、とにかく生きるエネルギーを欲しているときに選びやすいのです。

…というわけで、好き嫌いではなく、その時々によって気になる色は変わります。つまり「今、気になる色」=「今の自分を映し出す鏡」といえます。今、どんな色が気になるかによって、自分を知る手がかりとなるのです。

あなたは今、どんな色が気になりますか?

ところで、初めて読んだ頃は、主人公のワタナベ君、直子、ミドリでさえ年上だったのに、いつのまにか、回想するワタナベ君やレイコさんに近づいてしまった…。でも今回読み直して、若い頃には気づかなかった大人のこの二人の痛みや、失ってきたものに共感できたからこそ、昔読んだときとはまた別の意味をもって大切な作品になりました。

それにしてもこのコーナー、「本の表紙とわたし、時々色の話」みたいになってますね。ちなみに、この作品も映画化されてますが、こればっかりはとても見る勇気がありません。



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