2014年5月1日木曜日

アンディ・ウォーホル展

GWにオススメの美術展をもうひとつご紹介。ミスター・ポップ・アート、アンディ・ウォーホルの展覧会です。



昨年秋に国立新美術館で開催された「アメリカン・ポップ・アート展」にもウォーホル作品が多数出ていたので、記憶に新しい方も多いはず。

(「アメリカン・ポップ・アート展」についてはこちらの記事をご参照くださいませ→http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html?m=1)

しかし今回はウォーホル単独の展覧会。1950年代に商業イラストレーターとして成功を治め、その後美術界へ転身、58歳でその生涯を終えるまでの様々な作品を振り返ることができます。

グラフィック作品だけでなく、「ファクトリー」と呼ばれた彼のアトリエの再現コーナーもあります。部屋全体をアルミで覆ったかのような銀色の空間は、まさに無機質な工場さながら。2次元だけでなく、3次元でもウォーホルの世界を堪能できます。

特に必見なのは、「タイムカプセル」と名付けられた彼の遺品の数々。モノを捨てられない性格だったのか、自らの生きた軌跡を意図して残したものなのか、諸説ありますが、ダンボール箱569個から選りすぐられた約300点が展示されています。

中でも注目すべきは、日本文化に関する品々。浮世絵から地下足袋(!)まで、驚きのコレクションは必見です。

ところで、今回の展覧会のサブタイトルは、「永遠の15分」。何ともミステリアスではありませんか。

これは、「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」というウォーホルの言葉に由来するもの。

ウォーホルは、数々の名言を残しています。しかしその言葉の数々は、なるほど!と思わせるものもあれば、彼の作品、いや彼の人生と同じくミステリアスなものも。だからこそ、半世紀以上経った今も人々の関心を集めてやまないのでしょう。

では、ウォーホルの名言をたどりながら、謎に満ちた天才アーティストの作品をさっそく見てみましょう。


■ 「僕のことが知りたければ表面だけ見ればいい。裏側にはなにもないから。」


 アンディ・ウォーホルは1928年、東欧からの移民ウォーホラ家の三男としてアメリカ・ピッツバーグに生まれました。大学で絵画デザインを専攻したのち、ニューヨークで商業イラストレーターとして「ヴォーグ」などのファッション誌や広告を数多く手がけ、成功を収めます。


アンディ・ウォーホル『ブロッテド・ライン・ドローイング』(1950年代)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


ブロッテド・ラインという独自の転写方法で描いた婦人靴の広告。
半世紀以上も前とは思えない斬新さに驚き。


イラストレーター、画家、映像監督、プロデューサー、と様々な顔をもつウォーホル。実は容姿にコンプレックスがあったとか。様々な仮面で本当の自分を覆い隠し、そして生まれたのがこの言葉なのかもしれません。


アンディ・ウォーホル『自画像』(1986年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)




商業イラストレーターとして人気を集めたウォーホルは、1950年代の半ばに世界一周旅行に出かけます。この当時で世界一周できるほどの財を成すということは、大変な売れっ子だったという証です。

その旅行で来日したウォーホルは、京都の金閣寺の美しさに圧倒され、その影響か帰国直後に金箔を使った作品をいくつも残しています。


撮影者不明/東京観光記念写真(1956年)


向かって右から2番目がウォーホル。こうして見ると、天才アーティストというよりも真面目なサラリーマンという感じ。
しかし、はとバスも横文字にするとカッコいいですね。


アンディ・ウォーホル『天使』(1957年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


金閣寺の影響とも言われる黄金の天使。


■ 「なんでオリジナルじゃなきゃいけないの?」


1960年代に入ると、ウォーホルはそれまでの成功をあっさりと捨てて、アーティストへの転身を図ります。そこでキャンベル・スープ缶や、マリリン・モンローをモチーフにした有名なシルクスクリーン作品の数々が生まれます。

(これらの作品についての詳細は、コチラの別記事をご参照くださいませ→http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html?m=1)

今回の展覧会でも、もちろんこれらの代表作を見ることができます。

キャンベル・スープ缶は、アメリカ人にとっての日常です。しかし我々日本人には、初めから「ちょっとオシャレな缶詰」として映ります。キャンベル・スープ缶とアメリカ人の関係は、例えて言うなら、はごろもシーチキン缶と日本人のようなもの。

ある日、はごろもシーチキン缶が、反復され複製される巨大なシルクスクリーン作品になってアナタの目の前に現れたとしたら…。そりゃあ、「何じゃこりゃ??」となりますよね。

実は、このキャンベル・スープ缶のアイデアは、キャンベル社からのDMの図柄をそっくりそのまま模倣したものと言われています。

う〜ん、現代だったら様々な問題がおこりそうなエピソードですが、ウォーホルの手によって、キャンベル・スープ缶はもはやオリジナルを越えた存在になったことは確かです。

一点モノの作品と異なり、一度型を作ってしまえば簡単に複製することができるこの一連の作品群は、まさにアメリカの大量消費社会の象徴とも言われ、ウォーホルは一躍時代の寵児となりました。

キャンベル・スープ缶のみならず、マリリン・モンローやエリザベス・テイラー、毛沢東などの超有名人をモチーフにする一方、個人に向けた「注文肖像画」の制作にも取りかかります。

大量生産可能なシルクスクリーンとはいえ、一点モノであるということが顧客を喜ばせるということも熟知していたウォーホルは、一枚の写真をベースに様々に彩色した別バージョンを作成し、これが大成功を収めます。

アーティストにして敏腕営業マンの顔をも垣間見ることができます。


アンディ・ウォーホル『坂本龍一』(1983年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


坂本教授、わ、若い!
ワインの粗品カレンダー用に作られたもの。


アンディ・ウォーホル『マイケル・ジャクソン』(1984年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


この衣装、どの曲のだか、すぐわかりますね。



アンディ・ウォーホル『アレサ・フランクリン』(1986年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


クイーン・オブ・ソウル、アレサの肖像。
思わず頭の中を「respect」が流れます。


■ 「謎を残したいんだ」


意図があるようでいて、なく、ないようでいて、ある。ウォーホルの作品への感想です。見れば見るほど、知れば知るほど、その謎は深まるばかり。

この自画像のように、迷彩に素顔を隠した天才は、謎を解くように鑑賞者に誘うのです。

僕を、解けるものなら解いてごらん、と言わんばかりに。


アンディ・ウォーホル『自画像』(1986年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)






アンディ・ウォーホル『広告:アップル』(1985年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)



そして今日も私はこのリンゴの世話になるのであった。


■ 「アンディ・ウォーホル展」おすすめミュージアム・グッズ


「アメリカン・ポップ・アート展」で2000円のブロックメモを購入するという暴挙(?)に出た私は、今回は自粛…の予定が、買ってしまったんだな、やっぱり。


         

キャンベル・スープ缶のクリアファイルは内側がメタリックでカッコイイ!
マリリン・モンローのはダブルクリア・ファイルになっていて、内側はモンローづくしです。

          

チケット・ホルダーは仕切りがついていて、めっちゃ便利!



アンディ・ウォーホル展
永遠の15分

2014年2月1日(土)—2014年5月6日(火)
森美術館(東京・六本木)

            

↓ ↓ 今年はあんまりゴールデンではない連休なので、ちょっとしたお出かけのご参考になれば嬉しいです。いつもご愛読ありがとうございます!



2014年4月28日月曜日

ザ・ビューティフル -英国の唯美主義1860−1900


■ いよいよクライマックスへ!


一昨年の英国水彩画展、昨年のターナー展、そして今年のラファエル前派展と、英国美術展が立て続けに開催され、ここ数年、日本の美術界ではちょっとした英国ブーム(?)だったわけですが、それもいよいよ「ザ・ビューティフル」展でクライマックスを迎えます。

ところで…

そもそもイギリスって、イタリアやフランスほど有名な画家が多くないことに、皆さんも何となくお気づきではないですか。

実は、宗教と深い関係があります。

イタリアやフランスはカトリックの国なので、その教義に沿う形で宗教画を始めとする芸術文化が発達しました。ところが、イギリスはヘンリー8世が(離婚が許される)イギリス国教会に改宗してしまったため、宗教画はイマイチ発展しませんでした。

その代わりに流行したのが、風景画や道徳的教訓を込めた風俗画(この点はフランドル絵画にも通じるものがありますね)。イタリアやフランスとは異なる発展を遂げたのが、イギリス絵画です。


訪れたのは、実はまだ桜が咲く前でした…


しかし、概して芸術というよりはむしろ実用性、生産性を国策として重視した結果、ご存知のようにイギリスには産業革命が起こります。おかげで人々の生活は便利で豊かになりました。

ところが、あるときふと彼らは気づくのです。

自分たちの身の回りのモノは確かに便利だけど、ちっとも美しくない、と。

そのきっかけとなったのが、1851年のロンドン万博でした。ここでイギリスは、自国の製品がいかに(便利ではあるが)野暮ったいかを思い知らされる結果となるのです。


■ ラファエル前派から唯美主義へ


これじゃいかん!と立ち上がった芸術家たちのうち最も重要な人物のひとりが、ウィリアム・モリス。「生活に美を」というスローガンの下、ロセッティ、バーン=ジョーンズらと共に「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立し、室内装飾という概念を世に広めます。


エドワード・バーン=ジョーンズ『室内履きのデザイン』(1877年)
(個人蔵)



それにしても、日用品に芸術を取り入れようとは、いかにも産業革命の国、イギリスらしい発想ではありませんか。

ちなみに、現在もロンドンにある老舗の百貨店リバティは、もともとは日本をはじめとする東洋の美術品を輸入、販売することから始まりました。中流階級の家庭にも手が届く価格で優れたデザインの室内装飾品を提供し、人気を博しました。




花柄の「リバティプリント」でも有名な百貨店リバティ。
テューダー様式の建物がカワイイ!
せっかく行くなら、ライトアップされた夜がおすすめ。


ところで、あれれ?ロセッティやバーン=ジョーンズって、画家じゃなかったっけ、というアナタ、その通りです。

彼らはラファエル前派のメンバーでしたが、1850年頃からラファエル前派が掲げる古典への懐古主義の行き詰まりを感じ、新たな作風を模索していました。(ラファエル前派については、コチラの別記事をご参照くださいませ→
http://salondeangeaile.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html?m=1)


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『愛の杯』(1867年)
(国立西洋美術館、旧松方コレクション/東京)



そこで登場するのが、唯美(ゆいび)主義です。唯美主義とは、ざっくり言ってしまうと、ただ美しくあることだけを追求すること。

宗教画や神話画を鑑賞するときのような知識は必要とせず、ただ感性に訴えかける美しさだけを最高のものとする、という概念です。



アルバート・ムーア『真夏』(1887年)
(ラッセル=コート美術館)




宗教や神話の世界から解放された自由な表現は、その後、フランスでも流行しました。それが印象派です。

第1回の印象派展は1874年ですから、19世紀の半ばという時代はそれまで当たり前とされていた価値観が覆され、世紀末から新しい世紀に向かって大きく動き出す「時代の空気」のようなものがヨーロッパ中に漂っていた時代といえそうです。



■ ジャポニズムの流行


この時代のヨーロッパのもうひとつの大きな特徴は、ジャポニスムの流行です。日本の浮世絵がフランスの印象派に与えた影響は限りなく、ゴッホやマネを始め多くの画家にインスピレーションを与えました。



エドワード・ウィリアム・ゴドウィン
『アングロ・ジャパニーズ様式の室内にいる人物』(19世紀後半)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)


なんでこうなるの…と日本人なら思わず言いたくなってしまうのですが、
これをまじめにイギリス人画家が描いている姿を想像するとちょっと面白い。


 エドワード・ウィリアム・ゴドウィン
『アングロ・ジャパニーズ様式の家具デザイン』(1875年頃)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)


映画「ティファニーで朝食を」の主人公ホリー・ゴライトリーの

隣人で日本人のユニオシ氏(こんな名前の日本人はいない!)が住む家っぽい。


実はヨーロッパにおけるジャポニスムは、それまでも何度も流行しています。

例えば18世紀に遡ると、マリー・アントワネットは漆器のコレクターでしたし、食器で有名なドイツのマイセンは日本の陶磁器を模倣するため国王が錬金術師を監禁して作らせたのが始まりです。

先ほどご紹介した百貨店リバティの誕生も、ジャポニズムの流行が大きく関わっているのです。

西洋かぶれ、という古い言葉にあるように、我々日本人はいつの時代も欧米コンプレックスが拭えない国民性であるようです。しかし、その奥ゆかしさも程々にして、自国の文化にもっと誇りを持とうではありませんか!(と、西洋絵画かぶれの私が言うのも何ですが)



■ ワイルドとビアズリー


唯美主義を語るに欠かせない人物は、画家だけではありません。

もともとラファエル前派の熱狂的な支持者であった文豪オスカー・ワイルドと、その戯曲『サロメ』の挿絵を描いて一躍有名になったオーブリー・ビアズリーの存在も、非常に大きなものでした。

彼らが登場するのは1890年代、退廃的なムードが漂い、いわゆるデカダンスといわれる時代です。

オーブリー・ビアズリー
『クライマックス—サロメ』(1894年初版)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)




ワイルドが書き上げた『サロメ』はフランスの大女優サラ・ベルナールが主役を演じたいと申し出るほどの人気を博しましたが、やがてワイルドは同性愛の罪で投獄され、出獄するも失意のまま亡くなります。(サラ・ベルナールについてはコチラの別記事をご参照くださいませ→http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html?m=1)

このスキャンダルによって、ビアズリーも巻き添えとなり、失業したのち25歳の若さで亡くなります。

ところで、この『サロメ』、もともと旧約聖書の話なのですが、男を破滅へと追いやる「ファム・ファタル(運命の女)」として様々な画家が好んで描いたテーマでもあります。

ファム・ファタルについては、いつか書きたいと思っているので、またの機会に詳しくご紹介いたします。


■ ただ、美しさを感じてみてください。


さて、話を印象派に戻すと、日本人に人気がある理由のひとつとして、感性で鑑賞できる、という点が挙げられます。キリスト教の知識がなければ理解が難しい古典絵画と違い、テーマも身近です。

そしてこの唯美主義の絵画も、印象派絵画のように、感性で鑑賞できるのが魅力のひとつです。

印象派に比べ、耳慣れない「唯美主義」ですが、余分な知識は置いておいて、「ただ美しさを追求したもの」というワンフレーズだけを携えて、さぁ、GWは三菱一号館美術館へ!




ビアズリーのミニファイルがオシャレ




ザ・ビューティフル
—英国の唯美主義 1860-1900

2014年1月30日(木)—2014年5月6日(火)
三菱一号館美術館(東京・丸の内)



            

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2014年3月6日木曜日

モネ、風景を見る眼 -19世紀フランス風景画の革新


会期の終わりが近づくと、平日であろうが、冷たい雨の日であろうが、なぜか美術館は混むものです。そして、二重になった人々の頭の隙間から名画を必死にチラ見しながら「もっと早く来れば良かった…」と後悔するのです。

今回訪れたのは、モネ展。昨年の7月からのポーラ美術館に次いでの巡回展です。ポーラ美術館だって(場所は箱根で少々距離はありますが)何度も行っているのでそれほど面倒なことではないのだけれど、ここまであたためてしまった私。


3月だというのに、気温6℃!寒い!




というのも、この展覧会は海外から作品の貸出しを受けたものではなく、主催する国立西洋美術館とポーラ美術館が所有しているものが中心なので、何となく「いつか見られるさ」という気がしてしまっていたのです。

しかし「いつか」は自分が動いてチャンスをつくらなければ、永久に来ないもの。そもそも、所蔵はしていても作品保護の関係で常に展示しているとは限りません。むしろ有名どころはこうした機会でないと見られない場合が多いのです。


■ 印象派はモネから生まれた


1894年、パリのカプシーヌ大通りにある写真家ナダールのスタジオで、当時の画壇(サロン)に認められなかった新進気鋭の画家たちが集まり、無審査の展覧会を開きました。それが、第一回印象派展です。

このとき、モネが出品していたのが『印象、日の出』(1872年/マルモッタン美術館/パリ)です。この作品を見た新聞記者が「これは単なる印象でしかない」と酷評したことから、このグループは「印象派」と(やや皮肉を込めて)呼ばれるようになりました。(2013年11月24日付記事『印象派を越えて-点描の画家たち-』を併せてご参照ください)


その記念碑的な作品『印象、日の出』に非常に良く似た作品がこちらです。


クロード・モネ『セーヌ川の日没、冬』(1880年)
(ポーラ美術館)


ただし、こちらは日の出ではなく日没なのですが。


■ 工業化がもたらしたもの


印象派を語るに欠かせない重要な要素は、19世紀の工業化がもたらした近代化です。パリ近郊にも工業地帯が現れ、蒸気機関車の発達は人々にレジャー文化をもたらしました。そしてそれは画家にも大きな影響を与えました。


クロード・モネ『サン=ラザール駅の線路』(1877年)
(ポーラ美術館)


モネが描いたサン・ラザール駅で最も有名な作品は、
オルセー美術館にあります。
もくもくと広がる蒸気を巧みに表現した作品です。



そして、19世紀の半ばにチューブ入り絵の具が発明されます。それまでは、絵の具は作り置きが難しく、豚の膀胱を原料とした革袋や、注射器のようなガラスに入れたり、試行錯誤が繰り返されますが、なかなか扱いが難しかったのです。

錫製の使い捨てチューブ絵の具が発明されたことによって、画家はアトリエを飛び出して、戸外で作品を制作することが可能になりました。蒸気機関車で移動して、郊外の景色を描くことも夢ではなくなったのです。


ウジェーヌ・ブーダン『トルーヴィルの浜』(1867年)
(国立西洋美術館)


モネの師匠ブーダンの作品。
上流階級の人々が海辺で寛ぐ様子を描いたもの。
現代のビーチの風景とはまったく異なる光景ですね。


アカデミー(画壇)には古くからヒエラルキーが存在し、もっとも権威あるテーマが宗教画と歴史画で、風景画は取るに足らないものという認識が根強くありました。

印象派の絵画にも様々なテーマがありますが、とりわけ風景画の評価を後世において高めたことは大きな功績のひとつであると言えます。


クロード・モネ『雪のアルジャントゥイユ』(1875年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))


先日の大雪を思い出させます。



クロード・モネ『グランド・ジャット島』(1878年)
(ポーラ美術館)

 グランド・ジャット島は、週末になると多くの人が集まる
人気のレジャースポットでした。スーラの点描画が有名です。



クロード・モネ『花咲く堤、アルジャントゥイユ』(1877年)
(ポーラ美術館)


夕方に川べりを散歩していたら花畑を見つけた、というような
ノスタルジックな気持ちにさせる一枚。
川の向こうには工場の噴煙が。


■ 移ろいゆく光、そして影


印象派の画家たちが、キャンバスに再現したかったもの。それは光と影でした。特にモネは一日の間で同じ場所でどのように光の変化が現れるか、実験的な作品をいくつか残しています。積みわらをテーマにした作品群もそのひとつ。朝から夕方まで、そして季節によって刻々と変化する積みわらをまるで連続写真のように描いたうちの一枚です。


クロード・モネ『ジヴェルニーの積みわら』(1884年)
(ポーラ美術館)




 ■ 松方コレクションとは


さて、まずはモネの作品を中心にじっくりとご覧いただきましたが、クレジットにある「松方コレクション」とは一体なんなのでしょう。

川崎造船所の社長、松方幸次郎(1865-1950)は、二度にわたり首相を務め日銀の創設などで知られる明治の政治家・松方正義の三男として生まれました。

豊富な資金を元に次々と名画をコレクションし始めますが、折しも東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)には西洋画の学科が設けられたものの、本物の洋画に触れたことがほとんどない学生にとって秀逸な作品を制作することは至難の技でした。

そこで松方は、ロンドンそしてパリに渡り、名画を買い漁ります。やがて、松方がゴーギャンが好きだと言えば、パリの画商たちはヨーロッパ中を駆け巡ってゴーギャン(ゴーガン)を仕入れる、という現象まで起こります。


ポール・ゴーガン『海辺に立つブルターニュの少女たち』(1889年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))



そんな中で松方が出会ったのが、モネでした。モネはジヴェルニーのアトリエ兼住居に、眼を見張るほど素晴らしい作品を多数所有していましたが、決して手放そうとしませんでした。

しかし、松方は、「日本で美術を学ぶ貧しい学生たちのために作品を譲って欲しい」と懇願し、交渉した結果、なんと18点を譲り受けることが出来たのです。


クロード・モネ『睡蓮の池』(1899年)
(ポーラ美術館)


モネは終の住処となるジヴェルニーの邸宅に
藤や芍薬などを植えた日本風の庭を自ら作り、
浮世絵のコレクターだったこともよく知られています。


ところがその後、会社の経営不振からコレクションは散逸し、第二次世界大戦でロンドンに残していた作品は焼失、パリに残していた作品は敵国財産として接収されてしまいます。

二度と戻らないと思われたコレクションでしたが、1951年のサンフランシスコ平和条約の調印後、首相の吉田茂はフランス政府にコレクションの返還を求めます。

フランス政府は、コレクションを所蔵、公開する国立美術館の設立を条件に、返還を認めました。こうして、1959年、上野に国立西洋美術館が誕生したのです。

返還が容易に認められた背景として、ベトナムからの撤退などでアジアに於けるフランスの存在感が揺らぎ始めていたため、フランスはその存在感をアピールする必要がありました。

こうした政治的な思惑がありながらも、松方のコレクションが基本となり、国立西洋美術館は現在5,600点以上の作品を擁する国立美術館へと成長を続けているのです。


ピエール・オーギュスト・ルノワール『木かげ』(1880年頃)
(国立西洋美術館(松方コレクション))


ルノワールの作品にしては珍しい無人の風景画です。


クロード・モネ『舟遊び』(1887年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))

人物と、水面に映る影の構図が絶妙。


クロード・モネ『睡蓮』(1916年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))

 
モネが生涯で描いた睡蓮モチーフの作品は200点以上。
こちらは昭和37年以来、門外不出となっている作品。


モネと国立西洋美術館、いや日本の西洋美術の歴史とのつながりを体感しに、ぜひ今週末は上野へ!


■ おすすめミュージアムグッズ


…と、ここで新コーナー(?)、おすすめミュージアムグッズをご紹介します!

今回はやはり睡蓮モチーフがメイン。中でもグッズの王道、クリアファイルがおすすめ。A4クリアファイルが2種類あります(シングルタイプ)。あとは『散歩』または『舟遊び』モチーフのA5ノート。私は『散歩』を選びました。



A4クリアファイル 各税込¥400
     A5ノート 税込¥483


ミュージアムショップで合計¥3,000以上購入すると、左下のバッグがもらえちゃいます。(数に限りがあると思われますので、ショップでご確認ください)



図録 税込¥2,300

写真では分かりにくいのですが、
庭園をイメージしているのか濃いグリーンです。
図録も余裕で入ります。質感は、おまけなので…


※ 在庫、価格の詳細につきましてはショップに
お問い合わせください。




モネ、風景をみる眼
19世紀フランス風景画の革新


2013年7月13日(土)−11月24日(日)終了
ポーラ美術館(箱根)


2013年12月7日(土)−2014年3月9日(日)
国立西洋美術館(東京)

※3月7日(金)〜9日(日)は午後8時迄開館!
(入館は30分前まで)
お見逃しなく!!


      

       


そして、モネは睡蓮ばかりではありません!なんと今年6月に修復を終えたあの名画が、ボストンからやってきます!



↓ ↓ いつもご愛読ありがとうございます。おかげさまで、人気急上昇中です!






2014年2月18日火曜日

ラファエル前派展

■ 女の人生


先日、学生時代の友人の結婚が決まったので、お祝いのため仲間たちが集いました。仕事に、子育てに、と日頃慌ただしく過ごしている我々はなかなか人数揃って会うことが難しいのですが、この日は総勢5名の、久々に賑やかな女子会となりました。

女5人が集まれば、どうなるかはご想像の通り。絶え間なく喋り続け、昼12時の集合から気づけば夕方4時。「4時迄のお席です」とお店のお兄さんに席に通されたときは一同「4時ぃ?そんなに長くいませんよ。ハッハッハ!」と答えていたのが、「あの〜、ラストオーダーです」の声に「えっ?今何時なの?」と驚き慌てる始末。

話題は自然に、同級生たちの消息へ。実は○○ちゃんは学生時代からこんな努力をしていて、今こうなっている、とか、思わず「へえ〜!やるね!」と、見えないところで色んなドラマが存在していたことが嬉しい驚きでした。

そして何よりも励まされたのは、そこに集ったメンバーひとりひとりが本当に素晴らしい人生を送っていたこと。

呑気なお嬢さんばかりの学校だと思っていたのに、仕事や趣味、子育てにもそれぞれがちゃんと自分の意志で、自分の世界を構築していて、しっかりと立っている。それがとても頼もしく、よ〜し、私ももういっちょ頑張らねば!と久々に清々しい気持ちにさせてもらいました。

友達自慢がまたまた長くなってしまいましたが、その場で感じたのは、やはり女は強く逞しい、そしてそういう女たちは(いくつになっても)美しい!ということ。


■ オフィーリアを探して


話は変わって、ちょうど1年前のロンドン。地下鉄のミルバンク駅から歩くこと数分。私はひとりの女性に会いに行きました。場所は、テート美術館。



テート美術館は、ナショナル・ギャラリーの
分館として、なんと監獄の跡地に建てられました。


ところが、居るはずの場所に彼女がいません。おかしいなあ、もしや?と思い、テートの受付にいた青年に声をかけました(金髪の美青年と女性の二人がいましたが、もちろん迷わず金髪美青年を選びます)。

「オフィーリアはどこですか?」と尋ねると、美青年は、「オフィーリアはいまアメリカだよ」。「ア、アメリカ…?」私がショックのあまり呆然としていると、美青年は「そして、その後は日本の森美術館に行くよ」と、残念だったね、と言いたげな表情でニヤリと笑いました。

そう、お気づきの通り、私が会いに行ったのは世界的名画の主人公。いや、世界的名「劇」のヒロイン、といったほうが正しいかもしれません。シェイクスピアの『ハムレット』に登場するハムレットの恋人、オフィーリアです。

実は、この作品をめぐってはこのようなすれ違いが幾度もあり、ようやくこのたび森美術館(正確には森アーツセンターギャラリー)で会うことが出来たのでした。


■ 薄幸の美女


シェイクスピアの四大悲劇の一つ『ハムレット』といえば、父を叔父に殺され、その叔父と母がすぐに再婚したことに苦悩するデンマーク王子ハムレットの物語です。

はっきりいって、何をモヤモヤ悩んでいるんじゃ!男だろ!と喝を入れたくなるほど、モヤモヤ気質のハムレットに苛立つ私ですが、実はハムレットよりも不幸だったのはこのオフィーリアではないかと思うのです。

あいつはやめておけ、と金持ちボンボンに娘が弄ばれるのを心配するどこかのお父さんのように、彼女の父と兄は、恋に舞い上がるオフィーリアをハムレットから引き離そうとします。

しかし、古今東西、恋する乙女はそんなこと聞いちゃいない。

やがて、何だかんだと悩み苦しむハムレットにオフィーリアはついに拒絶され(このハムレットの心理と行動も女からすれば意味不明)、おまけに父親をハムレットに殺されてしまいます。

そして、ついに心を病み、花冠を木の枝にかけようとしたところ川に落ちて死んでしまうのですが、実は劇中ではこの顛末についての場面は存在せず、ただハムレットの母である王妃ガートルードの台詞で語られるだけに過ぎません。


あの子がしだれ柳の枝にその花冠をかけようとよじ登ったとたんに、つれない枝は一瞬にして折れ、あの子は花を抱いたまま泣きさざめく流れにまっさかさま。

裳裾は大きく広がってしばらくは人魚のように川面に浮かびながら古い歌をきれぎれに口ずさんでいました、まるでわが身に迫る死を知らぬげに、あるいは水の中に生まれ、水のなかで育つもののように。

だがそれもわずかなあいだ、身につけた服は水をふくんで重くなり、あわれにもその美しい歌声をもぎとって、川底の泥のなかへ引きずりこんでいきました。

(ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』/小田島雄志訳/白水Uブックス/1983年)


ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』(1851年-52年)
(テート美術館/ロンドン)



この絵は、『ハムレット』のできれば原作を、少なくとも上記の王妃の台詞をふまえて鑑賞するのがオススメです(原作は様々な訳が出ていますが、個人的には小田島雄志先生のものが好きです)。

それにしても、オフィーリアの死は、事故なのか自殺なのか。王妃の台詞では事故のようですが、さらに読み進めると自殺ともとれる箇所があったりして、いやはやシェイクスピアは奥が深い。

そして見る者を惹き付けてやまないのが、このオフィーリアの表情。



ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』(部分)


迫る死の瞬間を知ってか知らずか、歌を口ずさみながら、流されてゆく表情のリアルさ。

しかし、私には、狂気の中にありながらも、苦難に満ちたこの人生が終わることに対する安堵の表情にも見えます。

実はミレイは、モデルを実際にバスタブに浮かべながらこの絵を制作しました。モデルとなったのが、エリザベス・シダル、通称リジー。後にご紹介する画家ロセッティの妻となる人物で、自身も画家として作品を残しています(今回の展覧会で見ることができます)。なんとミレイは制作に没頭するあまり、バスタブのお湯の温度がぐんぐん下がるのも忘れ、シダルは肺炎寸前に。

彼女はここでは一命を取り留めますが、やがてロセッティの女癖の悪さに精神を病み、アヘンの過剰摂取で32歳の若さで亡くなりました。

オフィーリアに引き寄せられるかのような運命を辿ったシダル。オフィーリアの苦しみや悲しみに無意識に共鳴し(てしまっ)たからこそ、生まれた傑作なのかもしれません。

また、この絵に描かれている花々は実は季節がバラバラなのですが、原作にないものも含め、悲劇を象徴する花言葉から意図的に配されています。

柳=見捨てられた愛、スミレ=誠実、純潔、若い死、芥子(ケシ)=死、パンジー=叶わぬ愛、わすれな草=私を忘れないで。

アヘンの原料である芥子が描かれているとは、なんとも不思議なシダルの運命を思わせます。


■ ラファエル前派とは


ジョン・エヴァレット・ミレイ『両親の家のキリスト(大工の仕事場)』(1849年-50年)
(テート美術館/ロンドン)


イギリスの文豪ディケンズに大批判を喰らった問題作。
聖家族をあまりにも日常的に描きすぎ、
且つ聖母が化け物のようだ、と酷評されました。


ジョン・エヴァレット・ミレイ『両親の家のキリスト(大工の仕事場)』(部分)
う〜ん、確かに眉間のシワといい、美女とは言いがたい。


1848年9月、それまでイタリアやフランスに比べ美術後進国であったイギリスに、美術史に燦然と輝く新たな潮流が誕生しました。

ロイヤル・アカデミーの美術学校に通う3人の学生が、アカデミーの体制を批判して自らの団体を立ち上げたのです。

その名も、Pre-Raphaelite Brotherhood(ラファエル前派兄弟団)、略してP.R.B.。学生たちの名は、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハント、そしてダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ。

アカデミーは、16世紀イタリア・ルネサンスの手法を最高峰と位置づけ、とりわけラファエロの表現方法を手本とし、長年、学生たちにその模倣を強いていました。

そこで「ラファエロ以前(Pre-Raphaelite)」の中世の表現に回帰しよう、というのが結成の目的です。(ちなみに「ラファエロ」はイタリア語読み、「ラファエル」が英語読み)


■ スキャンダラスな作品、そして…


ウィリアム・ホルマン・ハント『良心の目覚め』(1853年-54年)
(テート美術館/ロンドン)



ラファエル前派の作品といえば、女性がテーマの作品が多いことも一つの大きな特徴です。

前述のエリザベス・シダルとロセッティの関係もさることながら、仲間内の画家、評論家の間でモデルをめぐってくっついたり別れたり、わけがわからなくなるほど複雑な関係が繰り広げられたのも、ラファエル前派を語るに欠かせない要素です。

この作品は、裕福な男とその情婦を描いたもの。ケバケバしい部屋の男と女。床に投げ捨てられた手袋は、やがて彼女が捨てられる運命にあることを警告しています。

ピアノの楽譜には、改心を促す歌詞。そして、男の軽薄な誘いに、女は急に何かに目覚めたかのように男を拒絶して立ち上がります。

その手はしっかりと閉じ、窓の外の光を見つめています。それは人間の魂の扉をノックするキリストの「世の光」。彼女が過ちから救われることを暗示しています。



  ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)』
(1849年-50年)
(テート美術館/ロンドン)




一見したところ、病気の少女に少年がお見舞いに来たのかな?、と思ってしまうような光景。しかしこれはかの有名な「受胎告知」を描いたものです。

なるほど、よく見れば二人の頭上には麦わら帽子…ではなくて、これは聖人であることを表す金の輪っか。

余談ですが、聖人を描くにあたり、この金の輪っかを描かなかったために大論争になり、キリスト教会から作品の受け取りを拒否されたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ です。

また、純潔を表す百合を持っていることから、これは少年でなく大天使ガブリエル、そして少女でなく聖母マリアであると分かります。

ダ・ヴィンチはもちろん、ロセッティさえも現代を生きる我々からするともはや古典ですが、あたかも普通に存在する身近な人間として聖人を表現するということは、かなり大胆な試みだったのです。



ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『ベアタ・ベアトリクス』(1864年-70年頃)
(テート美術館/ロンドン)



ルネサンスが生んだ偉大な詩人ダンテ。ロセッティの父親はダンテの研究者であったことから、息子にその名をつけました。

この作品は、詩人ダンテの恋人ベアトリーチェを描いたもの。しかしダンテとベアトリーチェは結ばれることなく、ベアトリーチェは他の男と結婚し、その後若くして亡くなります。

ロセッティは、亡き妻エリザベス・シダルをベアトリーチェの姿に託しました。赤い鳥が届けるのは、またしても芥子(ケシ)。死と眠りを象徴しています。

手のひらで新しい生を受け止め、黄泉の国へと向かう亡き妻を描きながら、ロセッティは何を思ったのでしょうか。


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『プロセルピナ』(1874年)
(テート美術館/ロンドン)



ローマ神話の女神プロセルピナを描いた作品。プロセルピナは、ある日、その美しさから冥府の王、プルートーに連れ去られてしまいます。

母である女神ケレスは天界の王ユピテルに娘を返してほしいと懇願し、ユピテルは彼女が何も口にしていないならば天界に戻すと約束をしますが、すでにプロセルピナはザクロをひと口かじってしまっていたのです。

仕方なくユピテルは、1年の半分を冥界で夫のプルートーと暮らし、半分を天界で母と暮らすよう調停しました。

プロセルピナが天界にいるときは、地上は春となり大地が潤い、冥界にいるときは大地は凍え冬になる、というわけです。

■ 弱き者、汝の名は…


ところで、このプロセルピナのモデルは、ロセッティの愛人、ジェイン。あらら、ロセッティって、さっきエリザベス・シダルという亡き妻を偲んだ絵を描いてましたよねぇ?、と思わずツッコミを入れたくなります。

おまけにジェインの夫は、ラファエル前派の第二世代の中心人物でアーツ・アンド・クラフツ運動の創始者ウィリアム・モリス。モリスと自分のところで半々の生活を送るジェインをプロセルピナになぞらえて描いたというから、まったく男というやつは…。

『ハムレット』の中で、父亡き後すぐに叔父と再婚した母に失望し、ハムレットが「弱き者、汝の名は女…」とつぶやく名セリフがありますが、思わず「弱き者、汝の名は男…」と言いたくなるようなエピソードです。


作品と同じくらいスキャンダラスだったラファエル前派とそれを取り巻く男と女。誘惑という名の果実に弱いのは、男も女も同じかもしれません。

それにしてもエリザベス・シダルは、酒と薬に溺れる前に女子会でも開いて憂さを晴らしたらよかったのに。



テート美術館の至宝
ラファエル前派展
英国ヴィクトリア朝絵画の夢

2014年1月25日(土)−4月6日(日)
森アーツセンターギャラリー(東京)


      

       


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