2014年6月22日日曜日

ギュスターヴ・モロー美術館 —ファム・ファタルとしての「サロメ」—

美術展だけでなく、美術館のご紹介も謳い文句になっているこのブログですが、すっかり目先の美術展を追いかけるばかりになってしまい反省です(それさえもままなぬこと多々あり)

そこで、お目当ての次なる美術展の前に、今日はパリの穴場美術館(?)ギュスターヴ・モロー美術館をご紹介しながら、その目玉作品を語るに欠かせないキーワード「ファム・ファタル(femme fatale)」についてご案内します。

それにしても、ここは数あるパリの美術館の中でも大好きな美術館の一つです。このときは大雨の日曜日で、駅から近いのですが、街には人っ子一人いなくて(外にいたのは家のないおじさんと私だけ)思わずちょっと早歩きになってしまいました。

おかげでほとんど貸し切り状態。下の写真は4階から3階を見下ろしたものですが、雨音を聞きながら、老夫婦が肩を寄せ合い静かに名画を鑑賞する素敵な場面に遭遇することができました。

さて、日本語ではよく「運命の女」あるいは「宿命の女」と訳される「ファム・ファタル」。なんだかワクワクする響きではありませんか。



画家のアトリエ兼住居を、改装した美術館。
作品の配置はすべて画家の遺言によるもの。
世界初の国立の個人美術館です。
(2013年に一部改装。写真は改装前のものです)


■ 「ファム・ファタル」と世紀末


所は変わって19世紀末のパリ。ヨーロッパにおいて様々な様式の芸術が花開いた希有な時代です。絵画では、印象派、象徴主義、耽美主義、分離派など、国境を越えて様々なムーブメントが起こりました。

芸術や文化を論じるとき、「世紀末」というだけでこの19世紀末を指すことが多いのですが、それくらい特徴的な時代です。

少し余談になりますが、西洋絵画を読み解く鍵は、色彩や構図よりもまず、描かれた時代を読むことです。

画家が何をキャンバスの上に表現したかったのか、それを推理することが、すなわち絵画を「読む」ということであり、そこに画家が託したメッセージを受け取った瞬間、時空を超えてとても親しい間柄になったような感覚が沸き起こります。

この感覚が忘れられなくて、私は絵に向き合うことがやめられないのです。

さて、話を戻して、19世紀末とはどんな時代だったのでしょう。

この時代の大きな特徴は、第二次産業革命によって工業化と都市化が急速に進んだことです。蒸気機関車が発明され、その他あらゆる工業製品によって、生活はどんどん便利になっていきました。

しかし一方で、その便利さを存分に享受できる資本家と搾取される労働者の二極化が進み、何か先の見えない焦燥感や閉塞感、終末感が漂っていたこともまた事実です。

その中で、女性に対する価値観にも変化が生まれます。

ここで注意しなければならないのは、あくまでも男性の視点から見た価値観であるということ。社会は男性が動かしているものであり、女性はか弱く、庇護されるべき存在であり、男を脅かす存在になどなり得なかったのです。

ところが工業化と都市化によって格差が生まれた社会においては、女性も労働力の一因に組み込まれることになります。今日的なキャリアウーマンとはまた違った意味で(かなり限定的な職業ではありながらも)社会進出を果たした女性は男性と接点を持つようになります。

そうなると、様々なドラマが生まれるわけで…

このような時代を象徴した恋愛小説、戯曲、詩、絵画が山ほど生まれます。その中で、人々は繰り返し描かれる新しい女性像にある統一したイメージを持つようになります。

女は男にとって、庇護すべきか弱き存在から、自分を支配し、ひいては破滅させることにもなりかねない危うさをもった存在に豹変したのです。

それがすなわち「ファム・ファタル」。自分の身を滅ぼしかねないほど魅力的で危険な「運命の女」です。


■ 「ファム・ファタル」としての「サロメ」


イメージは、聖書や神話の登場人物にも投影されるようになります。その典型といわれるのが、サロメの物語。数多くの画家がこぞって描いたサロメの中でも、とりわけこの作品は、絵画において「ファム・ファタル」を語るに欠かせない記念碑的作品でもあります。



ギュスターヴ・モロー『出現』(1876年)

(ギュスターヴ・モロー美術館/パリ)


洗礼者ヨハネの首と対峙するサロメ。
善と悪、男と女、相反する者の間に流れる独特の緊張感が
見る者を魅了します。




ギュスターヴ・モロー『出現』(部分)(1876年)

(ギュスターヴ・モロー美術館/パリ)




サロメの物語を要約すると…

サロメは新約聖書の「マタイによる福音書」を始めとしたいくつかの福音書に登場する少女です。彼女の母親はヘロデ王の妻ヘロデアであり、ヘロデ王はなんと兄を殺して玉座を奪い、その妻ヘロデアまでも手中に収めました(この辺り、シェイクスピアの『ハムレット』を彷彿させます)。ところが、この結婚を厳しく糾弾した人物がいました。イエス・キリストに洗礼を授けた洗礼者ヨハネです。

ちなみに、洗礼者ヨハネは、この人です。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者ヨハネ』(1513年〜1516年)
(ルーヴル美術館/パリ)


どうにもうまく撮れなくてスミマセン…


ある日、ヘロデアは大勢の客人が集う祝宴で、娘に王の前で踊りを披露させます。これがまた、大そうエロティックな踊りで、(オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』では、7枚のベールを1枚ずつ剥ぎ取りながら踊る、と表現されている)ヘロデ王は大喜び。そなたの望みを何でも叶えてやる、と言わしめ(実はそう言うように仕向けたのは母ヘロデアである)、サロメは母に指示されたとおり「ヨハネの首を」と言ったがゆえに、ヨハネは首を刎ねられたのです。

…と言っておきながらも、それなら本当の意味で「ファム・ファタル」なのは、サロメではなくヘロデアなのでは?とこの物語を思い返すたびに思ってしまいます。

一般的には、ヘロデ王を妖艶な踊りで虜にさせた、という意味でサロメが「ファム・ファタル」と呼ばれるのですが…私としては、ヘロデアのほうがずっと恐ろしい女だと思いますけどね。まあ、母親のヘロデアよりも確かに若い娘サロメのほうが文字通り「絵になる」気もしますが…。

とりわけモローのこの作品が退廃的な時代の雰囲気と相まって、人気を博したのですが、他にもボッティチェリ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、クラナッハなど古くから多くの画家に好まれたテーマであり、戯曲やオペラの題材にもなっているので、サロメの物語はちょこっとどこかに覚えておかれると愉しみが増えるかもしれません。

「ファム・ファタル」は一つの作品ではとうてい論じ切れないほど奥が深いので、また何かの合間にご紹介したいと思います。



ギュスターヴ・モロー美術館

Musée national Gustave Moreau
14 rue de La Rochefoucauld
75009 Paris

※ 地下鉄12号線 トリニテ駅(Trinité-d'Estienne d'Orves)より徒歩約5分



公式サイト:http://musee-moreau.fr (フランス語です)
(公式ではありませんが、わかりやすい日本語のサイトです)
※ 営業時間、休館日などは観光局のサイトなどで最新の情報を確認されることをおすすめいたします。


さて、いよいよ始まりますよ〜!




あ、間違えた。こちらです。







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