2013年8月15日木曜日

The color story -Magenta-

日本列島は記録的な猛暑で、毎日どこかの街が40℃を越えているという始末。みなさま、夏バテなどしていませんか。

お盆休みはいま真っ盛り、私は全然休みじゃないのですが、夏休みムードが高まって、都心もなんだかゆるっとした感じでなかなかよいものです。

暑い暑いと言いながらも実は夏が大好きな私。厳密に言うと、夏が好き、というよりも夏休みが好き、という感覚に近いのですが…。

毎年、この時期になると必ず読む本があります。それが『悲しみよ こんにちは』。言わずと知れたフランソワーズ・サガンの18歳のデビュー作にして最高傑作です。

1954年に発表され、瞬く間に世界中でベストセラーとなりました。のちにジーン・セバーグ主演で映画化もされ、「セシルカット」と呼ばれたベリーショートは大ブームに。



しかし、『ティファニーで朝食を』と同様に(4月10日付記事『The color story -Black-』をご参照くださいませ)映画についてはちょっと…。

第一、原作では「若く(といっても40歳ですが…)美貌の父親」とあるのに、父親であるレイモン役のデイヴィット・ニーヴンの眉間にはシワが何本もくっきりと刻まれ、寂しげな頭髪といいお腹周りといい、40歳はおろか50歳にも60歳にも見えてしまうというところで大減点。

唯一、イメージを損なわなかったのはアンヌ役のデボラ・カーでしょうか。


左からレイモン、セシル(役名)


左からエルザ、セシル、アンヌ(役名)


この本を、今はもうなくなってしまったけれど子供の頃から家族で別荘として使っていた避暑地のプールサイドでよく読んだものです(あと、マルグリット・デュラスの『愛人(ラ・マン)』ね。…何て子供だ!)

物語も南仏の夏休みが舞台ですが、そんな思い出も、夏にこの本を手に取らせるのです。

■ 「悲しみよ こんにちは」のあらすじ


では、本も映画もご存知ないという方のためにあらすじをご紹介すると…

主人公セシルは17歳。母親を早くに亡くし、女好きで遊び好きだが魅力的な父親とパリで気楽に暮らしている。ある夏、南仏に別荘を借りて、父親と、父の愛人の若い女の子エルザと3人で平和な夏休みを過ごしていた。

そこに、亡き母の友人で、聡明で洗練された大人の女性、アンヌがやってくる。これまでお世辞にも頭がいいとは言えない若い女の子たちばかりと遊んでいた父親が、この少し冷たいが理知的で美しい大人の女性アンヌに心惹かれ、一夜にして結婚することを決めてしまう。

アンヌの洗練された美しさに憧れを抱きつつも、父親を独占したい気持ち、勉強を強要したり、恋人との逢い引きを咎めるアンヌにいつしかセシルは反感を抱くようになる。

自分の恋人と父の愛人だったエルザを使って二人の結婚を妨害するのだが、その結果アンヌを死に追い込んでしまう…というお話。

■ もう一人の主人公


主人公はセシルですが、いつの頃からか、この物語にはもうひとりの主人公がいるような気がしはじめました。

多分私自身が20代の後半にさしかかり、ひとつの時代(人はそれを青春というのかもしれない…)が終わり、セシルというよりはアンヌの年齢に近づきつつあることを自覚したときのような気がします。

■ 人間は「色の存在」


ところで、色で人のタイプを分類するとしたら、アンヌは何色でしょうか。

英語で人間はHumanといいますが、もともとはラテン語でHueは「色」、manは「存在」、つまり「色の存在」というのが語源です。

チャクラ、という言葉を聞いたことがある方も多いと思いますが、人間の身体にはそれぞれの部位を司る色があります。

すなわち、私たちは一色だけでなく、様々な色をもった存在なのです。しかし人によって、またはその時の体調、精神状態によって、どの色が強く顕われているか異なります。

■ マゼンタタイプのアンヌ


アンヌは口うるさく、まるで道徳の教師のような鬱陶しさです。が、実はそれは生真面目で、少女のような純粋さと繊細さの裏返しでもあるのです。

あなたのためよ、というセリフをアンヌはセシルに向かって何度も口にしますが、往々にしてこういう言葉は本人のためなどちっとも考えておらず、相手に対する不満を面と向かって吐き出すための口実でしかないものですが、彼女の場合は意地悪ではなく本当に良かれと思って諭している気がしてなりません。

彼女は責任感が強く、与えられた役割、すなわち母親という不慣れな役に忠実であろうとし過ぎたのです。

愛情深く、繊細であり、しかし時としておせっかい、というレッテルを貼られてしまう。それが、マゼンタタイプの人です。

アンヌはまさにその典型といえるでしょう。


そういえば、旧訳の背表紙の色がマゼンタ…



■ 読むたびに新たな発見


15歳の頃から毎年読み続けていてセリフもほとんど暗記しているほどなのに、読み返すたびに新たな発見があるというのは、やはり作品のもつ力でしょうか。

無邪気な残酷さでアンヌを追いつめた瞬間の、セシルの後悔を語った部分です。

「…彼女は泣いていた。私は突然そのとき、自分が観念的実在物にではなく、生きた、感じやすい人間を攻撃したのだということを知った。彼女はきっと少しはにかみ屋の小さな女の子だっただろう。それから少女になり、女になった。彼女は四十を過ぎていた。そして孤独だった。一人の男を愛し、彼と共に十年、あるいは二十年幸福でいようと希望していたのだ。それなのに私は…(後略)」(『悲しみよ こんにちは』サガン著 朝吹登水子訳 新潮文庫より抜粋)


何年も見逃していた、胸に迫る一文です。


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2 件のコメント:

  1. 久しぶりの更新、興味深いな。
    次回更新が待ち遠しいです。
    楽しみにしてます。
    宜しくお願いします。

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  2. 今回は時節柄、個人的な思い入れの強いものになってしまいましたが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです☆いつもありがとうございます♪

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