2013年10月16日水曜日

アメリカン・ポップ・アート展

ゴッホやスーラの「印象派を超えて」展を見に行ったのに、ふらりと入った「アメリカン・ポップ・アート展」。いま、国立新美術館で開催中のこの二つの美術展は、まったく違うベクトルのように見えて、二つ併せて鑑賞すれば、19世紀から20世紀の西洋美術の潮流を体感することができます。


アンディ・ウォーホル『キミコ・パワーズ』(1972年)




この「アメリカン・ポップ・アート展」はアメリカの実業家ジョン・パワーズ氏と日本人の妻、キミコ夫人の個人コレクションによるものです。夫妻は1960年代からポップ・アートのコレクターおよびパトロンとして、作家たちと様々な交流がありました。

ポップ・アートとはPopular Art(=大衆芸術)の略。1950年代半ばにイギリスで起こり、1960年代〜70年代にかけてアメリカで大流行しました。アーティストとして、まず筆頭に挙がるのが、アンディ・ウォーホル。彼のもっとも有名な作品も見ることが出来ます。


アンディ・ウォーホル『毛沢東』(1972年)




著名人をモチーフにした一連の作品が有名ですが、一般人(といっても、実業家などのいわゆるセレブリティ)をモデルにした作品も数多くあります。これはウォーホルに莫大な収入をもたらしました。

確かに、たとえ顔を紫に塗られたとしてもウォーホルにだったら作品にしてもらいたいものです。


ジャスパー・ジョーンズ『0−9の重複』(1960年)



ジャスパー・ジョーンズは「星条旗」や「標的(こう言っては何ですが、鳩よけのバルーンみたいな模様のやつで、皆さんもどこかで見たことがあるはず)」「数字」をモチーフにした作品で一躍注目を浴びました。これは極めてアナログな表現ですが、めまぐるしくカウントされていくデジタル的感覚を想起させる興味深い作品です。


ロイ・リキテンスタイン『鏡の中の少女』(1964年)



ニューヨークに生まれ、ニューヨークで没した、生粋のニューヨーカー、リキテンスタイン。アンディ・ウォーホルと並ぶ、ポップアート界のスター作家です。黒く太い輪郭線と、ベンデイ・ドットとよばれる網点が特徴。

一見、ただひたすらモダンな表現を追求した作品ばかりのように見えますが、古典的な絵画の伝統を時折チラつかせるのが、リキテンスタインの憎いところ。

鏡は「ヴァニタス(虚栄)」の象徴として古くから西洋絵画に取り入れられたモチーフです。少女は虚栄の寓意像であり、時代を超えて、人間の普遍的な愚かさを象徴しているようにも見えます。


トム・ウェッセルマン『マリリンの口の習作(口#14)』(1967年)



唇ばかり描いているトム・ウェッセルマンの作品。どうやらマリリン・モンローの唇をイメージしているらしいが、そう言われればそう見えるし、そう言われなければそうは見えないかも…。


トム・ウェッセルマン『グレート・アメリカン・ヌード #50』(1963年)



同じく、トム・ウェッセルマンの作品。西洋絵画の伝統的なヌードを主題としつつ、アメリカの大量消費社会を表現した連作のうちのひとつ。背景にはルノワール、ルドン、セザンヌの作品が引用されています。(このルノワールの作品は、ついこの間まで日本に来ていました。)背景のラジオは実物がコラージュされており、実際に作動したものだそうです。

ここまでいくつか作品を見てきましたが、ポップ・アートを生み出した時代とは、どのような時代だったのか、なんとなくイメージができたでしょうか。

最後に、再びアンディ・ウォーホルの作品に戻りましょう。


アンディ・ウォーホル『キャンベル・スープ Ⅰ 』(1968年)




アンディ・ウォーホル『200個のキャンベル・スープ缶』(1962年)



アンディ・ウォーホルといえば、このキャンベル・スープ缶を連想する人も多いはず。

今回は日本初公開となる『200個のキャンベル・スープ缶』を見ることが出来ます。

おびただしく並べられたスープ缶は、戦後、アメリカから世界中に広まった大量消費社会を象徴しています。画一的に工業製品が大量に製造され、大量に消費される。商品はもはやただの記号に過ぎない。そんなメッセージすら感じます。

しかしウォーホルは、それを肯定するでもなく否定するでもなく、ただ淡々と時代を受け止め、表現しているように思えます。

全く同じに見えるこの二つの作品ですが、下の『200個のキャンベル・スープ缶』が先にステンシル(型紙を作り、上から絵の具を塗る方法)によって制作され、上の『キャンベル・スープ Ⅰ 』は数年後にシルクスクリーン(ステンシルよりも精度が高く複製できる)によって制作されました。

『キャンベル・スープ Ⅰ 』は10枚一組の作品ですが、いずれも滑らかな仕上がりで、ほとんど違いがわかりません。それに対して『200個のキャンベル・スープ缶』はよ〜く見ると、ひとつひとつ違っているので、会場でぜひ確かめてみてください。

文字通り、「判で押したような」この制作過程そのものが、まさに大量生産の時代を象徴しているとも言えるでしょう。


アンディ・ウォーホル『マリリン』(1967年)





最も有名なこの作品は、マリリン・モンローの死後に制作されたものです。一つのポートレイトが様々な表情に脚色され、複製され、増殖していく。大量消費の時代に、マリリン・モンローという一人の女優もまたメディアによって大量に複製され、消費されていく存在であったことを物語っています。




マリリン・グッズを大人買い!


ブロック・メモはちょっと高い(2000円位)けど、
あまりのかわいさに思わず買ってしまった。
でも10年くらい使えそうだから、まあいいか。



スープ缶と記念撮影もできますよ。





アメリカン・ポップ・アート展

       2013年8月7日(金)−10月21日(月) 国立新美術館(東京)
      



会期終了間近!週末は新美へ。




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2013年10月13日日曜日

ミケランジェロ展

最終回の視聴率が40%以上を記録したドラマ「半沢直樹」。ドラマが終わっても、書店では相変わらず原作本が一等地を独占しています。銀行を舞台にした経済ドラマでありながら、専業主婦からフリーランスまで、友人たちが集えば必ずこの話題になること数ヶ月。

おまけに近所の子供たちまで、朝から半沢の決めゼリフ「倍返しだ!」と叫びながら、じゃれ合って登校する始末。微笑ましいというか、末恐ろしいというか。

オトコ社会の、組織の中のドロドロとした駆け引きがこのドラマの最大の醍醐味のひとつではあるけれど、それは銀行やオトコ社会に限って起きていることではないことを、この視聴率は物語っていますよね。


■ ルネサンスの3大巨匠


さて、ところ変わって時代はルネサンス。花の都というその名の通り、 芸術が花開いたフィレンツェ。ここで3人の天才が運命的な出会いをはたします。


1人目はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『自画像』(1513〜1515年頃)
(トリノ王宮図書館/トリノ)




2人目はミケランジェロ・ブオナローティ(1475年〜1564年)。


ヤコピーノ・デル・コンテによるミケランジェロの肖像画




3人目はラファエロ・サンツィオ(1483年〜1520年)。


ラファエロ・サンツィオ『自画像』(1504〜1505年頃)
(ウフィツィ美術館/フィレンツェ)





この3人の関係は実に面白いのですが、それを書き始めると本一冊くらいになってしまうので、また今度。

今回、台風接近に怯えながら見に行ったのはミケランジェロ展。


目玉作品は、ミケランジェロが15歳のときの作品といわれるレリーフと、かの有名なシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」の素描の数々です。


■ 「絵画」VS「彫刻」


…ところで、質問です。ミケランジェロは画家でしょうか、彫刻家でしょうか。
正解は、ウフィツィ美術館前のミケランジェロさんにきいてみましょう。

おっと、ダ・ヴィンチさんとミケランジェロさんが何か言い争っています。どうやら、絵画と彫刻、どちらが優れた芸術か、という議論のようですが…



「彫刻は、空気を表現できない。したがって、絵画がもっとも優れた芸術だ」




なるほど。確かにそうですね。ということは、やっぱり絵画が芸術の最高峰なんでしょうか…


「絵画は、裏側を表現できない。したがって、彫刻がもっとも優れた芸術だ」



ミケランジェロさんも負けてはいません。そう言われると、そんな気も…。あれ?でもこの大作は確かミケランジェロさんの作品のはず。これって、立派な「絵画」ですよねぇ。




ここはローマ法王を決めるコンクラーベが行われることでも有名なヴァチカンのシスティーナ礼拝堂です。天井は総面積800平方メートルにも及ぶフレスコ画で、旧約聖書の「創世記」の壮大な物語が描かれています。では、最も有名な部分を拡大してみましょう。


ミケランジェロ・ブオナローティ『アダムの創造』(1508年〜1512年)
(システィーナ礼拝堂/ヴァチカン)



神がアダムに命を吹き込む瞬間を、触れそうで触れていない指先で表現しています。(この形を映画に使ったのが、地球人と宇宙人の友情を描いた『E.T.』です)

神を囲む背景は、人間の脳の形であるともいわれており、神も所詮は人間の脳が作り出したものに過ぎないというミケランジェロの隠された思想を表しているのかもしれません。しかしここはキリスト教の総本山、ヴァチカンなんですけど…。

実は、時の法王ユリウス2世の直々の指名によってミケランジェロはこの仕事を任されました。なんという名誉!とつい思ってしまいますが、ミケランジェロは何とかしてこの仕事を断ろうとします。

しかし、さすがのミケランジェロもローマ法王の命令には逆らえませんでした。天井画は4年の年月を経て完成しますが、不自然な姿勢が祟ってミケランジェロの首は曲がってしまったとか。

なぜ、この名誉な仕事を断ろうとしていたのか。それは、先ほどのセリフに答えがあります。ミケランジェロは、自分が彫刻家であるということに最も誇りを持っていたのです。


ミケランジェロ・ブオナローティ『ピエタ』(1498年〜1500年)
(サン・ピエトロ大聖堂/ヴァチカン)



24歳の時の作品。「ピエタ」とはイタリア語で、
悲しみ、慈悲の意味。
キリストの死を悲しむ聖母マリアのモチーフにしたものを
「ピエタ」という。


それから20年後、再びミケランジェロに教皇クレメンス7世より悪夢の(?)オファーがやってきます。なんだかんだと言い訳をしながら後継者パウル3世の時代になってやっと重い腰を上げて作業に取りかかり、完成したのがシスティーナ礼拝堂の正面の壁画です。


ミケランジェロ・ブオナローティ『最後の審判』(1536年〜1541年)
(システィーナ礼拝堂/ヴァチカン)




この世の終わりにキリストが再び降臨し、天国に行く者と地獄に行く者に振り分けるという「最後の審判」。良い行い(=キリスト教への信仰心が篤いこと。悲しいかな、親切におばあさんに道を教えてあげたとかではない)をした者は天使によって祝福され天国へ導かれる。一方、地獄行きになると、必死に乗り込んだボートからも振り落とされる始末。

そして、ミケランジェロは、よっぽどこの仕事が嫌だったらしく、こんな皮肉を込めて自画像を描き込んでいます。


精魂尽き果て、皮だけになっちゃった。


…というわけで、今回は展示作品紹介の前にかなり長い時間を費やしましたが、これらのポイントを押さえておくと楽しめます。


ミケランジェロ・ブオナローティ
『システィーナ礼拝堂天井画のコーニス装飾と裸体像の習作』(1508年〜1509年頃)
(カーサ・ブオナローティ/フィレンツェ)





上の素描は天井画ではこう描かれています。


今回の展示会で私がもっとも興味を惹かれたのは、意外にも書簡でした。
システィーナ礼拝堂の仕事をすすめる中で、彼は怒りのあまり教皇クレメンス7世に以下のように直訴しています。

「私に何らかの仕事をお望みでしたら、私の芸術につきまして上から指示する者を置かず、私にご信頼をお預けいただき、制作の自由をお与えくださいますよう、謹んでお願いしたく存じます」(展覧会図録より抜粋)

教皇の指示とはいえ、実際に作業をすすめるにあたってはおそらく現場監督のような教皇庁の人間がいて、それを煩わしく思っていたことが伺えます。また、次から次へと仕事を振ってくる上に、経費を抑えるように、などどいう教皇自身に対する不満も感じることができます。

孤高の天才ミケランジェロも、さすがに教皇に向かっては「倍返しだ!」とは言えず、堪りかねて筆をとった模様。

ミケランジェロほどの天才でも、組織と権力に悩まされていたことを知ると、ちょっぴり親近感が湧いてくるから不思議です。

それにしても、何かを期待されていればいるほど「自由」って、難しいものなんですね。



ミケランジェロ展
- システィーナ礼拝堂500年祭記念 天才の軌跡 -

       2013年6月28日(金)−8月25日(日) 福井県立美術館(福井)終了
       2013年9月6日(金)−11月17日(日) 国立西洋美術館(東京)

※ 本記事に掲載の画像作品のうち、展覧会場に実物の出品があるのは素描のみです。



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2013年10月5日土曜日

シカゴ美術館

今年の夏の始めに、アメリカ在住の学生時代の友人からこんな連絡がありました。

—子供の夏休みに家族でシカゴ観光に行くことになったの。アメリカ3大美術館でもあるシカゴ美術館にも行く予定。絵はがきのリクエストはある?

そして美術館のコレクションサイトのリンクまで添付してくれたのです。

シカゴ美術館といえば、点描画の巨匠ジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』があります。この作品は、まだフランス本国で印象派の価値が充分に認められないうちにアメリカに渡り、のちにフランスが大慌てで買い戻そうとしましたが、拒否されたという名作です。今では、シカゴ美術館最大の目玉であり、作品は門外不出になっています。


ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(1884年〜86年)



この作品の本物をいつか見たいと思いつつ、まだ夢は果たせていません。



シカゴ美術館に行ってみたい理由はもうひとつ。

スーラの作品のみならず、シカゴ美術館はモネやロートレックなど、印象派の名画の宝庫としても知られているのです。



アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ムーラン・ルージュにて』(1892年)


女性の顔を緑にすることで、下から光が当たっている様を巧みに表現しています。でもやっぱり怖い。


ところで、日本でも「ボストン美術館展」などアメリカの美術館から委託を受けた展覧会が開かれますが、内容を見てみると、目玉は狩野派の襖絵だったり、浮世絵だったり、ちょっと不思議に思うことはありませんか?

これは、先に述べたフランスと同じ現象です。

極端に言ってしまえば、日本が西洋文化に憧れ、それを追いかけている間に、日本の優れた美術品がどんどん海外に流出していきました。

特にアメリカは文化新興国なので、いくらお金を積んだとしても、ヨーロッパ諸国にある、すでに価値の認められた古典的な名画はなかなか手に入れることができませんでした。

そこで、比較的安価で容易に手に入れることができたのが、まだフランス本国で価値の低かった印象派の絵画や日本の浮世絵や蒔絵などです。(そもそも印象派だって浮世絵の影響を受けた画家は、マネ、ゴッホ、など数知れず)

さて、話を戻すと…。

図々しくも絵はがきをたんまりリクエストしてから数週間後、友人から荷物が届きました。そこにはなんと、絵はがきのみならず、うれしいお宝がゴッソリと!



ロートレックのシールブックとミニサイズの図録


まず私なら、適当に自分の好みか「まぁこれなら間違いないだろう」というベタなものを1枚買って、ハイ、と渡して終わるのですが、相手に「お好きなものを選んでね。探してくるから」という気遣い。

そして私がリクエストしたものが陳列されていないことまで調べ、「いま出てないみたいだから、ハガキもないかも。もしなかったら代わりに何がいい?」とまで連絡をくれて、私なら「やっぱ、なかった。ごめ〜ん」と済ませるところが、何たる親切さ。



シールブックの中身はこんなにゴーカ!


その上、彼女は「オマケ」というけれど、日本では絶対に手に入らない図録やシール、などなどレアなグッズまでつけてくれちゃって、本当にその心遣いを見習いたいものです。



館内案内と、企画展「Passion for Fashion(ファッションへの情熱)展」のリーフレット。
企画展の解説には、印象派の名画に見るパリのファッションを通して近代を考察する、とある。
この企画展はものすごく興味深い。



美術館の感想を彼女に聞くと、チビちゃんが数分でグズりだしたのであまりゆっくり見れなかったとはいうものの、必ずや幼い彼の潜在意識に残ったものがあると思います。(私がそうだったので…)


…以上、今回はいつか行きたい美術館と友達自慢の巻でした!



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2013年9月27日金曜日

ルーヴル美術館のひみつ

子供向けの学習まんがのようなタイトルですが、先日、ちょっと面白いDVDを入手しました。その名も「パリ・ルーヴル美術館の秘密」。

今月23日で閉幕した「ルーヴル美術館展」をご覧になられて、パリのルーヴルに行ってみたいと思った方、または行ったことはあるけれどモナ・リザしかわからなかったという方にはぜひ改めて本場を訪れていただきたいものです。



金曜の夜、館内の「カフェ・リシュリュー」から望むこの景色が最高に好き


◼  映画 「パリ・ルーヴル美術館の秘密」


「パリ・ルーヴル美術館の秘密」は、1990年に発表されたフランスのドキュメンタリー映画です。納められた美術品を解説するものではなく、職員の日常の仕事や複雑を極めた建物の構造に焦点が当てられています。



要塞だった頃の遺跡。地下で見学できます。


所蔵点数35万点、階段の段数1万500段、総部屋数2800室、職員の数1200名(いずれも映画公開当時)。数十キロにも及ぶ回廊はまるで迷路そのもの。中世時代には要塞であり、やがて王宮となり、さらに美術館へと変貌を遂げたルーヴルの、いわばバックヤードを垣間見ることができます。


防犯上の問題もあり、通常は美術館の収蔵庫を一般の人が見ることはほとんど皆無といってよいでしょう。そこを惜しみなく公開しているところがさすがルーヴル。


まあ、なんといってもルーヴルは巨大な迷路ですから、一部を映像で公開したとしてもその部屋に辿り着くことは、ルパンにもキャッツ・アイにも難しいでしょうけど。


全編を通してセリフは少なく、ハイビジョンではないので画像も荒く、はっきりいって興味がない人は3分で眠れます。


しかし、私は「ああっ、ラ・トゥールの『いかさま師』が運ばれてる!」とか「彫刻作品は意外と無造作に保管されているんだなぁ」とか、いちいち感動しながらあっという間の85分でした。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『いかさま師』(1625年頃)




中庭での職員の消火訓練や、『サモトラケのニケ』の脇を担架隊が駆け抜けていく救急救命講習会の様子、あの建物の中に職員専用のジムがあるのも驚きです。


『サモトラケのニケ』




1200名の職員は、もちろん学芸員だけではありません。あの巨大な謎の館を支えているのは、修復士、消防士、医師、庭師、料理人、清掃人など様々なスペシャリストたちです。


3月22日付の記事「ルーヴル・ランス—新しい可能性—」で「キックボードで館内を回りたい」と書きましたが、なんと本当に地下をローラーブレードで移動している職員を発見!やっぱりね!



◼  なぜ、ルーヴル美術館にはあれほど多くの作品があるのか



それほどまでに広く、謎に満ちたルーヴルですが、最後に学芸員がこんなことを語っていたのが印象的でした。


 —来館者は2時間も回れば歩き疲れるかもしれない。そして作品が多すぎると愕然とする。だが、私はルーヴルは何度でも参照する大きな書物だと思う。だからこそ項目を多くして選択の幅を広げる。観光客のためだけなら、『ミロのヴィーナス』や『モナ・リザ』を一緒に飾れば彼らは満足する。しかし、そうすると歩くのをやめ、知的刺激を得ることもない。だからこそ、数多く展示したいんだ—




名画がひしめき合う「グランド・ギャラリー」。
右隅は授業中。パリの美術館ではおなじみの光景。


すごく神経質で絶対に一緒に仕事をしたくないタイプの学芸員でしたが、いいこと言う!と思わず膝を叩いてしまいました。


ところでこれって、かの「激安の殿堂」のディスプレイ戦略に似てませんか?


宝探しの感覚で、びっしりと商品が並んだ棚を眺めるうちに、こんなものもあったんだ!とか、そうそうこれあると便利なんだよね、とつい予定外の買い物をしてしまう、ペンギンがいるあの店です。


恐るべし、ルーヴル・ビジネス。いや、知ってか知らずかルーヴル・ビジネスを模する結果になった「激安の殿堂」、恐るべし。



注意)「パリ・ルーヴル美術館の秘密」のDVDは現在廃盤です。
   尚、本記事に掲載の写真は映画とは関係ありません。



 

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2013年9月10日火曜日

ルーヴル美術館展 ー地中海 四千年のものがたりー

人には得手、不得手がありますが、私の場合は美術好きといっても絵画に偏ってしまい、その他の分野になると極端に口数が少なくなるという情けない特徴があります。

今回訪れたのはルーヴル展ですが、そのサブタイトルは「地中海 四千年のものがたり」。




ルーヴル所蔵品を扱う場合、さすがにテーマを絞った内容にしないと、大変なことになります。なんといってもルーヴル美術館は所蔵点数38万点以上(2013年9月現在)。そのうち、あの迷子になりそうな館でさえ展示されているのは1割以下というからものすごい数です。

地中海はアフリカ、アジア、ヨーロッパを結ぶ広大な海域で、おまけに四千年も遡るとなると、途方もない話なのですが、メインは古代彫刻や遺跡系だとだいたい想像がつきますね(おそらく絵画はそれほどないということも…)。

モナリザが来るわけでもなく、かといってミロのヴィーナスがくるわけでもない今回の「ルーヴル展」。おそらく寡黙にならざるを得ない予感がするのですが、どんな作品に出会えますことやら...



アルテミス:信奉者たちから贈られたマントを留める狩りの女神
通称「ギャビーのディアナ」(100年頃)


今回のメインビジュアルになっている作品。


しかしなんとまあ、これが西暦100年頃の作品とは驚きです。布や髪の毛、腕の質感といい、そこから人類は1900年余り、何をやっていたんだ…というくらいの完成度です。




アルテミス、というのはディアナ(英語読みでダイアナ)と同一人物で、月と狩猟をつかさどる女神です。ギリシャ名がアルテミス、ローマ名がディアナ、となります。(まったく古代の神々はいちいちギリシャ名とローマ名があってわかりにくい…)

ルーヴルのアルテミス(ディアナ)といえば…


フォンテーヌブロー派『狩人としてのディアナ』(1550〜60年頃)

(※この作品は今回展示されていません)


ついこの作品を思い浮かべてしまうのですが。これは、フランス国王アンリ2世の愛人ディアーヌ・ド・ポワティエがモデルと言われています。ディアーヌはアンリ2世より20歳も年上だったというから驚き。初めて出会ったのが国王8歳、ディアーヌは27歳の人妻でした。名前はダイアナですが、カミラそのものという感じ。


ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
『ハイディ:ギリシアの若い娘、イギリスの詩人バイロン卿による『ドン・ジュアン』の登場人物』(1870年〜72年頃)


古代遺跡コーナーを抜け、やっと親近感が湧いてきました。


イギリスでは18世紀に入ると、若い知識人や芸術家、富裕層の子息が新しい見聞を広めるためにヨーロッパ各地を巡る「グランド・ツアー」が流行しました。この贅沢な修学旅行は彼らをイタリアやギリシア、はたまたオリエントまで導き、思い出と共に各地の珍しい品を故郷に持ち帰りました。

スイス人画家リオタールもイギリス人外交視察団に同行し、16世紀から17世紀にかけて勢力を伸ばしていたオスマン帝国の魅力に取り憑かれ、滞在したコンスタンティノープルのトルコ人や外国人居住者の肖像画を数多く描きました。



ジャン=エティエンヌ・リオタール『トルコ風衣装のイギリス商人レヴェット氏と、クリミアの元フランス領事の娘グラヴァーニ嬢』(1740年頃)


お金持ちのコスプレごっこ(?)
それにしても、この長いわりに工夫のない作品名はどうにかならなかったものか。


そこから1世紀を経て、ドラクロワがアルジェやモロッコの風俗に触発されていわゆるオリエンタリズムとよばれる作品を多く残しましたが(7月9日付記事『ハノイ歴史博物館』をご参照くださいませ)、そのドラクロワの影響を強く受けたのが、シャセリオーです。


テオドール・シャセリオー『モロッコの踊り子たち:薄布の踊り』(1849年)





テオドール・シャセリオー『バルコニーにいるアルジェのユダヤ女性たち』(1849年)


今回の一番のお気に入り作品。


絵をずっと見続けていると、知らない画家が出てきてもその時代や作風が、知っている画家に似ていると気づくようになります。そこで調べてみるとやはり影響を受けていたとか、そのような気づきがあるのもまた絵画を見る愉しみでもあります。

シャセリオーの作品を初めて見たのはオルセー美術館でしたが、はじめはアングルの作品(3月20日付記事『ルーヴルの美女』をご参照くださいませ)かと思いました。ところが、別の作品を見ると、ドラクロワっぽい。そこで新古典主義からロマン主義へ鞍替えした形跡が見てとれるわけです。

まあ、ややこしい話はそこまでにしておきましょう。



パリのルーヴルは何度も訪れており、絵画のまわり方に関しては本が書けそうなくらい詳しいのに、いつもそこで時間を費やしてしまい、なかなか古代のコーナーまでたどりつかない私。おまけに気まぐれで古代コーナーに踏み入れると、急に方向感覚が狂いだし、行けども行けども同じ像の前に出てきてしまうという奇妙な現象が起こるのです(「ファラオの呪い」と私は勝手に呼んでいる)。

今回は、彫刻、工芸、絵画、素描・版画、古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシア・エルトリア・ローマ、イスラームの8つの部門すべてからの出品で、広く浅く、という感じではありますが、つかみどころのない巨大なルーヴルの一部を垣間見るにはよい機会だと思います。




ルーヴル美術館展
- 地中海 四千年のものがたり -

          2013年7月20日(土)−9月23日(月・祝) 東京都美術館
 
                   http://louvre2013.jp





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2013年8月27日火曜日

色を見る、色を楽しむ。-ブリヂストン美術館コレクション展-

ちょっぴり時間が経ってしまったのですが、先日ブリヂストン美術館に行ってきました。ここ数日、東京の猛暑日はひと段落し過ごしやすくなりましたが、いやぁ、あの日は暑かった…





■ 天才の宿命


今回、メインビジュアルになっているのが、マティスの「ジャズ」シリーズの『イカロス』。何だかモダンでオシャレ。楽しげに見えるこの作品ですが、実はこの作品の誕生の背景には天才の宿命ともいうべき過酷なストーリーがあります。


     アンリ・マティス『イカロス』(版画集「ジャズ」より)1947年



『帽子の女』に代表されるように、豊かな色彩の油彩画こそが彼の真骨頂。しかし、十二指腸の手術による体力の低下、妻子がナチスの尋問と拷問を受けたことによる心労などによって、1940年代に入るとマティスはそれまでの油彩画が描けなくなりました。画家にとって筆を持つことができなくなるというのはまさに致命的な出来事です。


アンリ・マティス『帽子の女』(1947年)
(サンフランシスコ近代美術館/サンフランシスコ)


(※この作品は展示されていません)


そこで彼は、色紙をはさみで切り抜き、紙に貼付けていくという新たな創作を始めます。もともと彼は、油彩画の構想を練る際に、色紙を使って色彩を検証し、それからキャンバスに彩色していくという方法を採っていました。

確かに、制作に数ヶ月もかかる油彩画に比べると体力的な負担は少なく、何といっても形が気に入らなければすぐにやり直すことができます。彼は切り紙の制作に熱中しました。

耳が聞こえなくなったベートーベン、目が見えなくなったモネ、右半身の自由を奪われた長島茂雄など、天才的な芸術家やアスリートが宿命ともいうべき残酷な運命に晒される例は少なくありません。


■ 生まれ続ける可能性


そこで絶望して人生を終わりにするのも、新たな境地を切り拓くのも、自分次第。マティスは、最晩年にして「色彩」という自らがこだわり続けた原点に立ち返り、新たな表現方法を開拓したのです。

今年5月、登山家の三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂に成功したことは大きなニュースになりました。今、CMでもやっていますが、60歳で次の目標を失い、65歳で山に登れなくなり、それでも奮起して70歳と75歳でエベレスト登頂に成功しています。

病気になろうが、年をとろうが、そんなことは関係なく、人は生きている限り、というか、「目標に向かって」生きている限り、可能性は生まれ続けるのだと教えられます。


■ 人は「形」よりも「色」に反応する


さて、今回のサブタイトルは「色を見る、色を楽しむ。」

みなさんが絵を見るとき、何が一番最初に目に飛び込んできますか?
造形でしょうか、それとも…。実は、人間がモノを見たときにまず最初に認識するのは色彩と言われています。これは危険を察知する人間の本能と関係があります。

信号機を思い浮かべてみてください。赤、青、黄といずれも丸です。もしこれが、すべて同じ色で、丸は進め、三角が注意、四角が止まれ、だとします。なんだか、一瞬迷ってしまう気がしませんか。


■ 西洋絵画のヒエラルキー


今でこそ色彩の重要性が科学的にも研究されていますが、実は西洋絵画においては長い間、色彩はそれほど重要視されていませんでした。

何を最重要視していたかというと…

それはテーマ(主題)。西洋絵画の世界では、長い間厳格なヒエラルキーが存在し、その頂点に君臨するのが聖書や神話をテーマにした歴史画でした。以下、肖像画、風景画、静物画と続くわけですが、強引な言い方をすれば、「どう描くか」よりも「何を描くか」がもっとも重要とされていたのです。


レンブラント・ファン・レイン『聖書あるいは物語に取材した夜の情景』(1826〜28年)



■「色を楽しむ」ようになったのは意外にも…


色彩に重点を置くようになったのは19世紀ロマン主義の巨匠、ドラクロワあたりからでしょうか。といっても、サロンからはなかなか認められず、ボロクソに酷評されていましたが。

その後、印象派の時代になり、色彩全盛の時代を迎えるわけですが、ここにきてようやく難しい知識がなくても感覚で鑑賞できる作品が多く生み出されるようになりました。すなわちテーマが、日常により近い題材になったのです。

日本人に印象派の絵画が人気があるのはそのあたりに理由がありそうです。つまり、作品の背景となるキリスト教の知識やこのアトリビュートは何を表す、など考えなくても感覚で鑑賞ができ、色がきれいだとか、この風景が好きだとか、個人の感性で楽しむことができる作品が多くあります。

長い絵画の歴史を考えると、「色」を楽しむ、いやそれ以上に一般人が絵画を楽しめるようになったのは、たかだかここ100年くらい、意外と最近の話なのです。(ナポレオンが1793年に王宮だったルーヴルを美術館として開館しましたが、一般民衆にはまだまだ縁遠い存在でした)

最後になりましたが、今回の企画展では所蔵の印象派名画が数多く展示されています。


クロード・モネ『黄昏、ヴェネツィア』(1908年頃)




ピエール=オーギュスト・ルノワール『すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢』
(1876年)





お子さんの夏休みの自由課題に翻弄されるお母さん、今ならまだ間に合いますよ〜!


色を見る、色を楽しむ。
ールドンの『夢想』、マティスの『ジャズ』…

          2013年6月22日(土)−9月18日(水) ブリヂストン美術館
      
          http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/




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2013年8月15日木曜日

The color story -Magenta-

日本列島は記録的な猛暑で、毎日どこかの街が40℃を越えているという始末。みなさま、夏バテなどしていませんか。

お盆休みはいま真っ盛り、私は全然休みじゃないのですが、夏休みムードが高まって、都心もなんだかゆるっとした感じでなかなかよいものです。

暑い暑いと言いながらも実は夏が大好きな私。厳密に言うと、夏が好き、というよりも夏休みが好き、という感覚に近いのですが…。

毎年、この時期になると必ず読む本があります。それが『悲しみよ こんにちは』。言わずと知れたフランソワーズ・サガンの18歳のデビュー作にして最高傑作です。

1954年に発表され、瞬く間に世界中でベストセラーとなりました。のちにジーン・セバーグ主演で映画化もされ、「セシルカット」と呼ばれたベリーショートは大ブームに。



しかし、『ティファニーで朝食を』と同様に(4月10日付記事『The color story -Black-』をご参照くださいませ)映画についてはちょっと…。

第一、原作では「若く(といっても40歳ですが…)美貌の父親」とあるのに、父親であるレイモン役のデイヴィット・ニーヴンの眉間にはシワが何本もくっきりと刻まれ、寂しげな頭髪といいお腹周りといい、40歳はおろか50歳にも60歳にも見えてしまうというところで大減点。

唯一、イメージを損なわなかったのはアンヌ役のデボラ・カーでしょうか。


左からレイモン、セシル(役名)


左からエルザ、セシル、アンヌ(役名)


この本を、今はもうなくなってしまったけれど子供の頃から家族で別荘として使っていた避暑地のプールサイドでよく読んだものです(あと、マルグリット・デュラスの『愛人(ラ・マン)』ね。…何て子供だ!)

物語も南仏の夏休みが舞台ですが、そんな思い出も、夏にこの本を手に取らせるのです。

■ 「悲しみよ こんにちは」のあらすじ


では、本も映画もご存知ないという方のためにあらすじをご紹介すると…

主人公セシルは17歳。母親を早くに亡くし、女好きで遊び好きだが魅力的な父親とパリで気楽に暮らしている。ある夏、南仏に別荘を借りて、父親と、父の愛人の若い女の子エルザと3人で平和な夏休みを過ごしていた。

そこに、亡き母の友人で、聡明で洗練された大人の女性、アンヌがやってくる。これまでお世辞にも頭がいいとは言えない若い女の子たちばかりと遊んでいた父親が、この少し冷たいが理知的で美しい大人の女性アンヌに心惹かれ、一夜にして結婚することを決めてしまう。

アンヌの洗練された美しさに憧れを抱きつつも、父親を独占したい気持ち、勉強を強要したり、恋人との逢い引きを咎めるアンヌにいつしかセシルは反感を抱くようになる。

自分の恋人と父の愛人だったエルザを使って二人の結婚を妨害するのだが、その結果アンヌを死に追い込んでしまう…というお話。

■ もう一人の主人公


主人公はセシルですが、いつの頃からか、この物語にはもうひとりの主人公がいるような気がしはじめました。

多分私自身が20代の後半にさしかかり、ひとつの時代(人はそれを青春というのかもしれない…)が終わり、セシルというよりはアンヌの年齢に近づきつつあることを自覚したときのような気がします。

■ 人間は「色の存在」


ところで、色で人のタイプを分類するとしたら、アンヌは何色でしょうか。

英語で人間はHumanといいますが、もともとはラテン語でHueは「色」、manは「存在」、つまり「色の存在」というのが語源です。

チャクラ、という言葉を聞いたことがある方も多いと思いますが、人間の身体にはそれぞれの部位を司る色があります。

すなわち、私たちは一色だけでなく、様々な色をもった存在なのです。しかし人によって、またはその時の体調、精神状態によって、どの色が強く顕われているか異なります。

■ マゼンタタイプのアンヌ


アンヌは口うるさく、まるで道徳の教師のような鬱陶しさです。が、実はそれは生真面目で、少女のような純粋さと繊細さの裏返しでもあるのです。

あなたのためよ、というセリフをアンヌはセシルに向かって何度も口にしますが、往々にしてこういう言葉は本人のためなどちっとも考えておらず、相手に対する不満を面と向かって吐き出すための口実でしかないものですが、彼女の場合は意地悪ではなく本当に良かれと思って諭している気がしてなりません。

彼女は責任感が強く、与えられた役割、すなわち母親という不慣れな役に忠実であろうとし過ぎたのです。

愛情深く、繊細であり、しかし時としておせっかい、というレッテルを貼られてしまう。それが、マゼンタタイプの人です。

アンヌはまさにその典型といえるでしょう。


そういえば、旧訳の背表紙の色がマゼンタ…



■ 読むたびに新たな発見


15歳の頃から毎年読み続けていてセリフもほとんど暗記しているほどなのに、読み返すたびに新たな発見があるというのは、やはり作品のもつ力でしょうか。

無邪気な残酷さでアンヌを追いつめた瞬間の、セシルの後悔を語った部分です。

「…彼女は泣いていた。私は突然そのとき、自分が観念的実在物にではなく、生きた、感じやすい人間を攻撃したのだということを知った。彼女はきっと少しはにかみ屋の小さな女の子だっただろう。それから少女になり、女になった。彼女は四十を過ぎていた。そして孤独だった。一人の男を愛し、彼と共に十年、あるいは二十年幸福でいようと希望していたのだ。それなのに私は…(後略)」(『悲しみよ こんにちは』サガン著 朝吹登水子訳 新潮文庫より抜粋)


何年も見逃していた、胸に迫る一文です。


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