2013年10月28日月曜日

本屋 de 美術館

台風が過ぎ去るたびに、秋の気配が深まる今日この頃。日もぐっと短くなって、秋の夜長に楽しみたいのは、(ベタですが)読書。欲しい本が簡単に検索できて、あっという間に届くので、日頃はついついWebに頼ってしまうのですが、やはり本は実物を確かめてから購入したいもの。

特に私の場合、美術関係の本は新たな知識を求めて洋書を探すことが多く、うっかり間違えると「ぜんっぜん読めない…」という情けない結果になることも。

というわけで、夜な夜な訪れたのは代官山の蔦屋書店。
ここは美術関係の洋書で時々掘り出し物があるので、ふらりとよく訪れます。





今宵もまた面白い本をゲットしました♪



STEPHANE GUEGAN著『INGRES −Erotic drawings−』


新古典主義の巨匠、アングルの本です。そのタイトルが示すように、官能美を強調した素描を集めたものです。ガチガチのデッサン重視のパリ国立高等美術学校の校長を務めたドミニク・アングルの、エロティックな素描とは、どんなものでしょうか。






みなさんおなじみの?この絵。『グランド・オダリスク』の素描も載っています。



ドミニク・アングル『グランド・オダリスク』の素描。(ルーヴル美術館/パリ)



ドミニク・アングル『グランド・オダリスク』のリトグラフ。(1825年/個人蔵)
油彩画とは逆の向きで興味深い作品です。


3月20付記事『ルーヴルの美女』でもご紹介しましたが、女性の曲線美を強調するため意図的に手や腰を引き延ばして描かれたこの作品は、発表当初「この女性は立ち上がって歩くことは出来ないだろう」などと、酷評されました。しかし見る者の視線はまず彼女の背中を捉え、自然となだらかな曲線に沿って導かれていきます。それがまさにアングルの目論みなのです。

ここで面白い作品をご紹介。こんなセリフが聞こえてきませんか。


「ちょっと!何すんのよ!」


ドミニク・アングル『Three Women in the Bath, after an engraving by Hans Sebald Beham』
(アングル美術館/モントーパン)


タイトルを見ると、3人の女性の入浴中のシーンのようです。2人しかいないのでは?と思いきや、うっすらと背後にもう一人…


この作品は、16世紀のこちらの銅版画の模写とのこと。


Hans Sebald Beham『Three Women in the Bath 』(フランス国立図書館/パリ)


なかなか面白い本を見つけましたよ。





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2013年10月16日水曜日

アメリカン・ポップ・アート展

ゴッホやスーラの「印象派を超えて」展を見に行ったのに、ふらりと入った「アメリカン・ポップ・アート展」。いま、国立新美術館で開催中のこの二つの美術展は、まったく違うベクトルのように見えて、二つ併せて鑑賞すれば、19世紀から20世紀の西洋美術の潮流を体感することができます。


アンディ・ウォーホル『キミコ・パワーズ』(1972年)




この「アメリカン・ポップ・アート展」はアメリカの実業家ジョン・パワーズ氏と日本人の妻、キミコ夫人の個人コレクションによるものです。夫妻は1960年代からポップ・アートのコレクターおよびパトロンとして、作家たちと様々な交流がありました。

ポップ・アートとはPopular Art(=大衆芸術)の略。1950年代半ばにイギリスで起こり、1960年代〜70年代にかけてアメリカで大流行しました。アーティストとして、まず筆頭に挙がるのが、アンディ・ウォーホル。彼のもっとも有名な作品も見ることが出来ます。


アンディ・ウォーホル『毛沢東』(1972年)




著名人をモチーフにした一連の作品が有名ですが、一般人(といっても、実業家などのいわゆるセレブリティ)をモデルにした作品も数多くあります。これはウォーホルに莫大な収入をもたらしました。

確かに、たとえ顔を紫に塗られたとしてもウォーホルにだったら作品にしてもらいたいものです。


ジャスパー・ジョーンズ『0−9の重複』(1960年)



ジャスパー・ジョーンズは「星条旗」や「標的(こう言っては何ですが、鳩よけのバルーンみたいな模様のやつで、皆さんもどこかで見たことがあるはず)」「数字」をモチーフにした作品で一躍注目を浴びました。これは極めてアナログな表現ですが、めまぐるしくカウントされていくデジタル的感覚を想起させる興味深い作品です。


ロイ・リキテンスタイン『鏡の中の少女』(1964年)



ニューヨークに生まれ、ニューヨークで没した、生粋のニューヨーカー、リキテンスタイン。アンディ・ウォーホルと並ぶ、ポップアート界のスター作家です。黒く太い輪郭線と、ベンデイ・ドットとよばれる網点が特徴。

一見、ただひたすらモダンな表現を追求した作品ばかりのように見えますが、古典的な絵画の伝統を時折チラつかせるのが、リキテンスタインの憎いところ。

鏡は「ヴァニタス(虚栄)」の象徴として古くから西洋絵画に取り入れられたモチーフです。少女は虚栄の寓意像であり、時代を超えて、人間の普遍的な愚かさを象徴しているようにも見えます。


トム・ウェッセルマン『マリリンの口の習作(口#14)』(1967年)



唇ばかり描いているトム・ウェッセルマンの作品。どうやらマリリン・モンローの唇をイメージしているらしいが、そう言われればそう見えるし、そう言われなければそうは見えないかも…。


トム・ウェッセルマン『グレート・アメリカン・ヌード #50』(1963年)



同じく、トム・ウェッセルマンの作品。西洋絵画の伝統的なヌードを主題としつつ、アメリカの大量消費社会を表現した連作のうちのひとつ。背景にはルノワール、ルドン、セザンヌの作品が引用されています。(このルノワールの作品は、ついこの間まで日本に来ていました。)背景のラジオは実物がコラージュされており、実際に作動したものだそうです。

ここまでいくつか作品を見てきましたが、ポップ・アートを生み出した時代とは、どのような時代だったのか、なんとなくイメージができたでしょうか。

最後に、再びアンディ・ウォーホルの作品に戻りましょう。


アンディ・ウォーホル『キャンベル・スープ Ⅰ 』(1968年)




アンディ・ウォーホル『200個のキャンベル・スープ缶』(1962年)



アンディ・ウォーホルといえば、このキャンベル・スープ缶を連想する人も多いはず。

今回は日本初公開となる『200個のキャンベル・スープ缶』を見ることが出来ます。

おびただしく並べられたスープ缶は、戦後、アメリカから世界中に広まった大量消費社会を象徴しています。画一的に工業製品が大量に製造され、大量に消費される。商品はもはやただの記号に過ぎない。そんなメッセージすら感じます。

しかしウォーホルは、それを肯定するでもなく否定するでもなく、ただ淡々と時代を受け止め、表現しているように思えます。

全く同じに見えるこの二つの作品ですが、下の『200個のキャンベル・スープ缶』が先にステンシル(型紙を作り、上から絵の具を塗る方法)によって制作され、上の『キャンベル・スープ Ⅰ 』は数年後にシルクスクリーン(ステンシルよりも精度が高く複製できる)によって制作されました。

『キャンベル・スープ Ⅰ 』は10枚一組の作品ですが、いずれも滑らかな仕上がりで、ほとんど違いがわかりません。それに対して『200個のキャンベル・スープ缶』はよ〜く見ると、ひとつひとつ違っているので、会場でぜひ確かめてみてください。

文字通り、「判で押したような」この制作過程そのものが、まさに大量生産の時代を象徴しているとも言えるでしょう。


アンディ・ウォーホル『マリリン』(1967年)





最も有名なこの作品は、マリリン・モンローの死後に制作されたものです。一つのポートレイトが様々な表情に脚色され、複製され、増殖していく。大量消費の時代に、マリリン・モンローという一人の女優もまたメディアによって大量に複製され、消費されていく存在であったことを物語っています。




マリリン・グッズを大人買い!


ブロック・メモはちょっと高い(2000円位)けど、
あまりのかわいさに思わず買ってしまった。
でも10年くらい使えそうだから、まあいいか。



スープ缶と記念撮影もできますよ。





アメリカン・ポップ・アート展

       2013年8月7日(金)−10月21日(月) 国立新美術館(東京)
      



会期終了間近!週末は新美へ。




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2013年10月13日日曜日

ミケランジェロ展

最終回の視聴率が40%以上を記録したドラマ「半沢直樹」。ドラマが終わっても、書店では相変わらず原作本が一等地を独占しています。銀行を舞台にした経済ドラマでありながら、専業主婦からフリーランスまで、友人たちが集えば必ずこの話題になること数ヶ月。

おまけに近所の子供たちまで、朝から半沢の決めゼリフ「倍返しだ!」と叫びながら、じゃれ合って登校する始末。微笑ましいというか、末恐ろしいというか。

オトコ社会の、組織の中のドロドロとした駆け引きがこのドラマの最大の醍醐味のひとつではあるけれど、それは銀行やオトコ社会に限って起きていることではないことを、この視聴率は物語っていますよね。


■ ルネサンスの3大巨匠


さて、ところ変わって時代はルネサンス。花の都というその名の通り、 芸術が花開いたフィレンツェ。ここで3人の天才が運命的な出会いをはたします。


1人目はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『自画像』(1513〜1515年頃)
(トリノ王宮図書館/トリノ)




2人目はミケランジェロ・ブオナローティ(1475年〜1564年)。


ヤコピーノ・デル・コンテによるミケランジェロの肖像画




3人目はラファエロ・サンツィオ(1483年〜1520年)。


ラファエロ・サンツィオ『自画像』(1504〜1505年頃)
(ウフィツィ美術館/フィレンツェ)





この3人の関係は実に面白いのですが、それを書き始めると本一冊くらいになってしまうので、また今度。

今回、台風接近に怯えながら見に行ったのはミケランジェロ展。


目玉作品は、ミケランジェロが15歳のときの作品といわれるレリーフと、かの有名なシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」の素描の数々です。


■ 「絵画」VS「彫刻」


…ところで、質問です。ミケランジェロは画家でしょうか、彫刻家でしょうか。
正解は、ウフィツィ美術館前のミケランジェロさんにきいてみましょう。

おっと、ダ・ヴィンチさんとミケランジェロさんが何か言い争っています。どうやら、絵画と彫刻、どちらが優れた芸術か、という議論のようですが…



「彫刻は、空気を表現できない。したがって、絵画がもっとも優れた芸術だ」




なるほど。確かにそうですね。ということは、やっぱり絵画が芸術の最高峰なんでしょうか…


「絵画は、裏側を表現できない。したがって、彫刻がもっとも優れた芸術だ」



ミケランジェロさんも負けてはいません。そう言われると、そんな気も…。あれ?でもこの大作は確かミケランジェロさんの作品のはず。これって、立派な「絵画」ですよねぇ。




ここはローマ法王を決めるコンクラーベが行われることでも有名なヴァチカンのシスティーナ礼拝堂です。天井は総面積800平方メートルにも及ぶフレスコ画で、旧約聖書の「創世記」の壮大な物語が描かれています。では、最も有名な部分を拡大してみましょう。


ミケランジェロ・ブオナローティ『アダムの創造』(1508年〜1512年)
(システィーナ礼拝堂/ヴァチカン)



神がアダムに命を吹き込む瞬間を、触れそうで触れていない指先で表現しています。(この形を映画に使ったのが、地球人と宇宙人の友情を描いた『E.T.』です)

神を囲む背景は、人間の脳の形であるともいわれており、神も所詮は人間の脳が作り出したものに過ぎないというミケランジェロの隠された思想を表しているのかもしれません。しかしここはキリスト教の総本山、ヴァチカンなんですけど…。

実は、時の法王ユリウス2世の直々の指名によってミケランジェロはこの仕事を任されました。なんという名誉!とつい思ってしまいますが、ミケランジェロは何とかしてこの仕事を断ろうとします。

しかし、さすがのミケランジェロもローマ法王の命令には逆らえませんでした。天井画は4年の年月を経て完成しますが、不自然な姿勢が祟ってミケランジェロの首は曲がってしまったとか。

なぜ、この名誉な仕事を断ろうとしていたのか。それは、先ほどのセリフに答えがあります。ミケランジェロは、自分が彫刻家であるということに最も誇りを持っていたのです。


ミケランジェロ・ブオナローティ『ピエタ』(1498年〜1500年)
(サン・ピエトロ大聖堂/ヴァチカン)



24歳の時の作品。「ピエタ」とはイタリア語で、
悲しみ、慈悲の意味。
キリストの死を悲しむ聖母マリアのモチーフにしたものを
「ピエタ」という。


それから20年後、再びミケランジェロに教皇クレメンス7世より悪夢の(?)オファーがやってきます。なんだかんだと言い訳をしながら後継者パウル3世の時代になってやっと重い腰を上げて作業に取りかかり、完成したのがシスティーナ礼拝堂の正面の壁画です。


ミケランジェロ・ブオナローティ『最後の審判』(1536年〜1541年)
(システィーナ礼拝堂/ヴァチカン)




この世の終わりにキリストが再び降臨し、天国に行く者と地獄に行く者に振り分けるという「最後の審判」。良い行い(=キリスト教への信仰心が篤いこと。悲しいかな、親切におばあさんに道を教えてあげたとかではない)をした者は天使によって祝福され天国へ導かれる。一方、地獄行きになると、必死に乗り込んだボートからも振り落とされる始末。

そして、ミケランジェロは、よっぽどこの仕事が嫌だったらしく、こんな皮肉を込めて自画像を描き込んでいます。


精魂尽き果て、皮だけになっちゃった。


…というわけで、今回は展示作品紹介の前にかなり長い時間を費やしましたが、これらのポイントを押さえておくと楽しめます。


ミケランジェロ・ブオナローティ
『システィーナ礼拝堂天井画のコーニス装飾と裸体像の習作』(1508年〜1509年頃)
(カーサ・ブオナローティ/フィレンツェ)





上の素描は天井画ではこう描かれています。


今回の展示会で私がもっとも興味を惹かれたのは、意外にも書簡でした。
システィーナ礼拝堂の仕事をすすめる中で、彼は怒りのあまり教皇クレメンス7世に以下のように直訴しています。

「私に何らかの仕事をお望みでしたら、私の芸術につきまして上から指示する者を置かず、私にご信頼をお預けいただき、制作の自由をお与えくださいますよう、謹んでお願いしたく存じます」(展覧会図録より抜粋)

教皇の指示とはいえ、実際に作業をすすめるにあたってはおそらく現場監督のような教皇庁の人間がいて、それを煩わしく思っていたことが伺えます。また、次から次へと仕事を振ってくる上に、経費を抑えるように、などどいう教皇自身に対する不満も感じることができます。

孤高の天才ミケランジェロも、さすがに教皇に向かっては「倍返しだ!」とは言えず、堪りかねて筆をとった模様。

ミケランジェロほどの天才でも、組織と権力に悩まされていたことを知ると、ちょっぴり親近感が湧いてくるから不思議です。

それにしても、何かを期待されていればいるほど「自由」って、難しいものなんですね。



ミケランジェロ展
- システィーナ礼拝堂500年祭記念 天才の軌跡 -

       2013年6月28日(金)−8月25日(日) 福井県立美術館(福井)終了
       2013年9月6日(金)−11月17日(日) 国立西洋美術館(東京)

※ 本記事に掲載の画像作品のうち、展覧会場に実物の出品があるのは素描のみです。



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2013年10月5日土曜日

シカゴ美術館

今年の夏の始めに、アメリカ在住の学生時代の友人からこんな連絡がありました。

—子供の夏休みに家族でシカゴ観光に行くことになったの。アメリカ3大美術館でもあるシカゴ美術館にも行く予定。絵はがきのリクエストはある?

そして美術館のコレクションサイトのリンクまで添付してくれたのです。

シカゴ美術館といえば、点描画の巨匠ジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』があります。この作品は、まだフランス本国で印象派の価値が充分に認められないうちにアメリカに渡り、のちにフランスが大慌てで買い戻そうとしましたが、拒否されたという名作です。今では、シカゴ美術館最大の目玉であり、作品は門外不出になっています。


ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(1884年〜86年)



この作品の本物をいつか見たいと思いつつ、まだ夢は果たせていません。



シカゴ美術館に行ってみたい理由はもうひとつ。

スーラの作品のみならず、シカゴ美術館はモネやロートレックなど、印象派の名画の宝庫としても知られているのです。



アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ムーラン・ルージュにて』(1892年)


女性の顔を緑にすることで、下から光が当たっている様を巧みに表現しています。でもやっぱり怖い。


ところで、日本でも「ボストン美術館展」などアメリカの美術館から委託を受けた展覧会が開かれますが、内容を見てみると、目玉は狩野派の襖絵だったり、浮世絵だったり、ちょっと不思議に思うことはありませんか?

これは、先に述べたフランスと同じ現象です。

極端に言ってしまえば、日本が西洋文化に憧れ、それを追いかけている間に、日本の優れた美術品がどんどん海外に流出していきました。

特にアメリカは文化新興国なので、いくらお金を積んだとしても、ヨーロッパ諸国にある、すでに価値の認められた古典的な名画はなかなか手に入れることができませんでした。

そこで、比較的安価で容易に手に入れることができたのが、まだフランス本国で価値の低かった印象派の絵画や日本の浮世絵や蒔絵などです。(そもそも印象派だって浮世絵の影響を受けた画家は、マネ、ゴッホ、など数知れず)

さて、話を戻すと…。

図々しくも絵はがきをたんまりリクエストしてから数週間後、友人から荷物が届きました。そこにはなんと、絵はがきのみならず、うれしいお宝がゴッソリと!



ロートレックのシールブックとミニサイズの図録


まず私なら、適当に自分の好みか「まぁこれなら間違いないだろう」というベタなものを1枚買って、ハイ、と渡して終わるのですが、相手に「お好きなものを選んでね。探してくるから」という気遣い。

そして私がリクエストしたものが陳列されていないことまで調べ、「いま出てないみたいだから、ハガキもないかも。もしなかったら代わりに何がいい?」とまで連絡をくれて、私なら「やっぱ、なかった。ごめ〜ん」と済ませるところが、何たる親切さ。



シールブックの中身はこんなにゴーカ!


その上、彼女は「オマケ」というけれど、日本では絶対に手に入らない図録やシール、などなどレアなグッズまでつけてくれちゃって、本当にその心遣いを見習いたいものです。



館内案内と、企画展「Passion for Fashion(ファッションへの情熱)展」のリーフレット。
企画展の解説には、印象派の名画に見るパリのファッションを通して近代を考察する、とある。
この企画展はものすごく興味深い。



美術館の感想を彼女に聞くと、チビちゃんが数分でグズりだしたのであまりゆっくり見れなかったとはいうものの、必ずや幼い彼の潜在意識に残ったものがあると思います。(私がそうだったので…)


…以上、今回はいつか行きたい美術館と友達自慢の巻でした!



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