2013年10月13日日曜日

ミケランジェロ展

最終回の視聴率が40%以上を記録したドラマ「半沢直樹」。ドラマが終わっても、書店では相変わらず原作本が一等地を独占しています。銀行を舞台にした経済ドラマでありながら、専業主婦からフリーランスまで、友人たちが集えば必ずこの話題になること数ヶ月。

おまけに近所の子供たちまで、朝から半沢の決めゼリフ「倍返しだ!」と叫びながら、じゃれ合って登校する始末。微笑ましいというか、末恐ろしいというか。

オトコ社会の、組織の中のドロドロとした駆け引きがこのドラマの最大の醍醐味のひとつではあるけれど、それは銀行やオトコ社会に限って起きていることではないことを、この視聴率は物語っていますよね。


■ ルネサンスの3大巨匠


さて、ところ変わって時代はルネサンス。花の都というその名の通り、 芸術が花開いたフィレンツェ。ここで3人の天才が運命的な出会いをはたします。


1人目はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『自画像』(1513〜1515年頃)
(トリノ王宮図書館/トリノ)




2人目はミケランジェロ・ブオナローティ(1475年〜1564年)。


ヤコピーノ・デル・コンテによるミケランジェロの肖像画




3人目はラファエロ・サンツィオ(1483年〜1520年)。


ラファエロ・サンツィオ『自画像』(1504〜1505年頃)
(ウフィツィ美術館/フィレンツェ)





この3人の関係は実に面白いのですが、それを書き始めると本一冊くらいになってしまうので、また今度。

今回、台風接近に怯えながら見に行ったのはミケランジェロ展。


目玉作品は、ミケランジェロが15歳のときの作品といわれるレリーフと、かの有名なシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」の素描の数々です。


■ 「絵画」VS「彫刻」


…ところで、質問です。ミケランジェロは画家でしょうか、彫刻家でしょうか。
正解は、ウフィツィ美術館前のミケランジェロさんにきいてみましょう。

おっと、ダ・ヴィンチさんとミケランジェロさんが何か言い争っています。どうやら、絵画と彫刻、どちらが優れた芸術か、という議論のようですが…



「彫刻は、空気を表現できない。したがって、絵画がもっとも優れた芸術だ」




なるほど。確かにそうですね。ということは、やっぱり絵画が芸術の最高峰なんでしょうか…


「絵画は、裏側を表現できない。したがって、彫刻がもっとも優れた芸術だ」



ミケランジェロさんも負けてはいません。そう言われると、そんな気も…。あれ?でもこの大作は確かミケランジェロさんの作品のはず。これって、立派な「絵画」ですよねぇ。




ここはローマ法王を決めるコンクラーベが行われることでも有名なヴァチカンのシスティーナ礼拝堂です。天井は総面積800平方メートルにも及ぶフレスコ画で、旧約聖書の「創世記」の壮大な物語が描かれています。では、最も有名な部分を拡大してみましょう。


ミケランジェロ・ブオナローティ『アダムの創造』(1508年〜1512年)
(システィーナ礼拝堂/ヴァチカン)



神がアダムに命を吹き込む瞬間を、触れそうで触れていない指先で表現しています。(この形を映画に使ったのが、地球人と宇宙人の友情を描いた『E.T.』です)

神を囲む背景は、人間の脳の形であるともいわれており、神も所詮は人間の脳が作り出したものに過ぎないというミケランジェロの隠された思想を表しているのかもしれません。しかしここはキリスト教の総本山、ヴァチカンなんですけど…。

実は、時の法王ユリウス2世の直々の指名によってミケランジェロはこの仕事を任されました。なんという名誉!とつい思ってしまいますが、ミケランジェロは何とかしてこの仕事を断ろうとします。

しかし、さすがのミケランジェロもローマ法王の命令には逆らえませんでした。天井画は4年の年月を経て完成しますが、不自然な姿勢が祟ってミケランジェロの首は曲がってしまったとか。

なぜ、この名誉な仕事を断ろうとしていたのか。それは、先ほどのセリフに答えがあります。ミケランジェロは、自分が彫刻家であるということに最も誇りを持っていたのです。


ミケランジェロ・ブオナローティ『ピエタ』(1498年〜1500年)
(サン・ピエトロ大聖堂/ヴァチカン)



24歳の時の作品。「ピエタ」とはイタリア語で、
悲しみ、慈悲の意味。
キリストの死を悲しむ聖母マリアのモチーフにしたものを
「ピエタ」という。


それから20年後、再びミケランジェロに教皇クレメンス7世より悪夢の(?)オファーがやってきます。なんだかんだと言い訳をしながら後継者パウル3世の時代になってやっと重い腰を上げて作業に取りかかり、完成したのがシスティーナ礼拝堂の正面の壁画です。


ミケランジェロ・ブオナローティ『最後の審判』(1536年〜1541年)
(システィーナ礼拝堂/ヴァチカン)




この世の終わりにキリストが再び降臨し、天国に行く者と地獄に行く者に振り分けるという「最後の審判」。良い行い(=キリスト教への信仰心が篤いこと。悲しいかな、親切におばあさんに道を教えてあげたとかではない)をした者は天使によって祝福され天国へ導かれる。一方、地獄行きになると、必死に乗り込んだボートからも振り落とされる始末。

そして、ミケランジェロは、よっぽどこの仕事が嫌だったらしく、こんな皮肉を込めて自画像を描き込んでいます。


精魂尽き果て、皮だけになっちゃった。


…というわけで、今回は展示作品紹介の前にかなり長い時間を費やしましたが、これらのポイントを押さえておくと楽しめます。


ミケランジェロ・ブオナローティ
『システィーナ礼拝堂天井画のコーニス装飾と裸体像の習作』(1508年〜1509年頃)
(カーサ・ブオナローティ/フィレンツェ)





上の素描は天井画ではこう描かれています。


今回の展示会で私がもっとも興味を惹かれたのは、意外にも書簡でした。
システィーナ礼拝堂の仕事をすすめる中で、彼は怒りのあまり教皇クレメンス7世に以下のように直訴しています。

「私に何らかの仕事をお望みでしたら、私の芸術につきまして上から指示する者を置かず、私にご信頼をお預けいただき、制作の自由をお与えくださいますよう、謹んでお願いしたく存じます」(展覧会図録より抜粋)

教皇の指示とはいえ、実際に作業をすすめるにあたってはおそらく現場監督のような教皇庁の人間がいて、それを煩わしく思っていたことが伺えます。また、次から次へと仕事を振ってくる上に、経費を抑えるように、などどいう教皇自身に対する不満も感じることができます。

孤高の天才ミケランジェロも、さすがに教皇に向かっては「倍返しだ!」とは言えず、堪りかねて筆をとった模様。

ミケランジェロほどの天才でも、組織と権力に悩まされていたことを知ると、ちょっぴり親近感が湧いてくるから不思議です。

それにしても、何かを期待されていればいるほど「自由」って、難しいものなんですね。



ミケランジェロ展
- システィーナ礼拝堂500年祭記念 天才の軌跡 -

       2013年6月28日(金)−8月25日(日) 福井県立美術館(福井)終了
       2013年9月6日(金)−11月17日(日) 国立西洋美術館(東京)

※ 本記事に掲載の画像作品のうち、展覧会場に実物の出品があるのは素描のみです。



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