■ フランダースの犬
日本人にとって、ルーベンスを語るに欠かせないのが、アニメ「フランダースの犬」。「パトラッシュ、ぼく、もう疲れたよ」といって、クリスマスに天に召されてく少年ネロと愛犬パトラッシュの最期を涙なしで見られる人はいないでしょう。画家を目指すネロが最後にたどり着いたアントワープの大聖堂で、どうしても見たかったのが、ルーベンスの「キリストの降架」。この絵を見ながら、ネロは静かに微笑みながら天使に導かれていくのです。
ピーテル・パウル・ルーベンス『キリストの降架』(1610年〜1611年)
(聖母マリア大聖堂/アントウェルペン)
この絵を見るために、世界中から観光客が訪れます。したがって、おそらく門外不出。ルーブルのモナリザのようなものですね。
■ 美の基準とは…
ルーベンスは、多くの女性(裸婦)を描いていますが、こちらはうってかわって日本人にはイマイチ人気がないのです。それはなぜか。
ピーテル・パウル・ルーベンス『三美神』(1635年)
(プラド美術館/マドリード)
肉感的というよりも、セルライトまみれで「絶対にこうはなりたくない」という感じ。一番可愛らしく描かれている左の女神は、ルーベンスの二番目の妻エレーヌがモデルと言われています。それにしても、ちょっとねぇ…。(※上の二つの絵は今回出品されていません)
ピーテル・パウル・ルーベンス『ロムルスとレムスの発見』(1612年〜1613年)
(カピトリーナ絵画館/ローマ)
今回の目玉作品。世界最古の美術館、ローマのカピトリーナ絵画館が所蔵するこの作品は、ローマの建国にまつわる故事を描いたもの。兄から王位を奪った弟が、復讐を恐れて兄の孫である双子の兄弟ロムルスとレムスをテヴェレ川に捨てるよう命じましたが、彼らは生き延びて狼とキツツキに育てられました。
やがて羊飼い夫妻に引き取られ、成人し、双子は都市を建設しようとするのですが、兄弟で争いが起こり、弟は兄に殺されてしまいます。こうして兄が建国者となり、多くの人々を街に住まわせましたとさ…というのがローマ建国のお話。
これは、狼が乳を与え、身体を舐めて清潔にし、キツツキが食べ物を運んで双子を育てている場面を、やがて養父となる羊飼いが発見する場面です。左のマッチョな老人は、今もローマを流れるテヴェレ川の擬人像。彼の後方にいる女性は、川の水源を象徴するナーイス(美しい女性の姿をした泉や川のニンフ)。
ナーイス(あるいはナイアス)は英語でnaiad、語源はnurseと同じで、泳ぐこと、流れること、乳を飲ませること、養うこと。控えめに描かれていますが、この物語全体を象徴する重要な役割を担っているように思います。
■ 「ルーベンス」か「ルーベンス工房」か
画家は芸術家という扱いではなく、王侯貴族や富豪の注文あっての職人に過ぎませんでした。万能の天才ダ・ヴィンチもヴェロッキオという親方の工房に弟子入りし、腕を磨いたのです。ルーベンスもイタリアで修行を重ね、故郷アントワープ(ベルギー)で工房を構える親方となりました。
ルーベンスが育てたもっとも有名なスターといえば、ヴァン・ダイク。自身が描く肖像画と同じように繊細な美貌の持ち主だったとか。
アンソニー・ヴァン・ダイク『悔悛のマグダラのマリア』(部分)(1618〜1620年頃)
この流れる涙の美しさは、ぜひ本物を見ていただきたい!というくらいに素晴らしい。まるで真珠のように光輝くマグダラのマリアの涙は、図録や写真では到底再現できません。
■ ルーベンス型とゴッホ型
画家というと、つい「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり…」という石川啄木の短歌が浮かんできそうなイメージがあります。(日本人が大好きなゴッホはこのタイプの典型ですね)しかし、必ずしも貧しい生い立ちから立身出世した人たちばかりではありません。
ドラクロワ(3月24日付記事「ルーブル・ランス−自由を探して−」をご参照くださいませ)やルーベンスは政府高官の子息として生まれました。おまけにルーベンスは、画家でありながら数カ国語を操る外交官としても活躍し、文字通り成功と栄光に満ちた人生を歩んだ人物です。
一方、ゴッホは常に無一文で弟のテオに生活の面倒をみてもらい、おかげで弟夫妻が不仲になるわ、生きている間に売れた絵はたった1枚しかないわ、認められるということを味わうことのない一生を送りました。しかし、どちらも21世紀を生きる私たちから見れば、美術史に欠かせない「巨匠」なのです。
つまり、何事も自分次第ということですね。
話は変わりますが…
いつも気になっているのが、日本の美術館の鑑賞スタイル。今回も「他の方のご迷惑となりますので私語は謹んで鑑賞してください」といった内容の貼り紙があり、毎度驚かされます。確かに、日本の美術館は天井も低く、狭いスペースなので、音が反響しやすく、わずかな話し声でも気になってしまうのは事実。
私自身は一人で鑑賞することが多いのですが(人と行ってもほとんど解説などしない)、普通は友人同士や家族、カップルなどで楽しみたい場合がほとんどだと思います。それを無言で鑑賞しろというのも酷な話です。無言で鑑賞できるほどの知識があるならまだしも、一般的には日本の美術教育はそれほどレベルが高くないのが現実です。
また、子供がほとんどいないのも日本の美術館の特徴。無言の鑑賞を強いられる環境では、周りの視線が恐くて、親御さんはとても子供など連れて行く気にならないでしょう。(我が両親はよくぞ幼い私をひっぱり回したものです)最近では、一部の美術館で子供向けに鑑賞の手引きを作ったり、お絵描きボードを貸出したりしていますが、まだまだ、という感じです。
海外の美術館では、小さな子供連れの家族はもちろん、先生を取り囲んで、生徒たちが床に座り、必死でノートをとる、という学校の授業の1コマがよく見られます。また、折りたたみ椅子を構えて模写をする画学生もいます。広い建物の中でゆったりと、それぞれの感想や印象を静かに語りあう、という光景がごく自然に繰り広げられています。
■ 日本の美術館って…
いつも気になっているのが、日本の美術館の鑑賞スタイル。今回も「他の方のご迷惑となりますので私語は謹んで鑑賞してください」といった内容の貼り紙があり、毎度驚かされます。確かに、日本の美術館は天井も低く、狭いスペースなので、音が反響しやすく、わずかな話し声でも気になってしまうのは事実。
私自身は一人で鑑賞することが多いのですが(人と行ってもほとんど解説などしない)、普通は友人同士や家族、カップルなどで楽しみたい場合がほとんどだと思います。それを無言で鑑賞しろというのも酷な話です。無言で鑑賞できるほどの知識があるならまだしも、一般的には日本の美術教育はそれほどレベルが高くないのが現実です。
また、子供がほとんどいないのも日本の美術館の特徴。無言の鑑賞を強いられる環境では、周りの視線が恐くて、親御さんはとても子供など連れて行く気にならないでしょう。(我が両親はよくぞ幼い私をひっぱり回したものです)最近では、一部の美術館で子供向けに鑑賞の手引きを作ったり、お絵描きボードを貸出したりしていますが、まだまだ、という感じです。
海外の美術館では、小さな子供連れの家族はもちろん、先生を取り囲んで、生徒たちが床に座り、必死でノートをとる、という学校の授業の1コマがよく見られます。また、折りたたみ椅子を構えて模写をする画学生もいます。広い建物の中でゆったりと、それぞれの感想や印象を静かに語りあう、という光景がごく自然に繰り広げられています。
コートールド美術館(ロンドン)にて
日本の美術館も、老若男女が自由に語らいながら楽しめて、感性豊かな子供たちが育つ環境が整うことを切に祈ります。
ルーベンス
−栄光のアントワープ工房と原点のイタリア−
2013年3月9日(土)−4月21日(日) Bunkamura ザ・ミュージアム 終了
2013年4月28日(日)−6月16日(日)北九州市立美術館
http://rubens-kitakyushu.jp
2013年6月29日(土)−8月11日(日)新潟県立近代美術館
http://www.lalanet.gr.jp/kinbi/exhibition/index.html
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http://rubens-kitakyushu.jp
2013年6月29日(土)−8月11日(日)新潟県立近代美術館
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