2014年6月22日日曜日

ギュスターヴ・モロー美術館 —ファム・ファタルとしての「サロメ」—

美術展だけでなく、美術館のご紹介も謳い文句になっているこのブログですが、すっかり目先の美術展を追いかけるばかりになってしまい反省です(それさえもままなぬこと多々あり)。

そこで、お目当ての次なる美術展の前に、今日はパリの穴場美術館(?)ギュスターヴ・モロー美術館をご紹介しながら、その目玉作品を語るに欠かせないキーワード「ファム・ファタル(femme fatale)」についてご案内します。

それにしても、ここは数あるパリの美術館の中でも大好きな美術館の一つです。このときは大雨の日曜日で、駅から近いのですが、街には人っ子一人いなくて(外にいたのは家のないおじさんと私だけ)思わずちょっと早歩きになってしまいました。

おかげでほとんど貸し切り状態。下の写真は4階から3階を見下ろしたものですが、雨音を聞きながら、老夫婦が肩を寄せ合い静かに名画を鑑賞する素敵な場面に遭遇することができました。

さて、日本語ではよく「運命の女」あるいは「宿命の女」と訳される「ファム・ファタル」。なんだかワクワクする響きではありませんか。



画家のアトリエ兼住居を、改装した美術館。
作品の配置はすべて画家の遺言によるもの。
世界初の国立の個人美術館です。
(2013年に一部改装。写真は改装前のものです)


■ 「ファム・ファタル」と世紀末


所は変わって19世紀末のパリ。ヨーロッパにおいて様々な様式の芸術が花開いた希有な時代です。絵画では、印象派、象徴主義、耽美主義、分離派など、国境を越えて様々なムーブメントが起こりました。

芸術や文化を論じるとき、「世紀末」というだけでこの19世紀末を指すことが多いのですが、それくらい特徴的な時代です。

少し余談になりますが、西洋絵画を読み解く鍵は、色彩や構図よりもまず、描かれた時代を読むことです。

画家が何をキャンバスの上に表現したかったのか、それを推理することが、すなわち絵画を「読む」ということであり、そこに画家が託したメッセージを受け取った瞬間、時空を超えてとても親しい間柄になったような感覚が沸き起こります。

この感覚が忘れられなくて、私は絵に向き合うことがやめられないのです。

さて、話を戻して、19世紀末とはどんな時代だったのでしょう。

この時代の大きな特徴は、第二次産業革命によって工業化と都市化が急速に進んだことです。蒸気機関車が発明され、その他あらゆる工業製品によって、生活はどんどん便利になっていきました。

しかし一方で、その便利さを存分に享受できる資本家と搾取される労働者の二極化が進み、何か先の見えない焦燥感や閉塞感、終末感が漂っていたこともまた事実です。

その中で、女性に対する価値観にも変化が生まれます。

ここで注意しなければならないのは、あくまでも男性の視点から見た価値観であるということ。社会は男性が動かしているものであり、女性はか弱く、庇護されるべき存在であり、男を脅かす存在になどなり得なかったのです。

ところが工業化と都市化によって格差が生まれた社会においては、女性も労働力の一因に組み込まれることになります。今日的なキャリアウーマンとはまた違った意味で(かなり限定的な職業ではありながらも)社会進出を果たした女性は男性と接点を持つようになります。

そうなると、様々なドラマが生まれるわけで…

このような時代を象徴した恋愛小説、戯曲、詩、絵画が山ほど生まれます。その中で、人々は繰り返し描かれる新しい女性像にある統一したイメージを持つようになります。

女は男にとって、庇護すべきか弱き存在から、自分を支配し、ひいては破滅させることにもなりかねない危うさをもった存在に豹変したのです。

それがすなわち「ファム・ファタル」。自分の身を滅ぼしかねないほど魅力的で危険な「運命の女」です。


■ 「ファム・ファタル」としての「サロメ」


イメージは、聖書や神話の登場人物にも投影されるようになります。その典型といわれるのが、サロメの物語。数多くの画家がこぞって描いたサロメの中でも、とりわけこの作品は、絵画において「ファム・ファタル」を語るに欠かせない記念碑的作品でもあります。



ギュスターヴ・モロー『出現』(1876年)

(ギュスターヴ・モロー美術館/パリ)


洗礼者ヨハネの首と対峙するサロメ。
善と悪、男と女、相反する者の間に流れる独特の緊張感が
見る者を魅了します。




ギュスターヴ・モロー『出現』(部分)(1876年)

(ギュスターヴ・モロー美術館/パリ)




サロメの物語を要約すると…

サロメは新約聖書の「マタイによる福音書」を始めとしたいくつかの福音書に登場する少女です。彼女の母親はヘロデ王の妻ヘロデアであり、ヘロデ王はなんと兄を殺して玉座を奪い、その妻ヘロデアまでも手中に収めました(この辺り、シェイクスピアの『ハムレット』を彷彿させます)。ところが、この結婚を厳しく糾弾した人物がいました。イエス・キリストに洗礼を授けた洗礼者ヨハネです。

ちなみに、洗礼者ヨハネは、この人です。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者ヨハネ』(1513年〜1516年)
(ルーヴル美術館/パリ)


どうにもうまく撮れなくてスミマセン…


ある日、ヘロデアは大勢の客人が集う祝宴で、娘に王の前で踊りを披露させます。これがまた、大そうエロティックな踊りで、(オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』では、7枚のベールを1枚ずつ剥ぎ取りながら踊る、と表現されている)ヘロデ王は大喜び。そなたの望みを何でも叶えてやる、と言わしめ(実はそう言うように仕向けたのは母ヘロデアである)、サロメは母に指示されたとおり「ヨハネの首を」と言ったがゆえに、ヨハネは首を刎ねられたのです。

…と言っておきながらも、それなら本当の意味で「ファム・ファタル」なのは、サロメではなくヘロデアなのでは?とこの物語を思い返すたびに思ってしまいます。

一般的には、ヘロデ王を妖艶な踊りで虜にさせた、という意味でサロメが「ファム・ファタル」と呼ばれるのですが…私としては、ヘロデアのほうがずっと恐ろしい女だと思いますけどね。まあ、母親のヘロデアよりも確かに若い娘サロメのほうが文字通り「絵になる」気もしますが…。

とりわけモローのこの作品が退廃的な時代の雰囲気と相まって、人気を博したのですが、他にもボッティチェリ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、クラナッハなど古くから多くの画家に好まれたテーマであり、戯曲やオペラの題材にもなっているので、サロメの物語はちょこっとどこかに覚えておかれると愉しみが増えるかもしれません。

「ファム・ファタル」は一つの作品ではとうてい論じ切れないほど奥が深いので、また何かの合間にご紹介したいと思います。



ギュスターヴ・モロー美術館

Musée national Gustave Moreau
14 rue de La Rochefoucauld
75009 Paris

※ 地下鉄12号線 トリニテ駅(Trinité-d'Estienne d'Orves)より徒歩約5分



公式サイト:http://musee-moreau.fr (フランス語です)
(公式ではありませんが、わかりやすい日本語のサイトです)
※ 営業時間、休館日などは観光局のサイトなどで最新の情報を確認されることをおすすめいたします。


さて、いよいよ始まりますよ〜!




あ、間違えた。こちらです。







その前に、がんばれ日本!


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2014年6月2日月曜日

星の王子さまミュージアム

■ 初夏のお出かけミュージアム


早くも30度を超える真夏日が続いた東京。この週末は、職場や学校を抜け出して、どこか遠くお出かけしたくなるほど本当にいいお天気でした。そこで、この季節の小旅行にオススメのミュージアムをご紹介いたします。

ずっと気になっていたものの、先日、初めて訪れた「星の王子さまミュージアム」。学生時代の友人たちと奇跡的に休みを合わせることができて、小旅行が実現しました。 

実は箱根に行こうと決まったものの、前日までノープラン。しかし頼もしい友人たちは、見事なチームワークで瞬く間に完璧な計画を練り上げ、私の迷ナビによる珍道中にもかかわらず、なんとか到着できました。(みんな、許しておくれ…)




エントランスでは王子さまがお出迎えしてくれます。



おっと、いきなり可愛らしいレストランの案内オブジェが。



吸い込まれるようにまず腹ごしらえ(笑)。


そして、まずは併設のレストランでランチ。平日、そして箱根という立地にもかかわらず、なかなかの賑わいです。様々なメニューに目移りしてしまいそうですが、ここはやっぱり『星の王子さま』の世界そのもののハンバーグでしょう!食後にはバラのハーブティーをいただき、優雅な時間を過ごしました。(バラは物語の重要な意味をもつキーワードなのですよ)

そうそう、NHKの朝ドラ「花子とアン」がものすごく面白い、との情報(実は私たちは主人公花子が通う女学校のモデルになった学校の卒業生)を得たのもこのとき。朝ドラは見ない派の私も、それからすっかりハマってしまい、おかげで毎朝8時にテレビの前にいる生活です。


…と、盛り上がっているうちに、またしても恐ろしいほどの時間が経ち、危うくここでランチして帰るだけになりそうになり、慌てて重い腰を上げました。



4月の中旬でしたが、まだ桜が咲いていました。
世界的なガーデンデザイナー吉谷桂子さんの手がける庭園も
見どころのひとつ。


■ 『星の王子さま』ってどんなお話?


「…ところで、『星の王子さま』って、どんな話だったっけ?」。じつは私、子供の頃に読んで大好きになり、展覧会に行ったり、もちろん本も数冊持っているし、今でも仕事で使ってるノートはMOLESKINの星の王子さま限定版、というくらいなのに、あらすじを聞かれると「えぇ〜と、飛行機乗りの主人公が砂漠に不時着して、そこに見知らぬ小さな王子さまが現れてぇ…」と、聞いても全く読んでみたいと思わない説明しかできなかったのです。


そこで、すかさず賢いわが友は、「大切なものは目に見えない、っていう話じゃなかったっけ?」ハイ、その通りです!


           

1990年、三越で行われた『星の王子さま展』の図録。
我ながらモノ持ちがよいなぁ。


           

MOLESKINの限定版ノート。
内側もカワイイんですよ!



でも、私のようにどんな話だっけ?という方もご安心を。館内ではあらすじと作者サン=テグジュペリの生涯を振り返る映像コーナーがあります。




敷地の中は、フランスの街並を模した建物が軒を連ねます。



まるでディズニーランドのアトラクションのよう。



おやまあ、こんなところに王子さまが。


 ■ 『星の王子さま』になったサン=テグジュペリ


『星の王子さま』は、第二次世界大戦中の1943年、フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによって、書かれました。ナチスの侵攻によって亡命を余儀なくされたサン=テグジュペリは、ニューヨークでこの作品を発表します。子供向けに書かれたこの本は、個性的でありながらもかわいらしい挿絵と共に、今も世界中の人々に読み継がれています。

ところでこのタイトル、原題は『Le Petit Prince(ル・プティ・プランス)』で「小さな王子」という意味なのですが、1953年に日本版が出されたときに、訳者の内藤濯(あろう)氏が名付けたものです。確かに「小さな王子」より夢があって素敵なタイトルですよね。

サン=テグジュペリは、1900年にフランスの商業都市リヨンの伯爵家に生まれました。子供の頃に、たまたま乗せてもらった飛行機への憧れが募り、やがて定期郵便飛行のパイロットになります。その傍らで小説を書き、『夜間飛行』(1931年)『人間の大地』(1939年)などの名作を生み出します。『夜間飛行』はゲランの香水の名前になったほどのベストセラーでした。

そうした大人向けの小説を描く作家が、久々に発表した作品が『星の王子さま』(1943年)だったのです。

この作品を発表した翌1944年、サン=テグジュペリはフランス空軍に戻り、偵察飛行のためコルシカ島から飛び立ったまま、未帰還となりました。

まさに物語の王子さまのように、ドラマチックな最期でした。



サン=テグジュペリが乗っていた飛行機のミニチュアがあります。


このミュージアムは、サン=テグジュペリの生誕100周年を記念して1999年に建てられました。様々な言語に翻訳されている『星の王子さま』の本や、サン=テグジュペリの愛用品、手紙の展示、そしてニューヨークで生活した部屋などが再現されています。


■ 大人のための物語


さて、子供の頃に読んで以来、もうずいぶん長い間忘れていた本を再び開く日がやってきました。ミュージアムから帰って以来、ずっとこの本を繰り返し読んでいました。

なんとも不思議な物語です。読むたびに、違う気づきがあるのです。だからこの物語は誕生から半世紀以上たった今も色褪せない魅力があるのでしょう。


物語は、サハラ砂漠に不時着したパイロットが、小さな王子さまと出会うところから始まります。「ヒツジの絵を描いて!」と王子さまに懇願され、こっちはヒツジどころじゃないんだよオイオイ、とパイロットは困惑しつつも、王子さまの難しい要求に何とか応えようとします。

そのやり取りの中で、王子さまは自分の星に大切なバラを持っていたけれど、わがままなバラと心を通わせることができず、決別してきたことが分かります。

子供向けの童話、という形を借りながらも、この王子さまとバラの関係は人間の男女関係そのものです。やさしい王子さまは何かとバラに尽くすのですが、思いが通じず、バラもまた王子さまのやさしさをわかっていながら素直になれず、すれ違ってしまうのです。バラは悲しい気持ちを堪えて、去って行く王子さまを追いかけず、お幸せになってね、と旅立つ王子さまを見送ります。

このバラにはモデルがいるようで、それはサン=テグジュペリの妻、コンスエロだと言われています。コンスエロはサン=テグジュペリとは三度目の結婚で、結婚後も自由奔放。一方、サン=テグジュペリ自身も複数の女性関係があり、夫婦はすれ違いの生活でした。

王子さまは、へんてこな大人たち(きっとみなさんのまわりにも当てはまる人がいるはず)やキツネ、ヘビなどと様々な出会いを重ね、自分の星を出てきた時よりも様々なことを学び、成長していきます。

とりわけこの物語の核となるバラとの関係において、王子さまは大切なことに気づき、毒蛇に自分を噛ませて、自分の星へ帰ることを決意します。

つまり「死」を以て魂の故郷に戻ることをあらわしているのですが、その素晴らしいラストシーンは、涙なしには読めません。



           
なんと3冊も持っていた私。
一番奥は中学生のときに買ってもらった英語版。
一番手前は2000年に刊行されたオリジナル復刻版。


思い出すとなぜかあたたかい気持ちになって、大好きだったことはよく覚えているんだけど、あらすじが思い出せない理由がよくわかりました。

これは子供ではなく、むしろ大人が読むべき物語なのです。

この本にはじめて出会ったときに子供だった私には、王子さまの苦しみやバラへの想い、またバラの悲しみも、へんてこな大人たちも、キツネが友情を求める気持ちも、パイロットの孤独も、すべて自分の外側にある世界でした。

だけど今は、すべて自分の知る世界として共鳴することが出来ます。王子さまがそうであったように、わたしにも生きる年月とともに重ねた「思い」があるみたいです。




帰りは強羅の足湯カフェ(http://www.naraya-cafe.com/j/footbath.html)
で、足湯に浸かりながら極楽タイム。
自分で餡をつめて食べる最中は絶品!


『星の王子さまミュージアム』

所在地:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原909
問い合わせ:0460-86-3700


開館時間:9:00〜18:00(最終入館17:00)
年中無休


※開館時間や休館日に変更がある可能性があります。

詳細はhttp://www.tbs.co.jp/l-prince/guide/にてご確認ください。




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2014年5月1日木曜日

アンディ・ウォーホル展

GWにオススメの美術展をもうひとつご紹介。ミスター・ポップ・アート、アンディ・ウォーホルの展覧会です。



昨年秋に国立新美術館で開催された「アメリカン・ポップ・アート展」にもウォーホル作品が多数出ていたので、記憶に新しい方も多いはず。

(「アメリカン・ポップ・アート展」についてはこちらの記事をご参照くださいませ→http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html?m=1)

しかし今回はウォーホル単独の展覧会。1950年代に商業イラストレーターとして成功を治め、その後美術界へ転身、58歳でその生涯を終えるまでの様々な作品を振り返ることができます。

グラフィック作品だけでなく、「ファクトリー」と呼ばれた彼のアトリエの再現コーナーもあります。部屋全体をアルミで覆ったかのような銀色の空間は、まさに無機質な工場さながら。2次元だけでなく、3次元でもウォーホルの世界を堪能できます。

特に必見なのは、「タイムカプセル」と名付けられた彼の遺品の数々。モノを捨てられない性格だったのか、自らの生きた軌跡を意図して残したものなのか、諸説ありますが、ダンボール箱569個から選りすぐられた約300点が展示されています。

中でも注目すべきは、日本文化に関する品々。浮世絵から地下足袋(!)まで、驚きのコレクションは必見です。

ところで、今回の展覧会のサブタイトルは、「永遠の15分」。何ともミステリアスではありませんか。

これは、「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」というウォーホルの言葉に由来するもの。

ウォーホルは、数々の名言を残しています。しかしその言葉の数々は、なるほど!と思わせるものもあれば、彼の作品、いや彼の人生と同じくミステリアスなものも。だからこそ、半世紀以上経った今も人々の関心を集めてやまないのでしょう。

では、ウォーホルの名言をたどりながら、謎に満ちた天才アーティストの作品をさっそく見てみましょう。


■ 「僕のことが知りたければ表面だけ見ればいい。裏側にはなにもないから。」


 アンディ・ウォーホルは1928年、東欧からの移民ウォーホラ家の三男としてアメリカ・ピッツバーグに生まれました。大学で絵画デザインを専攻したのち、ニューヨークで商業イラストレーターとして「ヴォーグ」などのファッション誌や広告を数多く手がけ、成功を収めます。


アンディ・ウォーホル『ブロッテド・ライン・ドローイング』(1950年代)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


ブロッテド・ラインという独自の転写方法で描いた婦人靴の広告。
半世紀以上も前とは思えない斬新さに驚き。


イラストレーター、画家、映像監督、プロデューサー、と様々な顔をもつウォーホル。実は容姿にコンプレックスがあったとか。様々な仮面で本当の自分を覆い隠し、そして生まれたのがこの言葉なのかもしれません。


アンディ・ウォーホル『自画像』(1986年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)




商業イラストレーターとして人気を集めたウォーホルは、1950年代の半ばに世界一周旅行に出かけます。この当時で世界一周できるほどの財を成すということは、大変な売れっ子だったという証です。

その旅行で来日したウォーホルは、京都の金閣寺の美しさに圧倒され、その影響か帰国直後に金箔を使った作品をいくつも残しています。


撮影者不明/東京観光記念写真(1956年)


向かって右から2番目がウォーホル。こうして見ると、天才アーティストというよりも真面目なサラリーマンという感じ。
しかし、はとバスも横文字にするとカッコいいですね。


アンディ・ウォーホル『天使』(1957年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


金閣寺の影響とも言われる黄金の天使。


■ 「なんでオリジナルじゃなきゃいけないの?」


1960年代に入ると、ウォーホルはそれまでの成功をあっさりと捨てて、アーティストへの転身を図ります。そこでキャンベル・スープ缶や、マリリン・モンローをモチーフにした有名なシルクスクリーン作品の数々が生まれます。

(これらの作品についての詳細は、コチラの別記事をご参照くださいませ→http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html?m=1)

今回の展覧会でも、もちろんこれらの代表作を見ることができます。

キャンベル・スープ缶は、アメリカ人にとっての日常です。しかし我々日本人には、初めから「ちょっとオシャレな缶詰」として映ります。キャンベル・スープ缶とアメリカ人の関係は、例えて言うなら、はごろもシーチキン缶と日本人のようなもの。

ある日、はごろもシーチキン缶が、反復され複製される巨大なシルクスクリーン作品になってアナタの目の前に現れたとしたら…。そりゃあ、「何じゃこりゃ??」となりますよね。

実は、このキャンベル・スープ缶のアイデアは、キャンベル社からのDMの図柄をそっくりそのまま模倣したものと言われています。

う〜ん、現代だったら様々な問題がおこりそうなエピソードですが、ウォーホルの手によって、キャンベル・スープ缶はもはやオリジナルを越えた存在になったことは確かです。

一点モノの作品と異なり、一度型を作ってしまえば簡単に複製することができるこの一連の作品群は、まさにアメリカの大量消費社会の象徴とも言われ、ウォーホルは一躍時代の寵児となりました。

キャンベル・スープ缶のみならず、マリリン・モンローやエリザベス・テイラー、毛沢東などの超有名人をモチーフにする一方、個人に向けた「注文肖像画」の制作にも取りかかります。

大量生産可能なシルクスクリーンとはいえ、一点モノであるということが顧客を喜ばせるということも熟知していたウォーホルは、一枚の写真をベースに様々に彩色した別バージョンを作成し、これが大成功を収めます。

アーティストにして敏腕営業マンの顔をも垣間見ることができます。


アンディ・ウォーホル『坂本龍一』(1983年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


坂本教授、わ、若い!
ワインの粗品カレンダー用に作られたもの。


アンディ・ウォーホル『マイケル・ジャクソン』(1984年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


この衣装、どの曲のだか、すぐわかりますね。



アンディ・ウォーホル『アレサ・フランクリン』(1986年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)


クイーン・オブ・ソウル、アレサの肖像。
思わず頭の中を「respect」が流れます。


■ 「謎を残したいんだ」


意図があるようでいて、なく、ないようでいて、ある。ウォーホルの作品への感想です。見れば見るほど、知れば知るほど、その謎は深まるばかり。

この自画像のように、迷彩に素顔を隠した天才は、謎を解くように鑑賞者に誘うのです。

僕を、解けるものなら解いてごらん、と言わんばかりに。


アンディ・ウォーホル『自画像』(1986年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)






アンディ・ウォーホル『広告:アップル』(1985年)
(アンディ・ウォーホル美術館/ピッツバーグ)



そして今日も私はこのリンゴの世話になるのであった。


■ 「アンディ・ウォーホル展」おすすめミュージアム・グッズ


「アメリカン・ポップ・アート展」で2000円のブロックメモを購入するという暴挙(?)に出た私は、今回は自粛…の予定が、買ってしまったんだな、やっぱり。


         

キャンベル・スープ缶のクリアファイルは内側がメタリックでカッコイイ!
マリリン・モンローのはダブルクリア・ファイルになっていて、内側はモンローづくしです。

          

チケット・ホルダーは仕切りがついていて、めっちゃ便利!



アンディ・ウォーホル展
永遠の15分

2014年2月1日(土)—2014年5月6日(火)
森美術館(東京・六本木)

            

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2014年4月28日月曜日

ザ・ビューティフル -英国の唯美主義1860−1900


■ いよいよクライマックスへ!


一昨年の英国水彩画展、昨年のターナー展、そして今年のラファエル前派展と、英国美術展が立て続けに開催され、ここ数年、日本の美術界ではちょっとした英国ブーム(?)だったわけですが、それもいよいよ「ザ・ビューティフル」展でクライマックスを迎えます。

ところで…

そもそもイギリスって、イタリアやフランスほど有名な画家が多くないことに、皆さんも何となくお気づきではないですか。

実は、宗教と深い関係があります。

イタリアやフランスはカトリックの国なので、その教義に沿う形で宗教画を始めとする芸術文化が発達しました。ところが、イギリスはヘンリー8世が(離婚が許される)イギリス国教会に改宗してしまったため、宗教画はイマイチ発展しませんでした。

その代わりに流行したのが、風景画や道徳的教訓を込めた風俗画(この点はフランドル絵画にも通じるものがありますね)。イタリアやフランスとは異なる発展を遂げたのが、イギリス絵画です。


訪れたのは、実はまだ桜が咲く前でした…


しかし、概して芸術というよりはむしろ実用性、生産性を国策として重視した結果、ご存知のようにイギリスには産業革命が起こります。おかげで人々の生活は便利で豊かになりました。

ところが、あるときふと彼らは気づくのです。

自分たちの身の回りのモノは確かに便利だけど、ちっとも美しくない、と。

そのきっかけとなったのが、1851年のロンドン万博でした。ここでイギリスは、自国の製品がいかに(便利ではあるが)野暮ったいかを思い知らされる結果となるのです。


■ ラファエル前派から唯美主義へ


これじゃいかん!と立ち上がった芸術家たちのうち最も重要な人物のひとりが、ウィリアム・モリス。「生活に美を」というスローガンの下、ロセッティ、バーン=ジョーンズらと共に「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立し、室内装飾という概念を世に広めます。


エドワード・バーン=ジョーンズ『室内履きのデザイン』(1877年)
(個人蔵)



それにしても、日用品に芸術を取り入れようとは、いかにも産業革命の国、イギリスらしい発想ではありませんか。

ちなみに、現在もロンドンにある老舗の百貨店リバティは、もともとは日本をはじめとする東洋の美術品を輸入、販売することから始まりました。中流階級の家庭にも手が届く価格で優れたデザインの室内装飾品を提供し、人気を博しました。




花柄の「リバティプリント」でも有名な百貨店リバティ。
テューダー様式の建物がカワイイ!
せっかく行くなら、ライトアップされた夜がおすすめ。


ところで、あれれ?ロセッティやバーン=ジョーンズって、画家じゃなかったっけ、というアナタ、その通りです。

彼らはラファエル前派のメンバーでしたが、1850年頃からラファエル前派が掲げる古典への懐古主義の行き詰まりを感じ、新たな作風を模索していました。(ラファエル前派については、コチラの別記事をご参照くださいませ→
http://salondeangeaile.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html?m=1)


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『愛の杯』(1867年)
(国立西洋美術館、旧松方コレクション/東京)



そこで登場するのが、唯美(ゆいび)主義です。唯美主義とは、ざっくり言ってしまうと、ただ美しくあることだけを追求すること。

宗教画や神話画を鑑賞するときのような知識は必要とせず、ただ感性に訴えかける美しさだけを最高のものとする、という概念です。



アルバート・ムーア『真夏』(1887年)
(ラッセル=コート美術館)




宗教や神話の世界から解放された自由な表現は、その後、フランスでも流行しました。それが印象派です。

第1回の印象派展は1874年ですから、19世紀の半ばという時代はそれまで当たり前とされていた価値観が覆され、世紀末から新しい世紀に向かって大きく動き出す「時代の空気」のようなものがヨーロッパ中に漂っていた時代といえそうです。



■ ジャポニズムの流行


この時代のヨーロッパのもうひとつの大きな特徴は、ジャポニスムの流行です。日本の浮世絵がフランスの印象派に与えた影響は限りなく、ゴッホやマネを始め多くの画家にインスピレーションを与えました。



エドワード・ウィリアム・ゴドウィン
『アングロ・ジャパニーズ様式の室内にいる人物』(19世紀後半)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)


なんでこうなるの…と日本人なら思わず言いたくなってしまうのですが、
これをまじめにイギリス人画家が描いている姿を想像するとちょっと面白い。


 エドワード・ウィリアム・ゴドウィン
『アングロ・ジャパニーズ様式の家具デザイン』(1875年頃)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)


映画「ティファニーで朝食を」の主人公ホリー・ゴライトリーの

隣人で日本人のユニオシ氏(こんな名前の日本人はいない!)が住む家っぽい。


実はヨーロッパにおけるジャポニスムは、それまでも何度も流行しています。

例えば18世紀に遡ると、マリー・アントワネットは漆器のコレクターでしたし、食器で有名なドイツのマイセンは日本の陶磁器を模倣するため国王が錬金術師を監禁して作らせたのが始まりです。

先ほどご紹介した百貨店リバティの誕生も、ジャポニズムの流行が大きく関わっているのです。

西洋かぶれ、という古い言葉にあるように、我々日本人はいつの時代も欧米コンプレックスが拭えない国民性であるようです。しかし、その奥ゆかしさも程々にして、自国の文化にもっと誇りを持とうではありませんか!(と、西洋絵画かぶれの私が言うのも何ですが)



■ ワイルドとビアズリー


唯美主義を語るに欠かせない人物は、画家だけではありません。

もともとラファエル前派の熱狂的な支持者であった文豪オスカー・ワイルドと、その戯曲『サロメ』の挿絵を描いて一躍有名になったオーブリー・ビアズリーの存在も、非常に大きなものでした。

彼らが登場するのは1890年代、退廃的なムードが漂い、いわゆるデカダンスといわれる時代です。

オーブリー・ビアズリー
『クライマックス—サロメ』(1894年初版)
(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館/ロンドン)




ワイルドが書き上げた『サロメ』はフランスの大女優サラ・ベルナールが主役を演じたいと申し出るほどの人気を博しましたが、やがてワイルドは同性愛の罪で投獄され、出獄するも失意のまま亡くなります。(サラ・ベルナールについてはコチラの別記事をご参照くださいませ→http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html?m=1)

このスキャンダルによって、ビアズリーも巻き添えとなり、失業したのち25歳の若さで亡くなります。

ところで、この『サロメ』、もともと旧約聖書の話なのですが、男を破滅へと追いやる「ファム・ファタル(運命の女)」として様々な画家が好んで描いたテーマでもあります。

ファム・ファタルについては、いつか書きたいと思っているので、またの機会に詳しくご紹介いたします。


■ ただ、美しさを感じてみてください。


さて、話を印象派に戻すと、日本人に人気がある理由のひとつとして、感性で鑑賞できる、という点が挙げられます。キリスト教の知識がなければ理解が難しい古典絵画と違い、テーマも身近です。

そしてこの唯美主義の絵画も、印象派絵画のように、感性で鑑賞できるのが魅力のひとつです。

印象派に比べ、耳慣れない「唯美主義」ですが、余分な知識は置いておいて、「ただ美しさを追求したもの」というワンフレーズだけを携えて、さぁ、GWは三菱一号館美術館へ!




ビアズリーのミニファイルがオシャレ




ザ・ビューティフル
—英国の唯美主義 1860-1900

2014年1月30日(木)—2014年5月6日(火)
三菱一号館美術館(東京・丸の内)



            

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2014年3月6日木曜日

モネ、風景を見る眼 -19世紀フランス風景画の革新


会期の終わりが近づくと、平日であろうが、冷たい雨の日であろうが、なぜか美術館は混むものです。そして、二重になった人々の頭の隙間から名画を必死にチラ見しながら「もっと早く来れば良かった…」と後悔するのです。

今回訪れたのは、モネ展。昨年の7月からのポーラ美術館に次いでの巡回展です。ポーラ美術館だって(場所は箱根で少々距離はありますが)何度も行っているのでそれほど面倒なことではないのだけれど、ここまであたためてしまった私。


3月だというのに、気温6℃!寒い!




というのも、この展覧会は海外から作品の貸出しを受けたものではなく、主催する国立西洋美術館とポーラ美術館が所有しているものが中心なので、何となく「いつか見られるさ」という気がしてしまっていたのです。

しかし「いつか」は自分が動いてチャンスをつくらなければ、永久に来ないもの。そもそも、所蔵はしていても作品保護の関係で常に展示しているとは限りません。むしろ有名どころはこうした機会でないと見られない場合が多いのです。


■ 印象派はモネから生まれた


1894年、パリのカプシーヌ大通りにある写真家ナダールのスタジオで、当時の画壇(サロン)に認められなかった新進気鋭の画家たちが集まり、無審査の展覧会を開きました。それが、第一回印象派展です。

このとき、モネが出品していたのが『印象、日の出』(1872年/マルモッタン美術館/パリ)です。この作品を見た新聞記者が「これは単なる印象でしかない」と酷評したことから、このグループは「印象派」と(やや皮肉を込めて)呼ばれるようになりました。(2013年11月24日付記事『印象派を越えて-点描の画家たち-』を併せてご参照ください)


その記念碑的な作品『印象、日の出』に非常に良く似た作品がこちらです。


クロード・モネ『セーヌ川の日没、冬』(1880年)
(ポーラ美術館)


ただし、こちらは日の出ではなく日没なのですが。


■ 工業化がもたらしたもの


印象派を語るに欠かせない重要な要素は、19世紀の工業化がもたらした近代化です。パリ近郊にも工業地帯が現れ、蒸気機関車の発達は人々にレジャー文化をもたらしました。そしてそれは画家にも大きな影響を与えました。


クロード・モネ『サン=ラザール駅の線路』(1877年)
(ポーラ美術館)


モネが描いたサン・ラザール駅で最も有名な作品は、
オルセー美術館にあります。
もくもくと広がる蒸気を巧みに表現した作品です。



そして、19世紀の半ばにチューブ入り絵の具が発明されます。それまでは、絵の具は作り置きが難しく、豚の膀胱を原料とした革袋や、注射器のようなガラスに入れたり、試行錯誤が繰り返されますが、なかなか扱いが難しかったのです。

錫製の使い捨てチューブ絵の具が発明されたことによって、画家はアトリエを飛び出して、戸外で作品を制作することが可能になりました。蒸気機関車で移動して、郊外の景色を描くことも夢ではなくなったのです。


ウジェーヌ・ブーダン『トルーヴィルの浜』(1867年)
(国立西洋美術館)


モネの師匠ブーダンの作品。
上流階級の人々が海辺で寛ぐ様子を描いたもの。
現代のビーチの風景とはまったく異なる光景ですね。


アカデミー(画壇)には古くからヒエラルキーが存在し、もっとも権威あるテーマが宗教画と歴史画で、風景画は取るに足らないものという認識が根強くありました。

印象派の絵画にも様々なテーマがありますが、とりわけ風景画の評価を後世において高めたことは大きな功績のひとつであると言えます。


クロード・モネ『雪のアルジャントゥイユ』(1875年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))


先日の大雪を思い出させます。



クロード・モネ『グランド・ジャット島』(1878年)
(ポーラ美術館)

 グランド・ジャット島は、週末になると多くの人が集まる
人気のレジャースポットでした。スーラの点描画が有名です。



クロード・モネ『花咲く堤、アルジャントゥイユ』(1877年)
(ポーラ美術館)


夕方に川べりを散歩していたら花畑を見つけた、というような
ノスタルジックな気持ちにさせる一枚。
川の向こうには工場の噴煙が。


■ 移ろいゆく光、そして影


印象派の画家たちが、キャンバスに再現したかったもの。それは光と影でした。特にモネは一日の間で同じ場所でどのように光の変化が現れるか、実験的な作品をいくつか残しています。積みわらをテーマにした作品群もそのひとつ。朝から夕方まで、そして季節によって刻々と変化する積みわらをまるで連続写真のように描いたうちの一枚です。


クロード・モネ『ジヴェルニーの積みわら』(1884年)
(ポーラ美術館)




 ■ 松方コレクションとは


さて、まずはモネの作品を中心にじっくりとご覧いただきましたが、クレジットにある「松方コレクション」とは一体なんなのでしょう。

川崎造船所の社長、松方幸次郎(1865-1950)は、二度にわたり首相を務め日銀の創設などで知られる明治の政治家・松方正義の三男として生まれました。

豊富な資金を元に次々と名画をコレクションし始めますが、折しも東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)には西洋画の学科が設けられたものの、本物の洋画に触れたことがほとんどない学生にとって秀逸な作品を制作することは至難の技でした。

そこで松方は、ロンドンそしてパリに渡り、名画を買い漁ります。やがて、松方がゴーギャンが好きだと言えば、パリの画商たちはヨーロッパ中を駆け巡ってゴーギャン(ゴーガン)を仕入れる、という現象まで起こります。


ポール・ゴーガン『海辺に立つブルターニュの少女たち』(1889年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))



そんな中で松方が出会ったのが、モネでした。モネはジヴェルニーのアトリエ兼住居に、眼を見張るほど素晴らしい作品を多数所有していましたが、決して手放そうとしませんでした。

しかし、松方は、「日本で美術を学ぶ貧しい学生たちのために作品を譲って欲しい」と懇願し、交渉した結果、なんと18点を譲り受けることが出来たのです。


クロード・モネ『睡蓮の池』(1899年)
(ポーラ美術館)


モネは終の住処となるジヴェルニーの邸宅に
藤や芍薬などを植えた日本風の庭を自ら作り、
浮世絵のコレクターだったこともよく知られています。


ところがその後、会社の経営不振からコレクションは散逸し、第二次世界大戦でロンドンに残していた作品は焼失、パリに残していた作品は敵国財産として接収されてしまいます。

二度と戻らないと思われたコレクションでしたが、1951年のサンフランシスコ平和条約の調印後、首相の吉田茂はフランス政府にコレクションの返還を求めます。

フランス政府は、コレクションを所蔵、公開する国立美術館の設立を条件に、返還を認めました。こうして、1959年、上野に国立西洋美術館が誕生したのです。

返還が容易に認められた背景として、ベトナムからの撤退などでアジアに於けるフランスの存在感が揺らぎ始めていたため、フランスはその存在感をアピールする必要がありました。

こうした政治的な思惑がありながらも、松方のコレクションが基本となり、国立西洋美術館は現在5,600点以上の作品を擁する国立美術館へと成長を続けているのです。


ピエール・オーギュスト・ルノワール『木かげ』(1880年頃)
(国立西洋美術館(松方コレクション))


ルノワールの作品にしては珍しい無人の風景画です。


クロード・モネ『舟遊び』(1887年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))

人物と、水面に映る影の構図が絶妙。


クロード・モネ『睡蓮』(1916年)
(国立西洋美術館(松方コレクション))

 
モネが生涯で描いた睡蓮モチーフの作品は200点以上。
こちらは昭和37年以来、門外不出となっている作品。


モネと国立西洋美術館、いや日本の西洋美術の歴史とのつながりを体感しに、ぜひ今週末は上野へ!


■ おすすめミュージアムグッズ


…と、ここで新コーナー(?)、おすすめミュージアムグッズをご紹介します!

今回はやはり睡蓮モチーフがメイン。中でもグッズの王道、クリアファイルがおすすめ。A4クリアファイルが2種類あります(シングルタイプ)。あとは『散歩』または『舟遊び』モチーフのA5ノート。私は『散歩』を選びました。



A4クリアファイル 各税込¥400
     A5ノート 税込¥483


ミュージアムショップで合計¥3,000以上購入すると、左下のバッグがもらえちゃいます。(数に限りがあると思われますので、ショップでご確認ください)



図録 税込¥2,300

写真では分かりにくいのですが、
庭園をイメージしているのか濃いグリーンです。
図録も余裕で入ります。質感は、おまけなので…


※ 在庫、価格の詳細につきましてはショップに
お問い合わせください。




モネ、風景をみる眼
19世紀フランス風景画の革新


2013年7月13日(土)−11月24日(日)終了
ポーラ美術館(箱根)


2013年12月7日(土)−2014年3月9日(日)
国立西洋美術館(東京)

※3月7日(金)〜9日(日)は午後8時迄開館!
(入館は30分前まで)
お見逃しなく!!


      

       


そして、モネは睡蓮ばかりではありません!なんと今年6月に修復を終えたあの名画が、ボストンからやってきます!



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